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2020/9/8 14:38

44回答

歴史認識を覆す発見を発表する人は歴史修正主義者と呼ばれるのですか?

歴史認識を覆す発見を発表する人は歴史修正主義者と呼ばれるのですか?

歴史 | 国際情勢56閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

ベストアンサー

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発見ではなく妄想を発表する人のことだね。 あるいは、自分勝手な思いこみ。

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元々は「歴史の大胆な見直しに挑戦する者」を指す言葉でしたが、今ではトンデモ話を「自分は歴史を書き換えつつあるのだ」という宣伝付きで垂れ流している連中、という意味で使われています。 具体例を挙げるとわかりやすいと思うので、長くなりますが… 1920年から1945年にかけて米国下院議員を務めたハミルトン・フィッシュが、1976年に自費出版専門の出版社から出した『FDR: The Other Side of the Coin』という本があります。その訳『ルーズベルトの開戦責任 大統領が最も恐れた男の証言』(渡辺惣樹訳・草思社・2014年)が原文に大改竄を加えていない限りは、相当キョーレツな本です。 テンコ盛りのキョーレツさのホンの一部をご紹介すると、東條英機首相は「米国の要求をどんどん呑んででも、戦争を回避しよう」と思っていたのに、ルーズベルト大統領は、米国民にも議会にも隠れてハル・ノートを突き付けて、日本を戦争に追い込んだ、ってな事を書いています。 実際は… 日本が事実上の開戦決意を固めた1941年11月5日の御前会議での東條首相の発言を、『第7回御前会議質疑応答の概況』(国立公文書館アジア歴史資料センター=以下”アジ歴”=レファレンスコードC12120186900)から引用します。 この会議では、甲案と乙案の二つにまとめた対米要求のどちらかを米国が呑む形で11月中に日米交渉が妥結する事を停止条件とする、開戦決意を固めました。(「帝国国策遂行要領」アジ歴レファレンスコードC12120186200) つまり、”そうとは相手に言わない”だけで、実質的には日本が米国に最後通牒を突き付けたのと同じですが、米国が日本の要求を呑み戦争を回避できる可能性について、この御前会議で東郷外相は、 『交渉としては成功を期待することは少い。望みは薄いと考えて居る。唯外相としては万全の努力を盡すべく考えて居る。遺憾ながら交渉の成立は望み薄であります。』 と言い… 原枢密院議長は、中国とも駐兵問題を合意する必要がある、という東條首相の説明を受けて、 『到底二、三月で出来るとは思わぬ。日本の決意を見て屈すれば結構だが然し絶望と思う。』 と言っていました。 このように、米国が受けるとは自分達も思っていない様な要求を11月中に米国が呑まない限り米国と戦争をする事を御前会議で決めたのだから、『事実上の開戦決意』って事になる訳ですが、東條首相は、 『若干は見込あり。日米交渉に米が乗って来たのは弱点があるからである。即ち(1)両洋作戦準備未完(2)国内体制の強化未完(3)国防資源の不足(一年位しかなし)等である。此案に依って兵力が展開位置につくことに依り日本の決意は分る。彼は元来日本は経済的降伏すると思って居るのであろうが、日本が決意したと認めれば、其時期こそ外交的手段を打つべき時だと思う。私は此の方法だけが残って居ると思う。』 と言っていました。 米国にも弱みはあるのだから、日本が本気で戦争をする気なのをわからせれば、ビビッて折れて来るかも知れない、残った方法はこれだけ、と東條首相は言っていた訳です。 そして、東條首相は11月17日の帝国議会でエラク強硬な演説をする事で、その「米国ビビらせ作戦」を実行しました。 その演説は、政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所の『データベース「世界と日本」』の中の↓で読めますが… http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pm/19411117.SWJ.html 『常に平和を欲する帝國と致しましては、隱忍自重、忍び難きを忍び、耐へ難きを耐へ、極力外交交渉に依りまして危局を打開し、事態を平和的に解決せんことを期して參つたのでありまするが、今尚ほ其の目的を貫徹するに至らず、帝國は今や文字通り帝國の百年の計を決すべき重大なる局面に立たざるべからざるに至つたのであります』 『帝國の期する所は、第一、第三國が帝國の企圖する支那事變の完遂を妨害せざること、第二、帝國を圍繞する諸國家が帝國に對する直接軍事的脅威を行はざることは勿論、經濟封鎖の如き敵性行爲を解除し、經濟的正常關係を恢復すること、第三、欧州戰爭が擴大して禍亂の東亞に波及することを極力防止することであります、以上三項に亙る目的が外交交渉に依つて貫徹せられまするならば、獨り帝國の爲のみならず、世界平和の爲め洵に幸ひであると信ずる次第であります』 『併しながら従來の經緯に鑑みまして、交渉の成否は逆賭し難いものがあるのであります、随て政府は前途に横たはる凡ゆる障碍を豫見して、之に對する萬般の準備を整へ、斷乎として帝國既定の國策を遂行致しまするに萬遺憾なきを期し、仍て以て帝國の存立を全うせんとする固き決意を有して居ります』 …と、『いよいよ日本は重大な決意を固める時期に来た』、『日本の要求が外交で貫徹できるのならば、それは世界平和の為にも良い』、『従来の経緯からして外交交渉の成否は予想できないが、あらゆる事態を想定し万全の準備を整え、断固としてこれまでの国策を遂行する』といった強硬な姿勢を見せていました。