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大阪の陣に於いて

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ID非公開さん

2019/9/611:30:42

大阪の陣に於いて

家康は秀頼に殺意がありました?

補足徳川家康が豊臣秀頼を殺そうと言う殺意の有無です

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f_r********さん

2019/9/612:35:42

家康は世間体を気にしていたから元・主君を討ち果たすという汚名をできることなら避けたいと思っていました。冬の陣で大坂城は無力化されましたが、豊臣方も大軍を前に善戦したことで辛うじて面目を保ちました。双方にとって納得できる講和のはずでした。しかし、豊臣方に意見の相違があって強硬派が台頭してしまいます。堀を掘り返したりして戦闘準備を始めてしまいます。秀頼らはそれを阻止できません。彼らの矛先が自分に向きかねないからです。
幕府からしたら豊臣方が和議を破って開戦準備をしているようにしか見えません。ここ事に至っては家康も腹を決めるしかありません。夏の陣です。それでも家康は秀頼個人を殺害することは最後まで避けようとしたようです。出家させての助命でも考えていたでしょう。しかし、秀頼は自害します。一説には秀忠に秀頼を助命するか否か決めさせたそうです。関ケ原の汚名返上に燃える秀忠の選択肢は一つしかありませんでした。

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aja********さん

2019/9/612:17:07

遅くとも夏の陣までには明確に持つようになっていたでしょうね

go6********さん

2019/9/612:00:47

秀頼が実力もないのに 大阪城にあぐらかいている状況でしたので 殺意はあったと思いますよ。
基本的に 戦国時代に愚か者が上に立つ事自体が間違っていますからね。

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