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山月記で、

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ID非公開さん

2020/6/711:00:03

山月記で、

李徴の話に聞き入っているところで、「袁傪はじめ一行は」という複数を主語におくことで、高めた○○性はなにか、という問題がありました。
すみませんがよろしくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2020/6/721:50:55

「普遍性」ですね。

李徴の後半で反省した己の「尊大な羞恥心」「臆病な自尊心」は、前半では虎になったという比喩で表しています。そして誰にでも多かれ少なかれあります。私とて自らを反省すると、李徴と同じ自尊心がある事に気がつきました。
当然友人の袁傪とて、そういう性格は持っているはずです。袁傪の一行とて誰もが持ち合わせています。

要するに「誰もが虎になりうる危険がある」という事です。李徴や袁傪だけではなく、一行や私もその危険があります。
人類普遍の性情である尊大な羞恥心と臆病な自尊心(=人間のあるべき姿を忘れて、虎になってしまう危険があるぞ)は、人類普遍的な姿ですので、それを著した『山月記』は長いいのちがあるのです。

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質問した人からのコメント

2020/6/7 23:27:57

李徴の話を受けての「一行」という表し方だったのですね!
それは、読者である私たちもという意味も含まれているんですね!ありがとうございました!!

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