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大川橋蔵さんのファンです。

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ID非公開さん

2020/7/819:01:51

大川橋蔵さんのファンです。

橋蔵は当初、歌舞伎に籍を置いたまま映画出演していましたが、保守的な梨園との軋轢から歌舞伎界から去り、東映に入社し映画活動に専念しています。

という記事を見かけました。

保守的な梨園との軋轢 とは実際、何があったのでしょうか。ご存知の方がいれば教えてください。

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mbk********さん

2020/7/1303:40:09

大川橋蔵と言う名跡は、菊五郎家を大看板にした三代目尾上菊五郎の隠居名です。

三代目菊五郎は、一度引退した後に、大阪の贔屓筋の後援を受けて、大阪で舞台復帰をしました。
それで水都大阪に因み『川』に『橋』と駄洒落のような名前になっているんですね。
ただ三代目尾上菊五郎は、この興行の後の江戸への帰途に亡くなり、以後、橋蔵の名跡は絶えました。

しかし、名跡としては大看板の隠居名であることに間違いありませんし、六代目尾上菊五郎夫人の養子となり、六代目と寝食を共にし、この名跡を襲名したと言うことからも、決して扱いが悪かった訳ではありません。

よく同年代の映画スターである市川雷蔵と似た境遇と言われることもありますが、橋蔵は物心がつく前からすぐに市川瀧之丞と言う中堅の女形の養子となり、三代目市川左團次の部屋子になり、さらにすぐに六代目菊五郎夫人の養子となっており、青年になるまで大部屋の役者であった雷蔵とは全く境遇が異なります。
舞踊も藤間流宗家にしっかりと教えられ、藤間紫が風呂に入れていたと言うエピソードがあるくらいですからね。完全に六代目の子供として扱われていたと言っても過言ではないでしょう。

余談になりますが、六代目菊五郎の実子であった尾上九郎右衛門は、成人するまで兄の七代目尾上梅幸が養子であるとは知らなかったと話していました。六代目菊五郎と言う人は、そう言うことの区別や差別など全くしなかった人なのでしょう。
七代目梅幸と九郎右衛門は、橋蔵の兄と言うことになります。

橋蔵が映画界に転進する少し前の歌舞伎界は、大変苦しい状態でした。
戦前からの大名跡が次々に他界し、大歌舞伎が上演できる劇場も少なく、上演できる演目には制限があり、役者は物資難、住宅難で、舞台に立つこともままなりませんでした。
そんな中で、橋蔵の養父であった六代目尾上菊五郎が昭和24年に他界します。橋蔵が二十歳の時です。
残された音羽屋一門は、一時期橋蔵の師匠であった三代目市川左團次を上置きに、七代目梅幸と二代目尾上松緑、六代目の預かりであった市川海老蔵=後の十二代目市川團十郎、坂東彦三郎=後の十七代目市村羽左衛門を中心にした『菊五郎劇団』を結成します。

立女形は七代目梅幸、若女形は中村福助=後の七代目中村芝翫、橋蔵はそれに続く娘役でした。後には当代の澤村田之助らが菊五郎劇団に復帰しましたが、橋蔵のポジションは変わらず、さらに昭和26年に七代目芝翫は吉右衛門一座に戻り、橋蔵は菊五郎劇団の中心的な女形となります。

しかし、とにかくまともに歌舞伎が上演できる劇場が少ないと言うのは、歌舞伎役者には致命的でした。
当時は再開したばかりの新橋演舞場と新装になった歌舞伎座しかありませんでした。
関西には関西歌舞伎がありましたし、地方巡業も交通事情や食糧事情で無理。
新橋演舞場は歌舞伎の常打ちではありませんから、年間に数ヶ月だけ。
つまり、歌舞伎座に全ての歌舞伎役者が集中した訳です。当然ながら一人一人の出演作品が少なくなります。それは収入減と同じ意味ですから、他に仕事を求めるしかありません。

中村錦之助や橋蔵より先に映画界入りした先代の四代目中村雀右衛門は、はっきりと『役と収入が無かったから』と映画界入りの理由を語っています。
さらに追い討ちをかけたのが、戦後の社会主義思想から論じ始められた『女形不要論』でした。
このために、歌舞伎以外の作品で女優との共演や新作歌舞伎の上演などが増え、女形には不遇で過酷な時期が昭和30年代後半頃まで続きました。

役が付かない=収入が無い上に、いわれの無いバッシングを受け、女形の役者たちは全く未来が見えなくなってしまいました。

中村錦之助の父である三代目中村時蔵などは、時代遅れの女形と言う烙印を押され、実兄の中村吉右衛門一座には居られなくなり=事実上のクビになり、猿之助一座に客演で迎えられるほどの低タラク。
そんな落ち目の役者の四男坊で、しかも女形で定評のあった錦之助に、まともな役など回ってくることはありません。

橋蔵がいた菊五郎劇団も、収入を補うために一座で映画に出演したり、新作歌舞伎の上演で新たな観客層を開拓しようとしました。
『海老さまブーム』で観客が増えたとは言え、劇場が急に増える訳もなく、結果的には『團十郎、梅幸、松緑』のトリオだけが注目されることになりました。

しかしこれが橋蔵には良くなかったんですね。

観客は海老蔵を目当て、あるいは梅幸を、または松緑を目当てに来るのですから、この3人の演目が並ぶのは当然ですよね。当時は幕開きに羽左衛門か松緑の時代物、梅幸の舞踊が中幕、キリは海老蔵と梅幸の世話物と言う番組が定着していましたから、橋蔵の出番がほとんどありません。
時代物、世話物、どちらの芝居に出ても梅幸のサブの役しか回って来ませんし、任されるとしても中幕の舞踊がメインです。

