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道元禅師の以下の言葉を、輪廻否定と解釈する人がいるようですが、そう読解する人...

kar********さん

2019/9/1200:26:19

道元禅師の以下の言葉を、輪廻否定と解釈する人がいるようですが、そう読解する人は多いのでしょうか。


「たき木はいとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。

しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。

しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。

かのたき木、はい(ひ)となりぬるのち、さらに薪とならざるごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆへに不生といふ。

死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆへに不滅といふ。

生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」

(以上、正法眼蔵 現成公案の巻)


私としては、それは輪廻を否定したものではなく、生きている今を、つまり今世をどう生きるかを説いたもので、死後の輪廻まで否定したものではないと解釈しています。

この世を生きている人が、死んだら生き返ることはない、ということと、死んで輪廻が起きることは意味が違うと。

冬から春になる、春から夏になるのは事実だけれど、それをそう思って生きてはならない、つまり、輪廻も事実だけれど、生きてる時は、未来の死や死後を思わずに生きている今を生きろ、そうすれば生死を離れる、ということを言いたいのだと。

道元禅師のその言葉は、輪廻否定ではないと解釈をする人ももちろんいるようですね。

なお、曹洞宗の安泰寺のネルケさんが、道元禅師の言説のうち輪廻肯定の箇所は、それは方便だと自分は解釈していると言っていました。

現代人としては、そう解釈したくなるのは自然なことだとは思います。

またネルケさんは、輪廻は有ってもいいし、無くてもいい、無ければそれまでのことで、もし有ったなら、そこでまた菩薩行をするだけのことだ、とも言っていました。

そういう考え方もいいと思いますね。

補足なお、道元禅師は、若い時と晩年では言ってることが違っている、晩年には頭がボケていた、と解釈する臨済宗系の学者がいる、とネルケさんが言ってました。

そういう解釈をする人が臨済宗内では多いのでしょうか。

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曹源慧能さん

2019/9/1208:55:17

「たき木はいとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず」

薪は薪、灰は灰としてそれぞれの概念を持ちながら、両者を一括して、そこに「薪が灰となる」という推移を考えています。薪は先、灰は後という前後関係や薪を燃やしたら灰となるという因果関係としてそういうふうにまとめて考えます。ところが、「しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず」とあります。灰が後で薪が先という推移はないといわれているのです。

「薪は薪の法位に住して」、「灰は灰の法位にありて」という「法位」とは、薪は薪として、灰は灰として、事物そのものがある事実を評する語です。「能と所」「自と他」というような二つに分かれる以前の「法」の位、あり方です。薪は薪として灰に続くのではなく、また灰は薪からの続きではないといわれるのです。そして、薪は薪ぎり、灰は灰ぎりです。

薪には薪の在り方として、たとえば木が伐られて薪となったという以前があります。また火にくべれば灰になるであろうという以後もあります。しかし、そういう「前後ぐるみとして薪は薪ぎり」なのです。というのは、「前後ありといえども、前後際断せり」であって、薪は薪としてあり、灰は灰としてあるのです。薪は灰と対立した薪ではなく、灰は薪と対立した灰ではないのです。それ自身前後はありながらも、しかし前後際断しており、決して薪が灰となったのではありません。

人の命も前世があって、後世もあるでしょう。しかし、前世の続きとして現在があるのではなく、現在の続きとして後世があるのではありません。前世は前世、現在は現在、後世は後世として前後際断しているのです。

しかし、現成公案の巻だけをもって、道元禅師は輪廻を否定したと考えてはいけません。即心是佛、深信因果の巻を読めば、輪廻はないといたずらに思い込む断見外道を批判しておられることが明白です。

道元禅師は、若い時と晩年では言ってることが違っているというのは、誤解から生まれたものであろうと思います。正法眼蔵のある巻だけを見て、全体を判断することは間違いのもとであることを覚えておかねばなりません。