(米国をビビらせて日本の要求を呑ませようとしたのだから、当たり前ではありますが…) 当然、この演説は米国でも新聞で報道されました。その報道の日本語訳がアジ歴で読めますが、その一つをご紹介します。(レファレンスコードB02031345100の15/45) ~~ (ワシントンポストの11月18日付記事) 『日本の首脳部は米国に対し最後通牒に近いものを突き付けんとすらしつつある。若し来栖大使が此の日本の苛酷な要求以外に何等穏健な提案を携行してゐないとすれば、同大使は時間を空費するのみであろう。米国の協調態度にも限度があることを忘れてはならぬ。日本が決裂を欲するならば米国はこれを与える覚悟がある。』 ~~ 「日本の要求を呑むぐらいなら、米国は戦争を受けて立つ用意あり」という主張ですね… 東條首相の超強硬姿勢は、ちゃんと米国でも報道されていました。 東條首相の「米国ビビらせ作戦」が全く通用しなかった事が判明したのが、ハルノートです。日本の要求とまるでかけ離れた事を「今後の交渉の叩き台」として提示したのですから… ハルノート受領の翌日に、野村在米日本大使が東郷外相宛に打った電報(十一月二十八日付電報第一二一四号「米側交渉公表の件」)もアジ歴で見られます。(レファレンスコードB02030723400の29/37) ~~ 当地に於ける日米会談に関し従来沈黙を守る癖ありし国務省が昨廿六日の会談に付ては自ら進んで発表を行い各新聞は之に応じ『「ハル」日本側に「ピースプラン」を手交す』『米国は第二の「ミュンヘン」会議案を斥く』等の見出を以て「ハル」の四原則等抽象的には何人にも確かなる点を強調し米国側提案を受け入るるや否やは日本の勝手なるが戦争か平和か何れを選ぶやも一に懸って日本側に在りとの書き振りなることは注意を要する点なり為念(了) ~~ それ迄対日交渉について秘密主義的だった米国務省が、ハル・ノートを手渡した11月27日の会談に付いては、自分から進んで発表し(とは言っても勿論公式発表ではなく積極的リーク)、それで『開戦するかしないかはは日本側の判断』(言い換えれば、開戦した場合は『責任は日本にある』という印象に繋がる)という報道がされているので注意を要す、と野村大使が東郷外相に報告していた、という事です。 その報道を、これもアジ歴で見られる、日本の外務省が集めていた「各国での日本に関する報道」(『2 与論並新聞論調 2』レファレンスコードB02030743300)の中から一つだけ引用すると… ~~ 紐育ヘラルド・トリビューン(一一・二八華府電) (前略) ハル長官が日本の両大使と会見して手交した文書は、米国が事変以来繰返して述べた四基本原則のほか次の四点を含んでゐる。 (一)日本の枢軸脱退 (ニ)支那、仏印からの日本軍の撤退 (三)これ以上の日本の攻勢中止 (四)アジアに於ける各国通商平等の原則遵守 ~~ このようにハルノートの内容は新聞などでバンバン報道されていました。 それなのに、な、ナント、ハミルトン・フィッシュは 東條英機首相は「米国の要求をどんどん呑んででも、戦争を回避しよう」と思っていたのに、ルーズベルト大統領は、米国民にも議会にも隠れてハル・ノートを突き付けて、日本を戦争に追い込んだ …ってな類の事を言っちゃう訳ですよ… 勿論、米国民からしても、完璧なる「トンデモ本」です。 もし『ハミルトン・フィッシュ本人だけには真実』だったなら、新聞もラジオの電波も届かない、人里離れた山奥にでもいたのでしょうかね… ところが、今の日本にはいるんですよねぇ…。こういう、全くの「完璧なトンデモ・ガラクタ」を発掘して、それをネタに「歴史は書き換えられつつある」とか言っちゃう連中が… この本の訳者である渡辺惣樹も、同種のトンデモ本を翻訳したり、真っ当な論説に自分のトンデモ論を足して出版したり、自ら著者としてトンデモ本を出したりするのを「生業」としている人物です。 彼は、自分は(元々の意味の)歴史修正主義者だ、と主張しています。(爆笑モンですが…) コトバンクで見られる百科事典マイペディアの「歴史修正主義」の解説は、 客観的な歴史学の成果によって確定した事実を全体として無視し,自分のイデオロギーで過去の出来事を都合良く解釈したり,誇張や捏造された〈事実〉を歴史として主張する立場を批判する際に用いられる概念。第2次大戦時のナチスドイツによるホロコーストの否定や,日中戦争における南京事件そのものを存在しなかったとするような主張がこれに当たる。新しく発見された史料に基づく解釈や,既存の知識を再解釈することにより,歴史を叙述し直すことは歴史学研究が行う当然の努力であり,そうした試みについては通常この概念は用いない。 と書いています。 (超長文失礼…)

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歴史修正主義は、歴史の正誤に拘わらず自己側の有利な事象を恣意的に歴史に当てはめて都合よく歴史を操作する事です。 事実に基づいた新たな歴史を発表する事は、新説と言い修正ではありません。