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2020/9/22 20:00

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漢の軍師張良の墓とされる場所を、この知恵袋で教えていただきましたが、その場所は山東省微山県の湖に浮かぶ島で、主君の劉邦の故郷のすぐ近く(張良の封地も)のようです。

漢の軍師張良の墓とされる場所を、この知恵袋で教えていただきましたが、その場所は山東省微山県の湖に浮かぶ島で、主君の劉邦の故郷のすぐ近く(張良の封地も)のようです。 しかし、その島の東側に「呂蒙村」という村があるようです。 これはあの三国志の呂蒙なのでしょうか。 女性にも例えられた軍師張良と、男子三日会わざれば刮目して見よ、の故事の呂蒙が何か関係があると想像するだけで面白いですが・・・。 依然行った私の質問です。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12230745497

中国史 | 海外36閲覧

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以前回答した私です いいえ、中国のネットで検索したところ、この呂蒙村は明の時で、その周囲の呂孟山の発音から訛って付けた村名です。

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質問者

2020/9/24 11:28

そうでしたか。お調べいただきありがとうございました。

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呂蒙の本貫は今の安徽省の北の端のほうにある阜陽市阜南県。 ご質問の微山県は山東省の南端の西よりのあたり。 直線距離で200キロ以上離れています。 ちなみに劉邦が生まれた豊からこの島までは直線距離で50キロくらいですかね。新大阪駅から京都駅くらいまであります。すぐ近くと言っていいかどうか、私には判断しにくい距離です。 省は呂蒙が生きた時代よりもずっと後になってからの区分ではありますが、阜南のあたりは旧豫州で、微山のあたりは旧徐州。微山湖は旧徐州に加えて旧豫州、旧兗州の3つの州の境目ですが、張良の封地である留県もギリギリ徐州です。劉邦の生まれた豊は豫州です。 もっとも、劉邦らが生きた時代には州はなく、郡とか旧国で帰属意識があったと思われます。のちの州が入り組んでいるということは、旧国国境もこのあたりで何度も変更があったということですが、戦国の魏からの植民?移民?が多かったのが豊らしいです。 呂蒙に由来する何かがあるのかもしれませんが、少なくとも出生地とかではありませんし、こんな北まで彼は攻め込んでいないと思います。 ちなみに、景徳鎮にも呂蒙村があるようですが、果たして。

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