徳川家康は、弱小大名で早い段階で消えてもおかしくない武将でしたが、信長、秀吉...
ID非公開さん
2019/11/409:00:55
徳川家康は、弱小大名で早い段階で消えてもおかしくない武将でしたが、信長、秀吉の時代をうまくいき天下をとりました。
今川、北条、武田など大大名は消えていきましたが徳川は残った理由はなんだったのでしょう、運だけでしょうか、家康自身も何か他の大名とはちがうところがあったのでしょうか、何だと思いますか?
補足覇王信長、風林火山の武田信玄、毘沙門天の化身の・上杉謙信、海道壱の弓取り今川義元、難攻不落の小田原城の北条、独眼竜政宗、マムシの斉藤道三、
そして、天下人の秀吉、最後立ちふさがった忠臣、石田三成、赤備えの名勝真田幸村
まわりは、すごいのばかりです徳川家康には、まったくといって勝機はないように思えます。
でも最後に天下をとったのは家康
古狸といわれたぐらいですかね、あと野戦の名手
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2019/11/500:02:12
まあ、信長についたという幸運もありますが、要因は三つあります。
第一は家臣団の団結と忠誠です。
跡継ぎの家康が織田家に拉致されて不在の時に父の広忠が暗殺されました。
通常であれば家臣団が動揺し、松平家を見捨てるもの、竹千代以外を担ぐものと、大混乱になったはずですが、家臣たちは竹千代の帰還まで十年以上耐えて待ちました。
素晴らしい。
第二は家康です。
今川時代、信長時代、秀吉時代とずっと律儀な男で通しました。
当座は損とわかっていても律儀な行動に徹しました。
家康が食えないタヌキぶりを初めて見せるのは秀吉の死後です。
律儀な男の評価がなければ信長にも秀吉にも警戒されて、天下人にまで伸びる前に芽をつまれていたでしょう。
第三も家康です。
彼は歴史の勉強が好きで、清盛から秀吉まで先人たちの良かったところ、悪かったところをよく研究しました。
その研究成果を天下取りと天下の維持にフルに活用しました。
2019/11/420:30:48
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉通りです。人ができる出来る限りを尽くしたその最後に、天運としか言いようのない幸運によって助かっています。
家康の絶体絶命の一つが武田信玄に三方ヶ原に敗北した事です。それまでの信玄の調略によって周辺の味方勢力を散々に切り崩されて、ボロボロの状態で戦わなければ最後に残った者たちの人望すら失う程に追い詰められました。家康はまんまと誘い出され信玄に攻められて敗北しました。その後の信玄の急死がなければこの時点で家康は積んでいたでしょう。
信長が本能寺の変で倒れ、その息子の信忠も討たれた時には家康は家臣と共に堺見物の途中でそこから自国まで逃げる伊賀越えを決行しましたが、その途上で何百人という犠牲者を出しています。途中で味方につけた地元勢力の下、なんとか逃げ延びましたが、今日でも想像を絶するような山道を生き延びたのはもはや強運としか言いようがありません。同行していた穴山梅雪が別行動をして山伏に討たれています。
また秀吉と事を構えた小牧長久手の戦いにおいても家康は局所的な勝利を収めましたが秀吉はなおも軍を率いる用意をしていました。しかし大地震が起きて被害が出たために秀吉は更なる出兵を断念しました。家康を取り込む方へ転換しなければいずれ負けていたでしょう。
これらの状況を見ると家康がとんでもない強運の持ち主だと言わざるを得ません。無論そこに至るまでの状況を読む目と、窮地に陥りながら必死に打開策を練り続ける根性があったからでもあります。(そうでなければ幸運が転がりこむ前に滅んでもおかしくない状況でもありました)信長、秀吉、家康の内で最も敗北や敗走を経験しながら生き延びて糧にしたのは家康でしょう。
後に息子の秀忠が剣術に熱中しているのを見て戦い方より避け方を学ぶように言っています。戦場の混乱で偶然乗り込んできた敵の一人二人を切り抜ければ、かならず周囲の味方に助けてもらえる。大将が戦わなければいけない状況になる方がいけないという事です。また水練と馬術もきちんと習うように言っています。どちらも敗北したら身一つで逃げなければいけないので川を自力で逃げるために上達しなければ溺れてしまうし、乗馬に長けていなければ生き延びられないからです。戦いに万全はありません。戦いに常に勝利できる訳ではなく、幾度もの敗北の上で家康は生き延びていて、いざという時に幸運をつかんでいる人間だと思います。
2019/11/418:55:50
松平家はけして弱小なわけではなく家康の祖父清康は三河をまとめて織田や今川に対抗する勢力でした。不幸な事件により今川を頼るしかなくなり今川氏もその強力な家臣団を味方にする為に家康の教育を太原雪斎にまかせ親戚筋とする為に瀬名姫を嫁がせています。つまり今川家でもエリートなんです。
ですから織田家でも味方に出来れる事は大きな功績となります。
この様に2大勢力の間で潰される事無くうまくまわりの国人たちを取り込み勢力拡大するのは毛利元就と同じですね。
自分の価値を見極め相手が何を自分に期待しているかを理解しそれを踏まえてどう立ち回れば特になるかを理解していた、あるいはそれを理解できる家臣を重用したのだと思います。
2019/11/414:50:40
信長の命令で妻子を殺されても、絶対に逆らわず、信長が本能寺で死ぬまで裏切らなかった。
[味方を裏切らない]は大きなポイントです。
織田信長の家臣の中で、明智光秀が一番能力が高いように思いますが、[主君を裏切った]←この一点で、明智光秀の評価は[裏切り者]です。
本能寺の変後、光秀は、全国の大名に協力の要請の書簡を送りましたが、親戚の細川家も含め、誰一人として光秀に賛同しませんでした。
安倍さんは[お友達内閣]と言われるくらいに身内を大事にしています。
一方、ライバルの石破さんは、すっかり[味方を後ろから撃つ人]のレッテルを貼られてしまいました。
安倍総理より能力の高い政治家は多いと思います。
しかし、[身内を裏切らない]と言うのが、安倍内閣が安定している理由です。
マスコミは、[昔は自民党は身内で殺し合っていたのに、今、誰も安倍さんに逆らわない]と言ってますが、[身内の]自民党からしたら、[身内を裏切らない安倍さん]と喧嘩する理由が無いのです。
石破さんは、その中で[戦う決意]をしたようですが、[身内を裏切らない人]に敵う訳がありません。
最近では、調子に乗って、身内批判をマスコミにペラペラ喋っていた小泉進次郎議員も、身内から冷たい目で見られています。
これから思うに、徳川家康も[絶対に身内を裏切らない人]と思われていた事は、かなり大きなポイントだと思います。
最近、室町時代に興味を持って、いろいろ調べてますが、足利尊氏も[戦上手で性格が良いから将軍になった]と書かれているのを見つけました。
まだ、どのように[性格が良い]のかは調べて尽くしてませんが。
ただ、足利尊氏は[政治能力が無い]ので、幕府の組織作りに失敗して、室町幕府は、初めからグダグダでした。
[能力]以上に[味方との信頼]が、天下を取るには必要なようです。
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`さん
2019/11/411:05:23
三河の松平家の事ならきちんとマニュアルで手順を踏もうとしたからだと思います。結局日本の戦国時代のノリのいきあたりばったりの馬鹿な奴らが退場しただけだったというような言い方にしかならない世界だったと思いますよ。秀吉だってそうじゃないですかね晩年以外は。www
所詮マニュアルじゃないですか。wwwwwwww
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