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カトリックの洗礼を受けて数年になります。 最近、だんだん告解をするのがいや...

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ID非公開さん

2019/10/2200:03:10

カトリックの洗礼を受けて数年になります。

最近、だんだん告解をするのがいやになってきました。
と言うのは、担当司祭が告解の後まで、批判するような顔でこちらを見るのです。

法に触れるようなことでなくて、かつカトリックで禁じられていることはいろいろあって、でも信徒の中には、世間では皆やっているからいいではないかと言って平気で、告解もしない人が時々います。だから司祭はその人達が本当は告解の対象になるような事をしているのを知らない。

その一方で、カトリックの規範に照らして、大罪でなくても、小罪にも敏感で、まめに正直に告解する人が却っていい加減な生活をしていると思われてしまう。

司祭は告解においては神との仲介者で、許しを与えるのが役割なので、他の事は真実を全てご存じの神を信じて暮らせばいいのだということになるのでしょうが…。正直に告解をしたばかりに司祭から批判的な目で見られるようになり、カトリックでは大罪になるような事にも鈍感で平気な人はいい信徒だと思われていたりする。

こうなるとだんだん告解をするのがバカらしくなってきて、プロテスタントのように自分の心の中でだけ神と向き合っていればいいので、なまじ教会に所属する信徒の全ては知らない司祭に何かしゃべっても裏目に出るだけではと思えてしまう。

これは人間対人間で考えるからこういう論になるので、告解の秘跡にあずかる事を大切に考え、人の思いは過ぎ去るものと考えればいいのかも知れない。でも何か割り切れませんね。秘跡としての許しをいただいた後までも、人の思い(司祭の個人的感情?)によって裁かれ続けるなら、告解なんてしない方がいい。

告解をする司祭を選ぶのは良くないことだと思っていたから、いつも告解に行く事の方を先に決めて、司祭はその時間に担当だった司祭を神の摂理と考えて受け入れてきました。でもこれから少し考えを変えようかと思っています。

カトリックの方はどう思われますか?
(回答はカトリックの方に限定させていただきます。)

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2019/10/2219:00:11

カトリック信者です。

>担当司祭が告解の後まで、
>批判するような顔でこちらを見るのです。

。。。。気にしすぎなんじゃないですかね。

まあ、こういうのが嫌で、告解(最近は「ゆるしの秘跡」というが)は、遠くの教会に行ってやるってのがよくある。

もともと告解をするのは、特定の司祭と決めるのが普通で、これが confessor、聴罪司祭。だから、知り合いで遠くの教会や修道会にいる神父を聴罪司祭としている人も結構いる。

。。。ということで、必ずしも自分の所属教会の、それもあまり気の合わない司祭に告解をする必要はないです。

遠くのあまり交流がないような教会の神父を見つけて告解をするっていうのも手でしょうね。

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