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西南戦争の戦費拡大により大量の不換紙幣が発行されるとともにインフレが起きまし...

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ID非公開さん

2019/7/1017:55:26

西南戦争の戦費拡大により大量の不換紙幣が発行されるとともにインフレが起きました。それを改善するために増税と政府支出の削減で対応しましたが、その後、中央銀行を設立し兌換銀行券を発行したのはなぜですか?

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2019/7/1020:16:29

明治政府は紙幣整理を行うと共に、一方では国立銀行を整理し、統一的兌換制度を確立する目的で明治十五年(1882)に日本銀行を創立しました。日本銀行は当初から兌換銀行券を発行する建前でしたが、当時はまだ銀貨と紙幣の価格差が大きかったので兌換銀行券を発行するに至りませんでした。政府は明治十六年五月に国立銀行条例を改正して国立銀行の営業期間を創立から20年とし、その間に各国立銀行が発行した紙幣を消却することにしました。その方法は、各国立銀行の紙幣引替準備金を日本銀行に定期預けとし、さらに各国立銀行の利益金から年々その銀行に対する政府の銀行紙幣下付高の2分5厘にあたる金額を日本銀行に預け入れ、これらの資金を元資として日本銀行が国立銀行紙幣を合同消却するというものでした。こうした方法で日本銀行が消却した国立銀行紙幣は明治十八年末までに160万円に及びました。その他、国立銀行の閉業または減資による減少もあり、また第15国立銀行に与えられていた特別発行券も廃止されたので、それらが加わり明治十四年以降十八年末までに消却された国立銀行紙幣は計424万円に達し、その流通高は明治十三年末の3424万円から明治十八年末には3015万5千円に減少しました。こうして政府紙幣のみならず国立銀行紙幣の消却も進み、銀貨と紙幣の価格差もほとんど無くなったので、明治十七年五月に兌換銀行条例が制定され、翌年の五月、日本銀行は初めての兌換銀行券を発行しました。銀兌換だったので『日本銀行兌換銀券』でした。券種は1円・5円・10円・100円の4種。発行限度額は当初500万円でしたが、明治十九年三月には2千万円に拡大されました。この2千万円のうち銀貨準備金は800万円、残額の1200万円は公債を保証準備にすることとされました。

明治十八年五月に初めて発行された「日本銀行兌換銀券」各種は、5円券を除き、表面向かって右側に米俵に座る満面の笑みを湛えた大黒天とネズミが描かれているので、紙幣コレクターに人気のある紙幣ですが、1円券以外は希少価値が高く非常に高価なので入手は困難です。100円券はほとんど現存せず、価値の評価ができないそうです。


引用:日本の紙幣

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goo********さん

2019/7/1113:58:15

大蔵卿の松方正義。金本位制も。

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