ここから本文です

私たちが死んだら無になるのでしょうか。 死んだあとのことを考えると恐ろしくて...

fhc********さん

2020/5/3020:23:22

私たちが死んだら無になるのでしょうか。
死んだあとのことを考えると恐ろしくてたまりません。
無になるのだとしたら怖いという感情も無くなるし怖くなんてないというのも分かるのですが、そ

の無が怖いです。
私が死んだとしても、人類が滅亡したとしても、この空間は永遠にありますよね?
それが怖いんです。
なにも感じることは出来なくてもこの空間、時間が永遠に無限に続くと思うと怖くて仕方なくなり、考えれば考えるほどパニックになってノイローゼになりそうです。
最近テレビなどで自分が産まれる前の映像などが流れてくると、私はこの時どこで何をしてたのだろうか。と思います。
私はなにも感じていないのにその間にどれだけの時間が流れてきたか、そして私が死んだ後もこの空間は無くならず時間は永遠に流れていく。始まりも終わりもないのだなと思うと怖いです。
そして考えれば考えるほど生きている意味がわからなくなってきます。
無ではじまり無で終わる。そんな人生に生きている意味はあるのかとまで考えてしまってもうどうしたらいいか分かりません。
考えたって正解はないし誰にもそんなことわからない。考える暇があるなら今をもっと大切に、、などと言うのもわかるのですが、私だってできることなら考えたくないし意識を別の方にそらそうといつも頑張っているのですがむりなんです。
何をしてても憂鬱になってきてしまって行き場のない恐怖に襲われます。
こんなこと誰かに相談できることでもないし理解してもらえるとも思っていません。
大人になったら考えなくなるから大丈夫と自分に言い聞かせています。

こんなこと考えてしまう方はいますか?
私はどうしたらいいのでしょうか、、

閲覧数:
80
回答数:
9

違反報告

回答

1〜5件/9件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

ayo********さん

2020/6/205:16:14

死んだらどうなるのか?
無になるのか?
魂だけの存在になるのか?
無ではなく、魂の世界に行くのか?
そう言う事を考えてしまう時もあります。
でも、考え過ぎですよ。
無になるなら、何にもない事になるのだから何にもないって事で怖くないですよ。
何にも無い事になるのだから。
魂だけになるなら、魂の世界に行くまでに時間があるなら、世界中を飛び回って見て回りたいなぁ〜。
地球だけでなく、宇宙にも。

jao********さん

2020/6/103:11:44

諸行無常ですね。
ならばこういう考え方もできません?
スケールでかくなりますけど...
終わりがないのなら何か変化があるはずだし、もしこの世界の法則として生物は転生を繰り返したり死後の世界が存在するとしたなら?
まあ私はこういう系の話は信じてる訳ではありませんが、所詮人間。この世界のことなんてろくに知りもしない、誕生したばかりの人間という存在なので、一概にないとも言いきれませんしね。可能性が0と断言できる人はいないでしょう?
死後なんてファンタジーです。
宇宙が始まる前だって、もしかしたら今の宇宙の地球にいる生物たちと同様に文明があったかもしれませんし、rpg的な世界だってあるのかも。
まあ完全に妄想でありロマンが入り混じってますが笑
妄想なのでrpgとかは気にしないでください笑
まあとにかく、何も怖がることは無いでしょう。
死を肯定して生きましょう。
死を恐れすぎるのも良くないですよ。
生物は本能的に生を求めます。だって「生」物ですから。
怖いのは本能が生を求めてるからであって、理性を使えば案外怖くないでしょ?
成るようになるだけですし、この世に本当の恐怖というものはありません。
結局死にますからね。
まあ要は、死を恐れ過ぎず、穏やかなものと考えるのもいいと思います。
死ぬ時は大抵痛いらしいけど、痛みがあるから怖いのであって、それ以外を怖がる必要はありませんよ。
安楽死というのも存在する訳ですし。
あとは大切な人と別れるのが嫌だとか、これまで積み上げてきたものがとか、そういう未練があるのなら、作らないように生きるべきです。
それに、死んだら脳も機能しないので悲しみはないです。
飽くまでそれが嫌だと思うのは、それを想像してる私たちであって、当人は意識がない訳ですし、悲しみも苦しみも、怖さも何も無いでしょう。
確かに、自分ではなく他の人が死ぬのは悲しいですが、当人は生きてるうちは悲しみは感じても、死んだら何もないです。
まあとにかく、死を肯定して生きましょう。