橋蔵と同様に、役が回って来ないことで燻る若手役者はどんどん増えていきました。昭和1桁世代が成人を過ぎ、活躍の場を求め始めたんです。
ことに、橋蔵と同年代には女形が多くいました。
先述の七代目中村芝翫、錦之助の長兄である四代目中村時蔵、澤村訥升=後の九代目澤村宗十郎、市川松蔦=後の七代目市川門之助、現 五代目澤村田之助、中村扇雀=現 四代目坂田藤十郎、坂東鶴之助=五代目中村富十郎という面々です。

ところが、海老蔵や梅幸、歌右衛門、勘三郎、幸四郎と言う当時の中心メンバーは、まだ30代後半から40代に差し掛かった一番の働き盛りです。
彼らも実績を積み重ねている最中ですから、役を次の世代に譲る余裕などありません。

錦之助が『歌舞伎では、自分には役が回って来ない』と諦めたいうのも納得できます。
父親の不遇、自身の年齢的な不遇、これらが重なり、錦之助は映画界に入ることを決心したと言われています。

当時、配役を巡るいざこざから崩壊しつつあった関西歌舞伎は、二代目中村鴈治郎が大映に、息子の現 四代目坂田藤十郎が宝塚映画に移籍し、歌舞伎を離れました。
そのいざこざの原因となったのが市川壽海です。そして壽海の養子が市川雷蔵です。
雷蔵も関西歌舞伎の衰退で活躍の場を失ったのが、映画界入りの理由でした。

実は若手だけではなく、中堅から大部屋の役者までが活躍の場を映画界に求めていたんです。当時は日本映画の最盛期でしたから、仕事が沢山ありました。

歌舞伎では、観客が呼べる役者が主役をし、その役者の一門が脇役端役を固めます。従って自分の師匠に役が回って来なければ、一門の役者にも仕事が回って来ません。それで大部屋の役者たちは歌舞伎に見切りをつけ、ドサ回りをするよりはと、映画界に入ったんです。

歌舞伎から映画界入りすることは戦前からあったことですから、松竹も初めの頃は放ったらかしだったんですね。
ところが役者の流出が止まらなくなり、松竹以外の映画会社に移籍することも増えてくると、松竹の経営陣も『これはどうにかせねば』という状況になりました。
昭和25年以降は、テレビという新しい媒体も増え、各映画会社、興行会社は役者の取り合いになりました。
五社協定が出来た背景ですね。

中村錦之助の映画界入りで一悶着があったのは、当時の人気歌手 美空ひばりの相手役に選ばれたということに加え、役者の流出を止めたい松竹の意向が働いていたことが大きかったでしょう。

実際は、錦之助より先に橋蔵へ美空ひばりの相手役の依頼があったそうです。しかし、本人が乗り気ではなく、周囲も大反対したために、錦之助にお鉢が回ったと言われています。

その橋蔵に映画界入りを決心させたのは、映画会社、美空ひばりサイドからの熱心な説得と、六代目菊五郎の借金返済のためだったと言われています。
六代目菊五郎夫人は本当に橋蔵を可愛がり、橋蔵も孝行だったと言われています。
当初は歌舞伎に籍を残したまま、映画に出演していたのも、本人は歌舞伎に復帰するつもり、周囲も歌舞伎に止めておくつもりだったからでしょう。
それが映画に専念することになったのは、皮肉なことですが映画で絶大な人気を博してしまったからでしょうね。

歌舞伎に帰る場所が無くなってしまった錦之助や雷蔵とは違い、帰れる場所があった橋蔵には、二人とは違う歌舞伎役者としての雰囲気が、ずっと残っていたように思います。

以上、大変長々と失礼致しましたm(_ _)m

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    質問者

    ID非公開さん

    2020/7/1421:13:41

    ご回答ありがとうございます。当時の状況が本当によくわかる回答で感激しています。

    ただ中村鴈治郎が大映に、坂田藤十郎が宝塚映画に移籍して、その後なんなく歌舞伎に戻れているのに、橋蔵さんは戻れなかったのか、とは思います。橋蔵さんが映画に身をおいて10年少しくらいで映画産業は斜陽化しました。その時分に橋蔵さんは歌舞伎に戻りたいとは思わなかったのか、戻れなかったのか…(戻らなかったから銭形平次がギネ記録になったのですが。)

    橋蔵さんの踊りへの情熱、愛情を考えると、今現在の歌舞伎やくし

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jyo********さん

2020/7/1013:46:42

特別なことは知りません。しかしおおよその察しはつくように思います。

中村錦之助さんも歌舞伎の家から映画界へ行っています。ここは3代目中村時蔵さんの実子ではありますが4男であったため有名な名前は襲名できませんので 端役、アンサンブルとなる可能性が高いと思います。
そこで一旗揚げるために映画界へ。

大川橋蔵さんも歌舞伎の家の名前はわかりませんので大きな家ではないように思いました。端役なら映画界でトップになってみるというように思われたのではないかと想像しました。

高橋英樹さんがおっしゃっていましたが、新人でデビューして映画1本とっても5000円、新人だからだそうです。大卒の初任給が約2万円のころの話です。

ですが人気スターだった石原裕次郎さんは1本出演したら1千万円という事でした。ジャパニーズドリームという感じだったのではと思っています。

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