  • 質問者

    kar********さん

    2019/9/1209:08:21

    回答ありがとうございます。

    曹洞宗の模範回答と思えました。私もその解釈に共感しています。

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質問した人からのコメント

2019/9/18 02:23:48

他の回答者も参考になりました。

ありがとうございました。

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石ころさん

編集あり2019/9/1623:58:08

ご質問の中にある道元禅師の言葉は、
【諸行無常】を説いているように見えます。

【変化しないものは何一つ無いのだ。
この世に固定した存在は一つも無いのだ。】

この真理を知るだけで、状況に振り回されることなく、心はどっしりと落ち着いて平安でいられるのかもしれません。

輪廻について釈尊は、有るとも説いているし、無記(否定も肯定もしない=そのようなことに執着するな)とも説いています。

それはどちらも方便であり、
【今、此処、我れ】をより良く生きる(悟る)ための道しるべだと思います。

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san********さん

2019/9/1614:06:22

本題とずれるかもしれませんが、質問後半の「輪廻は有ってもいいし、無くてもいい」という見解について意見を書かせていただきます。

仏教は明らかに輪廻という現象を前提に教えを説いているのはご承知の通りですが、同時に、仏典に明らかなように、輪廻という現象を如実に知見できるのは、かなり修行の進んだ後のことともされています。
つまり、仏教を実践する前、さらには実践を始めた後でさえも、現実問題としては教えの大前提となっている輪廻という現象に対して何ら確かなことは知らず、従って実感もないという、甚だ不安定な状態にいることを強いられるというのが仏教実践の難しさのひとつと言えると思います。

この困難さを克服する一つの方法が、仏典で繰り返し説かれている信 saddha です。
ブッダの教えの一端を学び、それによって智慧の萌芽があれば、ブッダが確かに苦の因とその滅尽の法を悟った正等覚であり、その教えが拠り所になるものであるという信が同時に芽生えるはずですから、そのブッダが説いているのだから輪廻もあるだろうと信じることができるわけです。

これはある意味で不確実な賭けのようなものですが、ブッダの教えへの一定の理解が根拠になっているわけですから、盲信ではありません。
また別の言い方をすれば、これが一切智を持たない凡夫の限界なわけです。
人は真実を知らないからこそ真実を求めますが、真実を知るためには他者に教えを乞わなければなりません。
しかし、教えを説いてくれる他者が信頼に値するかどうか、真実を知らない段階では確実な判断などできないのが論理的帰結というものです。

では、どうすればよいか。
相対主義者のように、判断を保留にし、自分自身も疑問の前に立ち止まり続けるのが賢明な態度だと言えるでしょうか。
私はそうは思いません。そこは自分の責任において、その人を信じるというリスクを取って、とにかく前に進むということを選択するべきだと思います。
なぜなら、私たちは毒矢に射られた者、死に行くものだからです。迷妄の中に立ちすくんでいれば死に浚われるだけだからです。
ですから信というのは、実践のために凡夫が背負うべきリスクといったものだとわたしは捉えています。

それに輪廻を信じないならノーリスクだとも言えないわけです。
輪廻をありのままに見ることができなものが、それとどう向き合うべきか、信じるリスクと信じないリスクをどう評価してどちらの態度を取るべきかという問題についても、ブッダは答えを説いてくれていますので、少々長いですが引用します。


「実在する他世に対し『他世はない』という見解があるなら、それは邪見です。
実在する他世に対し『他世はない』と思惟するならそれは邪思惟です。
実在する他世に対し『他世はない』と言葉を発するなら、それは邪語です。
実在する他世に対し『他世はない』と主張するなら、他世を知る阿羅漢たちへ敵対することになります。
実在する他世に対し『他世はない』と他者へ教示するならば、正しくない法の教示となります。
その行為によって、彼は自分を称賛し、他者を侮蔑します。
こうして、彼の善き戒は捨てられ、悪しき戒が現れます。
かくのごとくして、邪見、邪思惟、邪語、阿羅漢たちへの敵対、正しくない法の教示、自己への称讃、他者への侮蔑といった、悪しき不善の諸法が、邪見に縁って生ずるのです。

