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鎌倉時代以前には陸奥国になる前、現在の青森県の辺りは何と呼ばれていたのですか?

jjf********さん

2008/12/3022:21:35

鎌倉時代以前には陸奥国になる前、現在の青森県の辺りは何と呼ばれていたのですか?

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nak********さん

編集あり2008/12/3114:25:06

文武天皇(在位697-707)の大宝律令のころ、東山道内の
一国として、陸奥がありました。 712年に、そこから出羽の国が
分離されていますから、確かです。 蝦夷は住民の呼称ですね。
奈良時代には蝦夷=エミシと呼ばれ、平安時代後半にはエゾ
と呼ばれましたね。
鎌倉時代ころには流刑地として蝦夷が島がありました。
(源頼朝軍に攻められた義経や奥州・藤原の一族は、蝦夷が島を
目指して北行しました。 流刑地までは追って来ないのが常識です。)
そのころ、蝦夷が島との境界であった処(今の青森県・陸奥湾沿岸)
は「外が浜(卒土の浜、ソットのヒン)」とか「日ノ本」と呼ばれていました。
(こんなところが実体だったようです。 なお、ニサッタイは、今の
岩手県二戸の付近です。 金田一の近くに仁左平の地名が残ります。)

質問した人からのコメント

2009/1/2 22:56:40

成功 皆さん回答ありがとうございました。エミシとニサッタイですね。よく覚えておきます。

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oni********さん

2008/12/3023:05:09

西部は津軽です。頼朝以後に陸奥国になったと言われます。

isb********さん

編集あり2008/12/3022:43:51

現在の青森など東北地方は
陸奥国となる前には
日本というか、大和朝廷にとって
支配の及ばない”外国”だったんです。

大和朝廷にとっては外国、異民族だったのが
蝦夷(えみし)になります。
(「蝦夷」
という言葉、大和朝廷にとっては異民族である人々を指す言葉であり
その異民族の勢力下である”外国”、を指す言葉だったんです。)

そのなかで
現在の青森県の三戸郡から岩手県の二戸郡や九戸郡にかけてが
「爾薩体」
と呼ばれていたという記録が残っています。

読み方としては
「にさて」「にさったい」「にさってい」
があります。

資料として残っているものが少ないため
わからない部分が多いんですけれどね。

mar********さん

2008/12/3022:24:12

東北方面は蝦夷(えぞ)です。
征夷大将軍というのは蝦夷征伐の将軍という意味で実際に坂上田村麻呂は蝦夷へ遠征しています。

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