回答(12件)

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一番はやっぱり、「ビートルズ現象」もあまりにも巨大なものになりすぎて、これ以上、公演活動はムリだというところまで行ってしまったという事じゃないですかね。 何しろ、ビートルズが訪れる先々、世界中どこに行っても、音楽に関係ない大騒動が巻き起こる。 聞いた話、ドイツでは、ビートルマニアの少女の大群を鎮圧するために軍隊が出動したり、日本では、右翼の街宣車が、拡声器でBeatles go home と怒鳴り散らし、フィリピンでは、大統領を侮辱した?との誤解報道をマスコミに流され、群衆に襲われる。それらと似たような状況がどこの国に行っても勃発する。そしてとどめは、ジョンの有名な「キリスト発言」ですよね。これによってアメリカや一部の国々でビートルズ排斥運動が起こり、アメリカ南部では、KKKによる殺害予告もあったり、もうこれ以上は公演不可能なところまでいってしまいました。 また、どこに行ってもあのビートルズマニアの追っかけ女子軍団の異常な歓声の中で演奏して、まだ、モニターなど音響機器も発達していない時代、ビートルズ現象が始まってから、ほとんど自分達の音が聞こえない中での演奏だったといいます。(逆に言えば、そんな悪条件の中で、完璧なハモりを披露してましたから、当時にしてかなり演奏能力の高いグループでした。) しかし、唯一、日本公演だけは、日本の警察が、空前の警備態勢を敷いたこともあり、その中での演奏は、ビートルズのライブの中では比較的静かな方だったらしく、数年ぶりに自分達の音がよく聞こえたそうです。なので、初日公演で自分達の演奏力が落ちていることに気付き、ショックを受けて、慌てて修正部分をチェックしたという話もあります。 ですから、中期頃から、自分達は何のために演奏しているんだろうか、自問自答しながらも、様々な騒動の中、こうして公演活動を続けてきたこと自体が奇跡的で、それももう限界まできたという事なんじゃないでしょうか。結果的に、「ジョンの失言?」をキッカケにライブをやめることができ、レコーディングアーティストに専念することができたわけですから、冗談ではなく、ジョンも「失言?」して良かったと思っていたんじゃないでしょうかね笑。

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ジョンレノンの死とネタギレかもしれませんね。 ましてリンゴスターは役立たず、ジョージハリスンもパッとしない理由かもしれません。

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当時としては レコーディングが 懲りあげ→いいことですが ライブでは 表現出来なくなったことでしょうか?

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公演、公演の日々に嫌気が指したこと。 スタジオ録音に興味を持ち、楽曲がステージでの4人での演奏では再現できなくなってきたこと。 世界中を飛び回る公演旅行は過酷だったでしょう。50年以上前の飛行機でですよ。 インタビューで、ヒットを連発する秘訣を問われたジョンは、分かったらマネージャーになって楽するよ、と答えています。これはまだジョークのうちですが、 「Help!」(1965年)は、心底当時の叫びだったと、後にジョンは語っています。 何万という大観衆の歓声に書き消され、PAなどの機材が乏しかった当時は、自分たちの演奏すら聞こえなかったそうです。 リンゴは、3人の動きを見ながら、ドラムを演奏していたと語っています。 66年の6月から7月に行われた日本武道館公演は、私もたまに見ますし、テレビでも流れます。貴重な映像資料です。しかし、ビートルズを詳しく知らない人に、あれがビートルズだと思われるのは、残念なところがあります。 日本武道館公演は、サンフランシスコでのラスト・ライブ(ルーフ・トップを除く)の2カ月前です。コンサートに嫌気が指していた絶頂です。 ビートルズの映像を見るなら、イギリスで人気が出た63年、アメリカを制した64年、せいぜい65年の伝説のシェア・スタジアム(ヘルプを歌っているので多少もう怪しい気もするが)を観てほしいですね。 4人の活気が全然違います。 武道館公演の後の、マニラでの騒動が最後の後押しになったのは間違いないですが、仮にその騒動がなかったとしても、早晩、コンサートは止めたでしょう。 日本武道館公演のあった、つまり、コンサートを行った最終年である66年に、アルバム「Revolver」を発表しています。 ポールは、その中から何曲か、アコースティック・ナンバーだけでなく演奏していますが、66年当時は、シンセサイザーなどもなく、メンバーの4人以外がステージで演奏する訳にもいかず、コンサートで演奏するのは無理だったでしょう。 だから、逆に、コンサートを止め、スタジオ・ワークに力を注いだ結果、アイドル的な存在から、ロックの芸術性、社会性を高めた存在へと進化を遂げたのだと思います。

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