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日本戦争史に詳しい方に質問です。 日本陸軍において戦場で、いわゆる『負傷者...

yac********さん

2019/9/1003:32:39

日本戦争史に詳しい方に質問です。

日本陸軍において戦場で、いわゆる『負傷者救護』的な車両や救命救急システムは、体系的にしっかりとあったのでしょうか?それとも無かったのでしょうか?

戦記物を読んでも、衛生兵が包帯を巻きしっかり頑張れよみたいなものばかりで、とてもじゃないですが、真白き肌の日本女性の待つ、病院まで辿りついてません。

戦病者は単なる厄介者で、戦地では邪魔者だったのですか?
それとも、陸軍規範としては、手厚い看護をしたいのは山々だけど、戦況がって事ですか?
たとえば米軍なら、階級に関係なく重症度に応じて負傷兵を後送指示できる権限が、衛生兵にはあります。
日本軍を責めたいのではなく、元々兵士救済システムはあったけど、戦況悪化で機能しなかった。
又は『初めから無かった』を知りたいのです。

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kuronekofanさん

2019/9/1311:45:35

フランスをモデルに制度化したので、もともとからしっかりしたものがありましたよ。
ただ、太平洋戦争の後半戦では兵員の大半が負傷、衛生設備の大半も失ってしまいましたので、回想録などはひどい有様が描かれていますが、それでも機能は維持しました。

大きくは3つに分け、前線救護、野戦病院、後方病院(兵站病院)があります。
(前線救護)
歩兵や騎兵など前線戦闘を行う部隊には、大隊ごとに「仮包帯処」(野戦救護所ともいう)がもうけられ軍医1~2名と衛生下士官が詰めて応急手当をおこない、トリアージして重傷者を野戦病院へ後送させます。後送は戦時に編制される衛生隊の中にある担送隊が行います。また、各中隊に隊付き衛生兵が2名いて、最前線で負傷者を仮包帯処まで運びます。その場で添え木や止血や痛み止め(モルヒネ)の措置も行います。

(野戦病院)
師団ごとに3~4個。1個野戦病院は200床以内。外科的な手術を行う。
患者の後方移動や物資補給、病院設備(天幕設営)などは輜重兵連隊の支援や工兵連隊の支援で行われた。

(後方病院)兵站病院とも言う
前線部隊のずっと後方にもうけられる病院で、師団より上の軍、方面軍などの上級司令部単位に設置。長期療養や感染症隔離を目的。
従軍看護婦や民間の医療従事者も多数勤務した。

なお、「衛生隊」は300人前後で歩兵または輜重兵の少佐~大尉が指揮官。自動車隊1個と担送隊3~4個で構成。
衛生兵は、隊付き衛生兵と病院付き衛生兵があり、病院付きは隊付き衛生兵のなかから衛生部下士官(職業軍人)を目指すものを対象に選抜して教育した。平時は陸軍病院に勤務する。
隊付きは毎年の徴兵の中から最優秀の兵隊を1~2名選抜して衛生兵に指名し、連隊の医務室で衛生講習を受け2年の現役期間の間に衛生上等兵に昇進した。

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煮干醤油さん

2019/9/1012:41:54

戦場にもよりますが、圧倒的に人手も物資も不足しておりひどい状況の戦場が多かったかと。

ひどい状況だと、動けるけが人は徒歩で野戦病院まで歩行。動けないけが人は自殺。

で、野戦病院にたどり着いても、付近に敵が迫ってくると野戦病院撤収の際にトラックや船が迎えに来れないなんてことも多く、歩けるけが人は徒歩で撤退、歩けない病人は毒殺もしくは自殺させるっていう戦場も多かったかと。


>『初めから無かった』
日本軍は強くて我慢強く勇敢で非常に優秀で、鬼畜米英の兵隊は贅沢に慣れきって戦闘では日本軍の敵にならないくわい弱っちい軍隊だから、死傷者なんかほとんど発生しないという前提のもと、十分な兵士救済システムを用意してたっていう感じの建前なのでしょう。

そもそも餓死者や病死者のほうが戦闘での死者よりも多いって戦場が多かったわけだから、負傷者の手当どころではなかったでしょう。

goi********さん

2019/9/1007:44:46

衛生兵は明治時代から存在します
後方には野戦病院が設置されており、野戦病院で対応不能な兵士は病院船で日本に戻されて李君病院・海軍病院に収容されます

知人の祖父はビルマ戦線で脚気になって歩けなくなり、臨時病院に収容されたそうです
毎日、トラックで物資は届けられていたんだそうですが、ある日、虫の知らせか何かでこのトラックに無理にでも乗れと感じて、治ったからと強引に乗せてもらったそうです
実は臨時病院への物資輸送はこれが最後だったそうで…

bro********さん

2019/9/1003:56:56

日本軍にも曲がりなりにも野戦病院があり、赤十字の看護婦さんが居るところもありました。
沖縄ではひめゆり部隊の女学生が現地徴用されて 従軍看護婦の任務に就いていました。

但し、日本の輸送体系がお粗末なので、トラックが走れるところで トラックがあるなら 重傷患者はトラックに乗せられて野戦病院まで運ばれましたが、歩く道しか無いところは衛生兵の担架に乗せられて運ばれました。

連合軍が優勢になると 赤十字の旗も何も関係無く 飛行機や砲撃で撃たれますから、沖縄ではひめゆり部隊にも戦死した人が沢山いました。
野戦病院までもが 敵に押されて後方に後退する時は 独歩出来ない患者は 軍医から手榴弾を渡されて自決を迫られました。

また、南方や島々の戦場では 輸送物資が届かないので、医療品も底をつき 軍医は負傷した兵士の手足を切るだけが仕事のような状態で、麻酔薬も無く、看護婦が身体を押さえつけて動かないようにして切断手術をしたと戦記にも書いてあります。
治療方法がないので、ただ患部の包帯を交換するだけの事もあったようです。

病院船も 傷病者の輸送の場合は 敵の攻撃を受けない国際ルールでしたが、日本軍が増強の為の兵隊を輸送したり、連合軍からの臨検を受けそうになった時に反撃したりしたものだから、連合軍に病院船も無警告で攻撃する口実を与えてしまったので、病院船でも潜水艦からの攻撃で沈められる状況にまでなってしまいました。

結論的には 日本軍も人道的に傷病者を扱いたかったが、日本の兵力や輸送力不足がそれを許さず、非人道的な扱いになってしまった事例が多数あると言う事です。

nwf********さん

2019/9/1003:43:57

昔調べた情報でよければ。
乗り物やシステムの詳しい部分はわかりませんが、一番効果のある薬品は軍の上の方によって厳しく管理されていたとか。理由は在庫の問題から。世界からもけが人軽視は問題だと言われてたらしい。例えばある程度のケガなら量産ができてる薬をつかってとりあえずで処置したりしてたとか。衛生面も戦況がひどくなるにつれていいものじゃなくなったらしいです。

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