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ヒトラーはソ連に侵攻する前、ナポレオンのロシア遠征の失敗について研究していま...

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ID非公開さん

2020/6/2418:56:56

ヒトラーはソ連に侵攻する前、ナポレオンのロシア遠征の失敗について研究していましたか?

つまり、ロシアが広大な国土と厳しい気候を利用しながら、焦土作戦と退却を繰り返し、ナポレオン軍を自国の奥深くへと誘い込んで、補給線が伸びきって疲弊したところで、敵軍を殲滅するやり方を、ソ連が再現するのではないかと考え、その対策を徹底していましたか?

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mat********さん

2020/6/2502:48:21

一応研究はしていましたが、敵をあまりに甘く見積もっていた時点でちゃんとは研究していなかったと言わざる終えないでしょうね。

ナポレオンのモスクワ遠征の失敗はロシア軍の後退を許してしまった点です。そこでドイツ国防軍はソ連侵攻「バルバロッサ」作戦ではこのような作戦方針が示されます。

「西部ロシアにおける陸軍の集団は装甲部隊の楔を遠く、躍進させる大胆な作戦によって殲滅すべし。戦闘力を残す部隊がロシア領奥深くまで撤退することは封じなければならない。」

つまり機甲部隊でロシア軍を包囲殲滅し後退させてはならない。実際にキエフ包囲戦などでドイツ軍は初戦でソ連軍を各所で包囲します。こういう点では一応ナポレオンの失敗を学んでいる。

しかし作戦を立案した段階であまりにソ連軍を甘く見積もっていた。また連戦続きのドイツ軍の疲弊をあまりに軽く見積もっていた。
・敵兵力を200個師団と見積もっていたが、360個師団だった
・機甲兵力も600対2400とあまりにドイツ軍の技量に頼りすぎた。
・対イギリス戦での大打撃を受けたドイツ空軍はまだ回復していなかった。

ドイツ軍自身はあまりにソ連軍を甘く見ていた。ただドイツ空軍などは「この上ソ連との戦いは無理だ」のゲーリングなどは反対しますが、ヒトラーも「ソ連はドアを一蹴りすれば倒れる」と反対を押し切った。

これだけ敵を甘く見て自軍能力を過大に見積もれば失敗は明らか。
バルバロッサ作戦の初戦の大勝利の中でもドイツ空軍は予想通り半年で大打撃を受け、肝心のソ連軍を包囲殲滅する作戦も包囲には成功しますが、やはり兵力が足りないため、多くのソ連軍を取り逃がすなどあちこちに失敗があり、それが結局はナポレオンと同じ運命を辿ることへとつながっていきます。

日本海軍のミッドウェー海戦もそうですが結局、敵を軽く見て甘い見積もりを立てるような作戦はだいたいはきちんとした研究がされていない。それが敗北へとつながります。

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izu********さん

2020/6/2902:12:21

ヒトラー自身やそのスタッフが研究することは有りません。ヒトラーは中学も出ておらず、学研的なところはまるでありませんが、ドイツ軍にソ連侵攻作戦を命じていたのでその中で軍が研究したはずです。軍の考えでは翌年の1942年の6月に開始する筈のバルバロッサ作戦を1年前倒して始めろと命じたのはヒトラーで、本来はその一年で冬の装備の生産を行う筈だったのが、準備の無い状態で軍の反対を押し切ったヒトラーの頭にナポレオンの失敗は参考としていない筈です。対フィンランド戦争でのソ連軍の弱さを見て、スターリン体制は政治的に弱く、侵攻すればスターリン体制は数週間で崩壊すると信じたのです。西方電撃戦のまぐれ当たりに酔いしれていたのです。

非公開さん

2020/6/2616:54:25

同じく欧州からロシアに攻め込んだナポレオンの失敗をヒトラーが考えないわけはありません。もちろん研究をしたでしょう。

しかし130年も経ち、戦車や航空機で機動力が大幅に上がり、補給の技術も飛躍的に上がったことで短期決戦が可能と考えたと思います。

そもそもヒトラーの目的はロシアの支配にあったため、対ソ宣戦は時間の問題で、タイミング的に夏でありソ連の軍備が整う途中である、対英戦線が頓挫していることなどから41年の6月に開戦と決意したと思われます。

2020/6/2513:32:28

もちろんロシアの地理・地形についての研究は行っていました。冬が到来すれば自分たちが不利になってしまうこともドイツ軍は把握していたため、当初の計画ではドイツ軍がソ連に攻め込もうとしたのはまだ春が終わって間もない5月です。ユーゴスラビアで発生した政治問題により作戦開始が遅れたものの、それでも6月には行動を開始していました。

当時の目線でソ連を見ると
「100年程前に無敵のナポレオンを打ち破り、数十年目にドイツ帝国相手に東部戦線で戦い抜いたものの、大粛清により数だけの烏合の衆と化した結果中小国であるフィンランド相手に数倍の戦力でも勝てないような軍事力に成り下がった」
といった感じでしょう。

ここまで落ちぶれた戦いを目の前で見てしまった以上、6月にでも作戦を開始すれば冬の到来前にモスクワを陥落させてソ連を降伏させるという想定でドイツがソ連に攻め込むのも無理はないでしょう。
実際に9月の段階でドイツ軍はモスクワのクレムリンから十数kmの位置まで迫っていたのでこの想定は間違ってはいません。
まさかドイツ側もここまできてソ連軍がモスクワ防衛に成功するとは思いもよらないのでロシアの冬の気候についての研究はあまり重要視していなかったでしょう。

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2020/6/2423:14:12

勿論、ソ連侵攻の上でナポレオンの事も研究していたでしょうね。

それよりも侵攻の決め手が「ソ連の軍人大粛清」であったと思います。

ソ連は、スターリン反対派と思われる軍人士官を数千人規模で粛清

したばかりなので、軍の統制が取れない状況でした。

独ソ戦は、それを見越したヒトラーの

『簡単にクレムリンは堕ちるだろう』

・・・という直感による侵攻作戦です。

ここまでソ連軍が徹底抗戦するとは思わず、ヒトラーにとっては

大誤算であったでしょうね。


ちなみに焦土作戦は「缶詰」が発明されていない時代の話であり、

ヒトラーの時代は焦土作戦を取られようと、食料の確保の点では

まったく問題ありません。

krc********さん

2020/6/2419:59:13

フィンランドとの戦闘で、あれだけ梃摺るソ連等、鎧袖一触と思って居たのでしょうね。

スターリンは政敵や意に沿わない軍の高官を、多数粛清して居ましたので、軍としての機能は、大きく後退して居ました。

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