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劉備は益州を攻略する際に、諸葛亮ではなくほう統を連れて行ってますが、劉備は作...

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ID非公開さん

2019/9/2322:12:34

劉備は益州を攻略する際に、諸葛亮ではなくほう統を連れて行ってますが、劉備は作戦参謀としてはほう統をより評価していたということでしょうか?

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kum********さん

2019/9/2510:52:53

張松や法正等の協力要請から、益州攻略を強く進言したのは龐統です。諸葛亮は確かにグランドラインは示したかもしれないが、より具体的な戦略部分は龐統によって示されたと言って良い、だからこそ劉備も彼を連れて行ったのだと思います。

確かに後方を押さえてもらうことは大事ですが、それと同じぐらい自分のそばで戦略、戦術を練ってくれる人物も必要だった。龐統は元々諸葛亮と並ぶぐらい評価が高かった人物です。成算もなく益州攻略を進言するような人物ではない、と見たからこそ彼を連れて行ったのでしょう。諸葛亮と違って目立ったエピソードがなかったのに、諸葛亮と並ぶ官位だったことから考えても、既に劉備は信頼していたと思いますね。

まあ意外と呉の回し者として劉備を監視していた説も、面白いと言えば面白いですけどね。私的評価ですが、諸葛亮との比較は以下のような感じです。

諸葛亮 武勇49 統率83 知謀69 政治99
龐統 武勇45 統率79 知謀91 政治80

諸葛亮は政治が99と突出して高い、もちろん統率も高いのですがその一方で策略が多少劣る、と言う評価です。これは陳寿も言ってますし、ライバルの司馬懿も弟への手紙で言及しています。そのため軍事に関わる武勇、統率、知謀がややアンバランスになっています。一方龐統は政治は諸葛亮よりも低いですが、軍事面の能力バランスは諸葛亮より良い、と言う感じですね。

元々人材を発掘するのが好きな人物だったので、長期間仕えていれば、魏の荀彧のように多数の人材を引き上げていたかもしれません。彼は曹操同様多少の欠点には目を瞑ってでも使いこなそうとするタイプだったので、そうなるともっと政治能力の評価も高くなってたかもしれませんね。

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    質問者

    ID非公開さん

    2019/9/2511:48:28

    ありがとうございます。個人的な意見ですが、諸葛亮が神格化されているので、どうしても比較対象が欲しくなってしまいます。劉備がほう統を作戦参謀として期待して連れて行ったのなら、ますます想像を膨らましてしまいます。

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ooo********さん

2019/9/2617:14:22

まぁ、何をならべても死んでますから。
粉骨砕身、蜀を盛り立てた諸葛亮と比べるとことすらおかしい。
実績がなさすぎる。
ゲームの数値にしたがる人は基本、厨ですよね。

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漢晋春秋さん

2019/9/2419:31:02

参謀として龐統の方を評価していたというより、失ってはならない荊州の抑えを最も信頼出来る人物(関羽と諸葛亮)に任せた、ということだと思ってますけどね。
もちろん、新参の龐統の能力や人となりを実戦で確認する意味合いもあったでしょうけども。

まあ少なくとも、隆中対において大局的戦略構想を披瀝した諸葛亮より龐統を評価すべき要素はありませんね。あの時の龐統にはまだ官僚としての実績しかなかったわけですし。劉備の中で評価が定まってなかった証拠に、龐統は献策をたびたび却下されてますよね。上中下の三策を示して上策を却下されたり(中策を採用)とか。
龐統が流れ矢に当たって戦死してしまったのは完全に不慮の事故で、困った劉備は諸葛亮を呼び寄せていますね。その頃にはおそらく劉備の中でも龐統の代役が務まるのは諸葛亮だけ(龐統は諸葛亮に匹敵する人材)だという評価になっていたものと思われます。

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gur********さん

2019/9/2417:55:56

諸葛亮は参謀というより政治家として才能があり、加えて荊州=関羽の抑え役に最適として後を任されのでしょう。
参謀として才能があるのはホウ統だと思うので、劉備の人選は的確だと思います。
ホウ統の死は痛手ですね…、そのままいれば、ホウ統と法正で劉備の補佐は可能ですし、諸葛亮は荊州の政務を趙雲は南部の呉の抑えとして荊州に残り、関羽は憂いなく北伐が可能になっていた可能性が高いでしょう。

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te9********さん

2019/9/2407:39:48

諸葛亮と龐統は同じ官位(軍師中郎将)であり
どちらも益州攻めで軍を率いたりしました。

諸葛亮はいろんな役割を兼ねていたために
作戦参謀の役割に特化してなかった、ということかと思います。

曹操のように組織として整備されてたら
オールマイティな活躍の場はなかったかもしれません。

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sna********さん

2019/9/2406:41:26

劉備が存命中は諸葛亮は軍事に携わる事はほとんどありません、これは劉備が諸葛亮の軍事の才能を評価していないと言うより、領土の統治や後方支援に諸葛亮が必要不可欠であったと言う事でしょう

正史には赤壁後、諸葛亮に荊南三郡を督させ、その賦税を調収して軍資に充てたとあります、劉備は演義では戦下手のイメージですが、実際は当時劉備以上の軍歴の持主は曹操だけです、益州には内通者の張松がいますし使者として法正も劉備の元にいます、諸葛亮を従軍させる必要はないでしょう

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