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なぜ、①日本人はなぜ中国の歴史の一部である三国時代(三国志)が好きなのですか?

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ID非公開さん

2019/12/1007:45:58

なぜ、①日本人はなぜ中国の歴史の一部である三国時代(三国志)が好きなのですか?

②邪馬台国と三国時代の関係は❓

③日本の文明はいつ三国時代の中国に追いつきますか?

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ID非公開さん

2019/12/1013:53:38

これは明らかに勘違い。魏志倭人伝と書かれてるから、日本の事だと。
当時の朝鮮半島には数多くの倭人が暮らしていた。邪馬台国とは実は韓国南部にあったんですね。日本が中国と外交関係を結ぶようになったのは5世紀頃。
とにかく日本には、神社や民間伝承、万葉集、風土記、民俗信仰、昔話のどれを探しても魏志倭人伝で書かれてるような、邪馬台国や卑弥呼・台与、倭国大乱のそれらしき痕跡が全然見当たりません。
卑弥呼が貰った金印や刀、銅鏡は韓国南部を探せばいずれ見つかるでしょう。

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    質問者

    ID非公開さん

    2019/12/1014:01:37

    ついに、邪馬台国発見されたんですか?

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kii********さん

2019/12/1623:27:09

1。三国志の登場人物は当然ながら中国でも人気があり関羽のように神様にまで昇格した者もいるし、日本の芸能で演目となっていたのと同じく中央アジアや東南アジアでも伝統芸能の演目となっています。
要するに、エンターテイメントして普遍的な魅力があるわけです。
また、他国の文化に触れる機会の少ない日本はそういう物語から海の外のことを学んできた。
近年だけのことで言えば、やはり吉川英治の影響が最も大きいでしょう。
吉川版三国志は決して三国志演義に忠実ではなく、ましてや史実とはかけ離れていますが、純粋に小説として傑作です。彼以降の日本の三国志モノはほぼ全てが影響を受けていると言えます。

2。日本は魏と一種の同盟を結んでいたと考えられますが、軍事・政治でどれほどの関係があったのかは不明です。
ただ、日本の銅鐸はその分子組成から出身地が判明しており、当時の燕のあたりで作られた銅が渤海を通じて輸入されていたことがわかっています。
つまり、卑弥呼以前の日本の権力者は魏ではなく呉と通じていた。
しかし、日本でおそらくは政権交代が起き、銅鐸を破棄して銅鏡に移行した際、日本は呉から魏に鞍替えしたことが推察できる。
呉からすれば、魏を側面から攻撃することが可能な同盟国を一つ失ったわけで、そこにはおそらく、魏からの多大な利益の供与があったのでしょう。
その一つがおそらく養蚕です。
日本はこれ以前から北九州では養蚕がありましたが、その技術は低く、手編みでした。
しかしこの時期に渡来した秦氏が精緻な機織り機を導入して日本の衣服は大陸に輸出できるレベルに大進化を遂げる。
機織り機の機と秦(はた)のことですから、日本語での機械の代名詞となったわけですから、それがどれほどのインパクトを持っていたかは容易に推察できます。

3。まあ、なにやらレベルが低い恣意的な質問ですが、少なくとも日本人は「古代中国は」好きですしリスペクトをしている。それで十分でしょう。

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jff********さん

2019/12/1116:06:50

順番に答えます。
① 何と言っても三国志をベースに作られた歴史小説・三国志演義の面白さに惹かれたのだと思います。英雄達が入り乱れて活躍するこの小説がなかったら三国時代がこれほど注目を浴びることはなかったと思います。私も高校時代に夢中で読みました。
② 邪馬台国が書かれている魏志倭人伝は三国志の一部で魏への朝貢国としての日本について書かれた史書です。全く同時代になります。
③ 質問の意味がよく分かりませんが、三国時代の前は漢の時代です。全盛期の漢は古代ローマに匹敵する文明を持っていたのは間違いありません。ユーラシア大陸の西と東で超大国があったことになります。
所が、最近出版された『九州の邪馬台国vs纏向(まきむく)の騎馬民族』と言う本を読むと、三国時代になると人口が激減してしまい、10年ほどで6分の1になったと言うのです。黄巾の乱や大きな気候変動があったためです。多くの人達が死に、または逃亡しました。英雄達の華々しい活躍もそんな背景があったからだとすれば、三国時代のような時代は願い下げです。追いつく必要もありません。

2019/12/1022:40:44

①日本人にとって解り易い国取り合戦のような状況、多くの登場人物への共感し易さが挙げられます。また、司馬氏が台頭するまでどの人物も成功しない諸行無常な物語がどことなく入り込み易い物語になっています。

②邪馬台国の卑弥呼が、三国志の後半期に魏の曹叡(明帝)へ使者を派遣します。
当時、公孫淵という武将が魏へ反乱を起こしていたため、「公孫淵を挟み撃ちできるかもよ」という提案をちらつかせたのかもしれません。実際にできるかはわかりませんが。

③規模・国力が違うのでなんとも言えませんが、埴輪などの精度を見ると、古代では追いつかなかったのではないでしょうか。
日本の中世や近世と比較するのはナンセンスですので、やめておきます。

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2019/12/1022:14:08

①横山光輝の影響。
②邪馬台国は魏に朝貢しました。
③邪馬台国は三世紀。中国に肩を並べたのは、三国志→五湖十六国→南北朝→隋の陽帝に聖徳太子が、国書に「日出る処の天子が日沈む処の天子に書を致す。恙無きや。」と贈った七世紀まで待たねばなりません。

mon********さん

2019/12/1008:13:54

事実だけを書きますと、
中国から10万人規模で渡来人が来たのが4世紀から7世紀頃です。
DNAからは男親で1/3が中国由来です。女性親を加えるとかなり大規模になります。混血しているので、同時に縄文由来とも言えますが。
時代を重ねると、三国志の時代を生き抜いた人が、その後日本にきた状態であることがわかります。

事実とは離れて個人的に言いますと、
中国から来た人は、なぜ自分たちの歴史を忘れているのか。
これが問題になると思います。
邪馬台国との関係は微々たるものにすぎません。

まあ、畿内の王朝が原因ですけれど。中国の王朝は、前時代を全部否定して破壊することから始まりますから。そこで強制的に歴史がリセットされています。

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