居士たちよ、それに関して、理知的な者たちはこのように省察すべきです。
『もし他世がないなら、(他世はないと主張する)尊大なる人物は、身体の破壊によって、平穏に到るであろう。
しかし、もし他世があるなら、(他世はないと主張する)尊大なる人物は、身体の破壊により、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わるだろう。
仮に他世がなく、彼ら尊大なる沙門婆羅門たちの言葉こそが真実であったとしても、その場合でもやはり、この尊大なる人物は、現世において、理知的なる者たちによって非難されるべき者である。
なぜなら、かくのごとき虚無論者は、現に悪戒の人であり、邪見者だから』と。」
(パーリ仏典 中部 無戯論経)

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rekisi_zukiさん

2019/9/1515:23:49

僕なりに解釈したら次のようになりました。参考にしてください。

薪が火に焚かれて灰となると、それは物質の形状の変化にすぎず、前後関係(薪から炭という別の物質に移行)したわけではない。同様に、生死の関係も、生きていた生命体が死という状態に移行するだけであり、生と死には因果関係といった形で前後関係が見いだせない。

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sai********さん

編集あり2019/9/1503:20:37

まず、前田専学先生の語られておられるように、「すべてのインドの哲学諸体系は、おそらく唯物論を唯一の例外として、この輪廻を前提としているのである」と。

インド的思考 春秋社

前田先生の論が正当と思います。



輪廻思想は人間の情に合わぬとか、合理的でないとか、不人情である、差別思想を生むとかの論議とはまったく別問題であり輪廻が有る無いの話ではないでしょう。

愚かな持論を無理に述べて仏教を語るより、仏教徒・僧侶・禅仏教をやめれば良いのではないでしょうか。

輪廻がなければ浄土に往生することも嘘になります。

Eテレでの「100分で読む名著」で、曹洞宗のNが言っていたように浄土も想像でしょうということになります。


そういう方は古くさい、インド・天竺の教え、思想に帰依する必要はありません。

仏教の考え方、輪廻思想そのものに反対すればよいだけの話です。

仙道でも静座をします。

しかし輪廻思想はありません。


さて、ご質問のこの道元禅師の述べておられることは未だに真意は分りません。

それで大胆なことを述べてみますと、道元禅師の云わんとされたことをエリア派のゼノンのパラドックスで考えてみます。

「目的地には到達できない」というゼノンのパラドックスは明らかに現実と矛盾します。

スタートから秒速10メートルで走り100メートルの中間地点まで、5秒を要するとします。

すると残り50メートル次の中間地点までは2、5秒です。

次に残りの25メートルは2、5/2秒

さらに残りの12、5、メートルは1、25/2秒いつまでも到達できません。

∞ですね。

しかし現実には10秒で目的地に到達できます。


目的地に到達する時間は無限の足し算で求められることになります。

永遠に到達することは無くどうしても薪が灰になるはずがありません。

しかしながら燃やせば現実には薪は灰になります。


結論を言えば、現状公案のこの記述は世間の人がこだわっている輪廻の話ではなく、道元禅師はこのような時間、時間論を述べておられるのではないでしょうか。


現在しかないのだということを。



刹那を。

不生不滅を。

私は当時の超先進国、宋の国にまで渡った天才道元禅師がゼノンの事をギリシャの事を知らぬ筈はないと思うのです。

仏教の五感もギリシャのアリストテレスが端を発したものです。


光明会元上首山本空外上人様がギリシャ哲学が分らぬと仏教は分らぬのですと何時も述べておられました。

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euq********さん

2019/9/1211:48:29

人の一生の中で四季は巡ります。
輪廻とは四季です、青春朱夏白秋玄冬です。
四季の中で不変の物は有りません。
人も然りです。死後の輪廻は無意味です。

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