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親鸞聖人のご生涯を通して学んだことや感じたことを800字で書かなければいけないの...

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ID非公開さん

2020/2/1620:20:49

親鸞聖人のご生涯を通して学んだことや感じたことを800字で書かなければいけないのですが、なんて書けばいいのか困っています。

例を教えてくれると嬉しいです。

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youichi5959さん

2020/2/1814:55:39

参考に。

親鸞聖人は四歳の時、お父様と、八歳にしてお母さまと死別なさいました。
「今度は自分が死ぬ番だ、死んだら私はどこへ行くのか?」
この悩みを解決せんと九歳で、比叡山天台宗の僧侶となられました。


この時のお気持ちを慈鎮和尚に和歌を詠まれ、明日と言わず今晩、得度の式を挙げて頂きたいと念願されました。如何に親鸞聖人はこの世の無常を痛切に感じておられたかがよく分かります。

「慈鎮様、あなたは明日得度の式を挙げると言われますが今晩私の生命保証していただけるでしょうか。人間の生命は桜の花よりも儚いと言われます。どうか明日と言わずに今日、得度式を挙げて頂きとうございます」
と願い出られ、その日のうちに出家得度なされ天台宗の僧侶となられたのです。


明日ありと
思う心の仇桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは(松若丸/親鸞聖人)


九歳から二十九歳までの二十年間、親鸞聖人は天台宗の僧侶として修行は峻烈を極めました。
天台宗で最も過酷な大曼の行までなされましたが後生の一大事の解決はできませんでした。死んだらどうなるのか。真っ暗な心を抱えて苦しまれました。

二十九歳の春、「とても親鸞のようなものはこの教えでは助からぬ」と天台宗に見切りをつけ、下山されたのです。

京都の町を夢遊病者のようにさまよっていられた時、四条の大橋でかつての天台宗のお友達、聖覚法印様とばったりお逢いになられ、聖覚法印より「私は法然上人のご教導



天台宗一の難関、大曼の行までなされましたが、後生の一大事ができず泣き泣き比叡の山を降りられました。二十九歳の春でした。

下山された聖人は後生の一大事の解決の道を六角堂の祈願、聖徳太子の御廟などに参籠され、祈願されましたが一大事の解決に明かりはともりませんでした。

四条の大橋で川面を眺めていられた時、かつての天台宗のお友達、聖覚法印とバッタリ遇われたのです。

「親鸞殿ではござらぬか?」
「おお!聖覚殿ではござらぬか!今はどちらに住んでおられるのか?聖覚殿は後生の一大事の解決はどうなされましたか?」

親鸞聖人は聞かずにおれませんでした。
「親鸞殿、よく聞いてくださいました。私も後生の一大事の解決のために狂いまわりました。
そして法然上人という真の仏法の先生にお会いし、後生の一大事の解決の道を聞かせて頂き、そして阿弥陀仏の本願に救われました。幸せ者でございます。親鸞殿!是非法然上人より、阿弥陀仏の本願を真剣にお聞きください。必ず、絶対の幸福に救われることでしょう。さあ参りましょう」と聖覚は親鸞聖人を吉水の法然上人の許へお連れしたのです。

それから聖人は雨の日も風の日も真剣に法然上人より弥陀の本画を聞き開かれ、ついに阿弥陀仏に救い摂られました。二十九歳でした。

それから六十一年間、「阿弥陀仏の本願は平生生きている今、絶対の幸福に救い摂って下さるのだよ」と教え続けられました。


【御臨末の書】
我が歳きわまりて安養の浄土に還帰すというとも和歌の浦曲の片男波の寄せかけ寄せ架け帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり。

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    質問者

    ID非公開さん

    2020/2/2015:24:53

    お礼遅くなりました(><;)
    ありがとうございます!何とか書くことが出来ました、大変助かりました!

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