t1f********さん

2020/6/102:45:32

きっとあらゆる万象は消えては生じ繰り返していくのだと思います、もし仏教の言うように輪廻とは縁起が輪廻することであるとするのであれば実は私たちが持っている自我とは表面的な縁によって生じた仮我であって、真にその奥にある生命そのものとしての無の意識は全生命共通のものなのでは…!?なんて最近思ったりしています。

そういった意味で私たちは元々1つで一人一人が生命そのものの切れ端に過ぎなくて、死によって今の私は失うかもしれないけれど、真の我は共通のところで繋がっていてだから本当の別れじゃないし、だからこそリサイクルしてまた縁によって三度再び生まれてくることが出来るのかもしれませんね、生命そのものの原初に還って行くんだって思ったらきっと恐れも消えますよ。^^

namelessさん

2020/5/3122:19:13

子供の頃同じような事を考えて、怖くて仕方なかった。毎日泣きながら眠りについた記憶があります。
ただ、死ぬのが怖いっていうのは、ある意味幸せなこと。それは、死ぬより今の方が幸せということだから。

子供の頃、あれだけ死ぬのが怖くて泣いていたのに、大人になって、仕事で精神を病んで死にたくなるとは思わなかった。

こういうのは、精神科か診療内科にでも行って、誰かに打ち明けた方がいい。病院は抵抗があるかもしれないけど、死恐怖症は、そう珍しいものではないから、大丈夫ですよ。

ちなみに死について考えるなら、シェリー・ケーガン著の『死とは何か 完全翻訳版』がオススメ。宗教を抜きにして、死について哲学的に考察している良著ですよ。

shi********さん

2020/5/3121:38:44

投稿者さんの気持ちはよく解ります。何の為に生きているのか解らないし、死んで無になるのは怖いですよね。でもそれだけ色々と深く考えて生きているのはすごいと思います。
まず人間は何の為に生きているのかというと、これです。
「神は言った。「私たちに似た者として人を造ろう。そして人に,海の魚,空を飛ぶ生き物,家畜,地面を動くあらゆる生き物を治めさせ,地球を世話させよう」。それから神は人を自分に似た者,神に似た者として創造した。男性と女性を創造した。神は2人を祝福し,こう言った。「子を生み,増えて,地上全体に広がり,地球を管理しなさい。また,海の魚,空を飛ぶ生き物,地上を動くあらゆる生き物を治めなさい」。創生1-26~28
ここで何故人間だけが思考や感情をもっているのか説明されています。神と似た者として造られたからです。そしてその目的は動植物を含む地球全体を正しく管理する事です。
次に死ですが、死の状態はこれです。
「死は全ての人が迎える終わりであり,生きている人はそれを心に留めなければならない。」伝道7-2 「あなたにできることは何でも,力を尽くして行いなさい。あなたの行く場所,つまり墓では,働くことも考えることも学ぶことも理解することもできないからだ。」伝道9-10
つまり死んだら、無意識・無活動・無存在です。寝ている状態です。しかし死者には
希望があります。これです。
「パウロは,話すようにと総督が顎で合図をしたので,こう答えた。・・・
また,私はこの方たちと同じ希望を持っております。神が正しい人も正しくない人も復活させてくださるという希望です。」 使徒24-10,15
この希望とは、人類史でこれまでに340億人が死んでいます。その人達は今の体制が終わった後に段階的に復活してくるという希望です。にわかには信じ難いですよね。
以上参考になれば。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる