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独ソ戦をドイツが予定通りの時期に開始していたとしても、攻勢期間が2~3ヶ月伸びる...

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ID非公開さん

2020/3/2203:53:57

独ソ戦をドイツが予定通りの時期に開始していたとしても、攻勢期間が2~3ヶ月伸びるぐらいで、モスクワを落とすことは不可能だった?

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わっかさん

2020/3/2211:46:49

天候的にはやや有利になりますが、ドイツ本国〜モスクワ間の輸送距離が短くなるわけではない。ロシアのようなインフラ未整備の土地では、距離を進めば進むほど戦車や輸送用車両の故障はどんどん増えて行きますし、占領地や兵站線も敵地なので警備や占領のための兵力を配置せねばならない。モスクワ全面まで到達すれば、その長大な兵站線を通じて支えきれる兵力量はずいぶんやせ細ってしまいます。一方赤軍はまさに兵站根拠地の目の前で戦うわけで、ドイツ軍よりは大きな戦力を楽々と運用できる環境になる。
短期間で長駆突破を果たすということは、戦闘以外の要素でも凄まじく消耗するということです。
当時のドイツにとって、モスクワやレニングラードは、その国力を超えた彼方に存在していたということです。
ドイツ軍のそういう弱点はソ連側でも重々承知していたので、たとえモスクワを明け渡しても、ナポレオン同様、ドイツ軍にそれを維持することはできないと分かりきっていたわけで、国の戦意にもほとんど影響を与えなかったでしょうね。
作戦とは、敵の戦意や実力も考慮して、達成可能なものを立てねば無意味ということです。

ベストアンサー以外の回答

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iik********さん

2020/3/2219:10:04

「独ソ戦」を考えると「運命」ということを考えてしまいます。

せいぜい幕末からの北方イメージしかない日本人に、中世以来の東方移民の感情を残しているドイツ人を理解するのは難しいのかもしれません。

でも、やはり日本人からすれば、「独ソ戦」はやめてほしかったですよね。
というのも、結局結果からの理解ですが、「ドイツの勝つ目」が全く見えません。

「当時」としては、「ソ連政府の実力」にも、「ソ連国内での民族対立」にも、「社会主義政権」にも、「ドイツ人」が賭けてみたい誘惑に駆られるのはよくわかります。
「ノモンハン」より「冬戦争」を参考にしたかった気持ちはよくわかります。

それでも、やっぱり「独ソ戦」は無理だったってことですよ。

その辺がある意味「バルバロッサ作戦」の立案に出ていると思います。

「独ソ戦」の敗北は、特にドイツ軍人が「ヒトラー」に責任転嫁していますが、そんな単純な話じゃあないですよね。

この当時の最初の立案とも言える「マルサス案」は、というかこの案だけが「モスクワ占領」重視案でした。

ただ、この案は「私案」に近く、「OKH案」と呼ばれる案では、モスクワ侵攻の中央軸を主力としながらも「ソ連軍の撃破」をメインにしていました。

これを修正した「ロズベルク案」では、再び「都市攻略」が重視され、まず「キエフ」、次いで「モスクワ」という順でした。

結局、決定された「バルバロッサ作戦」では、「ソ連軍撃破」と「キエフ」、ついで「レニングラード」が先にされた一方、南方での進出が強調されました。

もっとも、これら有名な説明の内容は「第一段階」のことで、「第二段階」までに、つまり年内に全案が「モスクワ攻略」を目標にはしていたんです。

これらを簡単に言葉で説明すると、「ソ連軍撃破」と「モスクワ攻略」という単純な部分では一致していたものの、その過程の戦略目標では「国防軍」内でも不一致だったが、次第に「戦略物資確保」という方向にシフトした、ということです。
付け加えるなら「研究するほど短期決戦では済まない」という考えになったってことです。

んで、さらに「実戦」を語るなら、「7月」に終わる筈だった「第一段階」に2カ月遅れの「9月」になっても届かず、しかも、補給網整備は一段階レベル予定線までも整わなかった、ということです。

つまり、ここまで、ここからを再び短くまとめるなら、作戦の大幅な遅延に対し、ヒトラーは「計画通り」に「キエフ占領」を優先しましたが、年内の「第二段階移行」が絶望的ということになり、9月に「バルバロッサ」を破棄、全力での年内の「モスクワ占領」を目指した、ということです。

この戦争指導を論理的に「間違いである」と納得できる主張があるのなら、聞いてみたいです。
もちろん「異論」が山ほどあることは、この作戦の形成過程を見れば、誰でも想像はつきます。

仮に、「3か月」開戦が早まったら、まあ、ここからは「妄想」みたいなもんだから、何とでも言えるんですが、可能性としては、「第一段階」の完遂が普通には優先されたんではないでしょうか?

つまりは、史実での「9月」上旬の状況が「7月」だったとしたら、よく言われるように、ここから「モスクワ攻防戦」が起こっていたか?ですね。

普通に考えれば「無理だ」と思います。

なぜなら、この段階、中央軍集団からモスクワまでは優に「300km」以上ありましたが、北方軍集団はレニングラードまで「20km」もない距離でした。
ここで「停戦」を命じられ、即座の移動を強いられた「北」は無念だったと思いますよ?
しかも、「補給の停滞」で、最後の100kmには2か月くらいかかっている、やっと動き出した後ですからね。
これが何とか容認できたのは、「9月」であり、しかも「年内にモスクワ攻略」という、どう考えてもギリギリのスケジュールがあったからでしょう。
いわば、この段階では「ドイツの勝利」の唯一の可能性と言えますからね。

でも、7月なら、もっと議論は複雑です。
史実では、8月でも、より悪い状況で、モスクワよりも当初計画の「キエフ」が優先されたんです。

これらをまとめると、こういうことです、つまり、「史実より順調な展開なのに、史実より大胆な決断をしないと、早期の”モスクワ攻略戦”は起こらない」ということです。
こういう「IF」を唱えても、普通は「馬鹿じゃねえの?」と罵られるだけですね。

ただ、可能性としてモスクワではな、モスクワではなく「レニングラード攻略」がされていた可能性はぐっと高まったはずです。

実は、近年、一番人気の「独ソ戦のIF」はこれですよね、史実の展開でも、「当初計画」通りに「レニングラード占領」を優先していたらどうなっていたか?ということです。

krc********さん

2020/3/2209:28:02

ユーゴスラヴィアの反ナチス動乱、イタリアとギリシャの紛争に、
イギリスが介入した為、ソ連侵攻が約一ヶ月遅れました。

例年より、早く寒気が押し寄せた為、そう言われますね。

2020/3/2209:26:51

ヒトラーが作戦遂行に一切口を挟まなければ、最速でモスクワを陥落させて、ソ連人民をスターリンから解放していたでしょう。

とにかく、ヒトラーは理由を無理やり付けて進撃を遅らせて時間と兵站を無駄に消費させから、いざモスクワへって時に前線が力尽きちゃった。

ドイツ軍士官は「所詮伝令伍長の浅知恵」って馬鹿にする事になった。

八坂権宗さん

編集あり2020/3/2207:23:40

ヒットラーは電撃作戦でモスクワを包囲して側近がいつ総攻撃するか聞いた時、春まで待とうと言って冬将軍にやられてソ連の反撃に総崩れになったのでしょう。

kaznbさん

2020/3/2204:58:49

モスクワを攻略できなかったのが時間が足りなかったから、とでもいうのであれば早く始めれば、というIFも成り立つが、戦力不足・補給不足だったのだから、時間があったとしても達成は不可能。

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