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何でも運命と考えるのは浅はかですか? なんか気が楽になるのですが・・

ドングリコさん

2019/8/2609:54:56

何でも運命と考えるのは浅はかですか?
なんか気が楽になるのですが・・

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回答数:
12

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ベストアンサーに選ばれた回答

ari********さん

2019/8/2704:11:28

何でも運命、、、。



そう思うと 気が楽でストレスも溜まらないからです。

質問した人からのコメント

2019/8/29 09:30:23

回答ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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kay********さん

2019/8/2812:35:29

運命とは命の運びと言う意味です。命とは容姿や性格、好き嫌いや得手不得手などその人の個性のことです。人生は一瞬一瞬の判断と行動の積み重ねですが、その判断と行動を決定していのが個性です。この一瞬一瞬の判断と行動の積み重ねが運びであり、その一瞬一瞬の判断がその後の人生を決定づけていきます。

カッコウという鳥は自分で子育てしません。他の鳥の巣に卵を産み付けて子育てをさせます。他の鳥に育てられたカッコウの子供は育ての親の真似をせず、見たこともない生みの親と同じように托卵するようになります。これは遺伝子にどういう生き方をするかということが組み込まれているからです。

遺伝子には容姿や背格好だけでなく、性格や好き嫌い、運動や勉強などの得意なこと不得意なこと、他には好きになる異性のタイプやどんな病気に罹りやすいか等、その人の個性の全てが遺伝子に組み込まれています。それは生まれた瞬間にその人がどういう生き方をするかがある程度は決まっていると言うことです。したがって運命は生れた時にある程度決まっていると言うことになります。

運命は変えられるかということですが。遺伝子の発現にはある程度幅があり自分の意志で変えられることもあります。遺伝子は母親と父親またその両親の遺伝子も受け継いでいます。現在働いている遺伝子でも環境の変化に合わせて発現する遺伝子が変わることもあるのですから、努力によって不得意なことでも上手に出来るようになったり、嫌いだった事が好きになったりするように、自分の意志で発現している遺伝子が変わることもあります。性格も多少は変えることができます。例えば自分の容姿に自信がなくて異性に対して消極的だった人が、美容整形して美しくなったことで異性に対して積極的な性格に変われば結婚相手が変わることもあるはずです。結婚相手が変われば運命も変わります。

人が生きていく上でいつも自分の思い通りに生きて行ける人はいません。他人によって生き方を変えられることもあります。そのとき悩みや苦しみが生じるわけですが、生き方を変えられたことが運命ではありません。運命は悩み苦しみに対峙した時、どう判断しどう行動したかがその人の運命なのです。運命を変えたければ迷った時、苦難に直面した時、どうしたいかではなくどうなりたいのかをじっくり考え、いつもと違うパターンで慎重に行動すれば運命は変わるはずです。

キリスト教では運命は生れた時に神様がお決めになることになっています。したがって病気になって死ぬのも、事故で死ぬのも、殺されて死ぬのも、すべて神様がお決めになった運命ということになります。そして運命を変えることができるのも神様だけです。神様が奇跡を起こされた時だけ運命を変えることができるのです。九死に一生を得たとき、キリスト教徒は神様が奇跡を起こされたので助かったと考えますが日本人は「運が良かった」という言い方をします。キリスト教は自分で運命を変えることはできませんが仏教は運命を変えることができると考えています。その理由は運命の元になる原因はすべて自分が作っているという考え方に基づいているからです。

2019/8/2708:42:30

そう考えれば気は楽になるかもしれませんが、自分が責任を持って積極的に動くべき時にそれが出来なくなってしまう弊害もあるでしょう。

「人事を尽くして天命を待つ」みたいな考え方ならば、やるべきことはキッチリやって後は運命に任せるという良いところ取りになるかと思います。

ベルさん

2019/8/2704:44:58

、、、?うん、なんでも運命だよ?汗。

ただし「あと決め式」だけれど、、。

つまり、例えばあなたがとある建物の一階にいて、

その建物の二階に行く階段は 手前と 奥 の

二つあるとします。最初にあなたが二回に階段を

登っていくとしますと、確かに手前を選んでも、

あるいは 奥 の会談で二階へ上っていくとしても、

それはあなたの選択の自由で、一見すると運命など、

と言いますか さだめ などなくって決まっていない

ように思えますよね?汗。でも手前の階段を選んで

二階に上がった時点で 「手前の階段を登る運命だった」

ということが考えられ、また、奥の階段を選択して

登って行ったという自由があったとしても、結果としては

奥の階段を登るさだめだったと後になればそう思わざるを得ない

それがつまりは最初に申し上げましたような、

「あと決め式」の運命?と説明させていただいたものですよー?汗。


>浅はかですか?


いえ、長文大変失礼いたしましたけれど、上で書きましたように

ちょっとした 「プチ運命」のようなのから推測しますと、

結局 微弱ながらも運命らしきものはありますので、

もう「なるようになる」と考えていくのは賢明なのでは?汗。

最終的にはその考え方でいった方が悩まず・悔やまず・迷わず、

真っすぐ進めると思いますよー。汗

ベックさん

2019/8/2703:52:08

私達には運命はわからないし日々の出来事を運命とも認識していませんが、認識論でいう決定論は現実であり運命と捉えることは浅はかではありません

ただし決定されていても未来は1ミリもわからないので
未来に対する「○○になる運命なんだろう」は憶測でしかありません

過去は変えられないので
過去に対して「○○になる運命だった」と考えるのはひとつの考え方です

でもそんな小理屈よりも一番大事なのは

"運命と考えれば気が楽になる"
あなたがそのような感性を持っている。という事実です

そんないいモノを手放す手はないですよ

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qwe********さん

2019/8/2700:38:22

一つの方便としては有効だと思います。

何かをやる前は実力と考え、結果が出た後は運命と考えると、より楽になる気がします。

「我は木偶なり。使われて踊るなり」という言葉があります。
人も運命の木偶と考えると、限界突破していけるかもしれないですね。

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