ここから本文です

平清盛が、宋銭を輸入したのは凄いことなのでしょうか。 今まで資産になる様な...

unk********さん

2019/11/1123:32:57

平清盛が、宋銭を輸入したのは凄いことなのでしょうか。

今まで資産になる様なものは土地、お米、絹などくらいしかなかったところに、おカネと言う概念を持ってきたのでしょうか。

清盛のずっと前に皇朝12銭がありますが、ほとんど流通しなかったのでしょうか。

閲覧数:
17
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

ゆっちさん

2019/11/1200:25:04

実態としては,明銭が流通した時代の倭寇を足利義満が統制し,勘合貿易を実施した状況に似ています。

異なるのは,平清盛は「私貿易」の形態による「日宋貿易」で宋銭を入手したことにあります。御指摘のように,現物ベースの資産に,「おカネ」という現物と現物を媒介する財産概念を取り入れ,現実的に入手・活用しようとしたのは,大きな意味があるでしょう。

唐の「開元通宝」を模倣した和同開珎から乾元大宝までの皇朝十二銭は「蓄銭叙位令」に見られるように,流通資産というより,示威資産の意味合いが強かったですからね。

清盛は,「政和通宝」など宋の銭貨をそのまま移入したところに,統一王朝の権威を背景とした流通資産に着目した経済センスの高さがうかがえますね!

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

met********さん

2019/11/1205:32:48

すごいことです。

日本では皇朝十二銭というのがあったのですが、貨幣経済を定着させるには至りませんでした。

第一に当時は経済のレベルが通貨を必要とするところまでいっていませんでした。
第二に、そもそも朝廷も国民も通貨の意義を理解していませんでした。
通貨の第一の意義は物々交換に替わる円滑な商品交換の媒介ですが、そこを理解していない朝廷が中国の猿まねをしようとして、銭を貯めよという命令を出したので、銭は退蔵されてしまい、貨幣経済を産み出しませんでした。
また、朝廷の無知から自ら通貨の信用を下げるような政策をとったために、皇朝十二銭は言わばババ抜きのババ、できるだけ早く手放すべき疫病神となってしまいました。

しかし、平安時代四百年を経て日本の経済も徐々に発展し、商品交換の媒介物が求められるようになりました。
当時は反物や砂金が貨幣の代わりを勤めていたようです。

そんなところに宋銭が輸入されたのです。貨幣経済がどんどん発展していきました。
今日でも自国通貨に信用がなく、輸入(?)された外国通貨が代わりを務めているというのは途上国や経済が混乱した国にはよくあることです。

信じられないことですが、平安時代の終わりか鎌倉時代の始めには京都にはもうファストフードの店もあったそうです。宇治拾遺物語に鮒寿司を売り歩く女の話が収録されています。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる