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学校の日本史ってなぜ嘘を教えているのですか? 秀吉は木下→羽柴→豊臣となった...

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ID非公開さん

2019/10/1415:14:33

学校の日本史ってなぜ嘘を教えているのですか?

秀吉は木下→羽柴→豊臣となったみたいに書かれていますけど、豊臣朝臣というのは天皇から賜った氏姓であって、死ぬまで羽柴ですよね?

と、豊臣秀吉って表記もおかしくないですか?
氏と名前を書くのであれば、織田信長は「平信長」、徳川家康は「源家康」、毛利元就は「大江元就」となりますよね?
さらに秀吉は豊臣を配下の武将に与えていたので、真田信繁(幸村)は「豊臣信繁」、宇喜多秀家は「豊臣秀家」、果ては瀬戸内海の海賊の村上武吉も「豊臣武吉」となってしまいます。
そっちに合わせると混乱を招くだけなので、やはり秀吉を「羽柴秀吉」、秀頼は「羽柴秀頼」として統一し、教科書で教えるべきではないですか?

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one********さん

2019/10/1509:55:29

私の手元にある書状から、秀吉と光秀の自署の変遷を書いてゆきます。

永禄12(1569)年には、「木下藤吉郎秀吉」と「明智十兵衛尉光秀」とあります。

天正元(1573)年には、「羽柴藤吉郎秀吉」と「明智十兵衛尉光秀」。

天正2(1574)年10月も、「羽柴藤吉郎秀吉」と「明智十兵衛尉光秀」。



天正3(1575)年7月3日、松井友閑は「宮内卿法印」に、武井夕庵は「二位の法印」に任じられ、明智光秀は「惟任」姓を名乗ることを許されて「日向守」となり、簗田広正は「別喜右近」となり、丹羽長秀は「惟住」姓を名乗ることが許されました。



私の手元には、残念ながら秀吉の自署に関する書状は上記天正2(1574)年10月までしかありません。

天正3(1575)年7月7日には、光秀は「惟任日向守光秀」と署名しています。

しかも、「惟」を「維」と書いています。

2015年時点で確認されている光秀の文書資料(書状等)計174点を調べたところ、「惟」を「維」と間違えたものを3点見つけました。

これも、教科書で教えないといけないのでしょうか!?

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ベストアンサー以外の回答

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2019/10/1505:12:08

豊臣関白殿下なのでは?
その前は、羽柴筑前守。
秀吉という名は有っても、そう呼ばれていなかったと思いますよ。
織田上総介(若き信長)、惟任日向守(晩年の明智光秀)等。

徳川家康は源を名乗っていたが、チャンチャラ可笑しいですな。

lig********さん

2019/10/1502:37:47

別にウソを教えているわけではありませんよ。
とりあえず現状の共通認識を教えているだけでしょう。学問的知見としては日々研究が深化しており、歴史に対する理解も変わっていきます。昔と今では教科書の内容も変わっていますよ。
しかし、それはウソを教えているのではありません。現段階の学問の到達点を教えているのです。研究の最先端はまだ議論の途中段階なので、教科書に載るのは多少遅れることになりますが。
豊臣秀吉について言えば、先行回答のように秀吉が羽柴を名乗ることも呼ばれることも同時代の史料上はなくなってしまいます。確かに苗字は羽柴のままのはずですが慣用的に後世の史料では豊臣秀吉と呼ばれている。また、豊臣は姓なので「とよとみのひでよし」と呼ぶべきとする主張もあります。織田信長も「おだ」ではなく「おた」であるという議論もあります。人名の読み方は他にもいろいろありますね。
歴史用語やその定義に関しても様々な議論があり、教科書から消えた用語もあれば増えたものもあり、解釈が変わったものもあります。慣用的に古い用語を使い続けることもあります。
どれが正しいとかではなく、それだけ様々な議論があるのです。教科書はあくまで最大公約数的なものを載せているにすぎません。

学校で習う知識はあくまで基礎的なものにすぎません。あらゆる可能性に対応するための土台作りです。学校を卒業して終わりではないのです。知識は常に更新し続けなければならないのです。

そういうわけで教科書を変えるべきものがあれば変えることも必要でしょう。しかし、それをウソと言ってしまうのは、今までの経緯、つまり歴史を軽んじることのように思います。

sas********さん

編集あり2019/10/1422:28:28

なんかどうでもいいかなとは思います。個人の識別なんで現代ではその呼び方がそうならいいとは思います。
あなたがそうしたいなら運動してそうしたらいいはなしですね、まあ実際は方言も混じるし呼ぶ人によって変わるかとは思うので識別さえできればいいのでは?
まあ徳川家康を初面会した際は豊臣の秀吉であるとか言ってたかとは思いますが。

sto********さん

2019/10/1421:34:52

質問の件について、近世史を専攻する歴史学者の堀新氏が、解りやすく説明されいるので引用します。

現在では、羽柴名字を隷属した大名に授姓し(羽柴授姓)、尚且つ本姓を豊臣に改姓(豊臣改姓)させる武家編成策を実施したと理解されていますが、以前までは、秀吉の羽柴授姓は江戸幕府の松平授姓と同じと考えられた。
つまり「徳川と松平」同様に「豊臣と羽柴」と理解されていた。

秀吉の本名は「豊臣秀吉」ではなく「羽柴秀吉」ではないかと、今から23年程前に指摘したのは中世史が専門の歴史学者・黒田基樹氏でした。

本来であれば、「羽柴秀吉」と記すべきだが、織田信長の家臣時代の秀吉を連想するので、堀新氏は混乱をさける為、これまでどおり豊臣秀吉と表記すると断りを入れています。

意外なことに、平成になってから判明したのですね。
公家の日記には、秀吉を「関白」「殿下」と記されているし、秀吉自身は「てんか(天下?殿下?)」と自署しているので、なかなか判明しなかったのでしょう。

いずれ表記が羽柴秀吉に替ると思います。

lit********さん

2019/10/1418:42:46

家康は源家康ではなく徳川家康

であるならば秀吉は豊臣秀吉ではなく羽柴秀吉

これは必ずしもそうであるとは言えないんですよ。

例えば公家の近衛家

藤原という氏、本姓というものは
叙位任官などにあたりそう呼ばれることはあっても
日常的には自分は近衛なにがしと名乗って藤原という氏、本姓を使ったりしません。

信長にしろ家康にしろ
平だとか源という氏、本姓は
特別な場合においてのみ使い
普段は織田や徳川という苗字を名乗っていました。

完全に使い分けしていたわけです。


ところが秀吉の場合
豊臣姓を下賜されて以降
羽柴という苗字を名乗った、使用した記録、史料がないんです。

秀頼の場合など
羽柴秀頼
と名乗った気配が存在しないんですね。

それで従来
豊臣姓を下賜された秀吉らは
家康が松平から徳川に改姓したように
羽柴という苗字から豊臣へと改姓した

そう考えられていたんです。


ところが
氏、本姓と苗字というのはそもそも本来別々に存在していたものであり
豊臣という氏、本姓を下賜されても
羽柴という苗字は別に捨て去ったわけではなく保持していたのではないか

そう解釈されるようになっているんです。

けれども上にも記したように
秀吉が豊臣姓を下賜されて以降
羽柴秀吉
と名乗った記録はありません。

ですから
織田信長、徳川家康
などと同列に
羽柴秀吉、羽柴秀頼
とすることはできません。

羽柴秀頼
そう名乗ったこともないのに
豊臣秀頼ではなく羽柴秀頼だ!

それが適当なことだと思いますか?

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