☆終戦後の日本軍戦闘機の米軍接収団による性能マシマシについて

☆終戦後の日本軍戦闘機の米軍接収団による性能マシマシについて ミリカテの質問にもしばしば登場しますが、戦後の米軍の試験でハイオクガソリンを入れた陸軍4式戦闘機は時速700キロ近くを記録した。米軍に十分な手入れをされた海軍局地戦闘機紫電改は模擬空戦ですべての米軍機に勝利した、などなど。 ドイツ軍機はもともとレギュラーガソリン仕様だったので戦中にパフォーマンスが落ちなかったので戦後に連合軍視察官を驚愕させた、というようなことは無かったようで、日本特有のもののようです。 そもそも軍の行った公試で時速624キロだったものが684キロに50キロ以上もポーンと速度がアップするとなると、メーカーの整備士がガッチリ整備し、公試ですのでなけなしの高品質のガソリンをかき集めたはずです。 となると米軍発表の数字に疑問が生じます。米軍が数値や評価を粉飾した理由として、以下の二つを考えました。 1) 敗戦で意気消沈する日本工業界を鼓舞激励するため。 2) 太平洋戦線に従事した米軍パイロットは、欧州と比べて個々の性能も劣り会敵機会も格段に少なかったので、形見の狭い思いをしていた。そこでせめて、いや実は日本軍機はなかなか手強かったんだよ、とアピるため。帰国して自慢話出来るしね。 さあどっち? ミリカテ愛国者の皆さーん、日本は戦争に負けましたよー、それもこんなのは珍しい、というくらいコテンパンに一方的な敗北でした。いい加減認めましょう。認めたくはない気持ちは分からないでもない。しかし現実を見据えて、前に進みましょう。

補足

そもそも負けたくせに、後からいやほんとはすごかったんだとか、ああすれば勝てたのに、とか言い出すのは卑怯者のすることですよね?潔くありません。 勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負け無し、ノムさんが天国でボヤいています。

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連合軍機と同じ条件(燃料など)で、同じテストや空戦演習をしないと、性能テストに成らないからですよ、南さん。それも終戦後に性能テストを始めたのではなく、アクタン・ゼロの鹵獲により、ATIUという専門部隊が新設され、南方で鹵獲された日本機は、先ず豪・ブリスベンで性能テストを始めたんです。 ATIU(Air Technical Intelligence Unit:航空技術諜報部隊) 米・英・オーストラリア軍をメンバーとして、太平洋戦争開始翌年の1942年に組織された部隊。1943年、豪・ブリスベンのイーグルファーム飛行場でシークレット作戦がスタートし、捕獲した日本の様々な軍用機が持ち込まれ、修復し、徹底的に分析、テストされ、作戦にフィードバックされた。 https://www.ozatwar.com/usaaf/atiu.htm 戦後に接収された機体は、空母で米本土に運ばれ性能テストされたんです。 豪・ブリスベンのイーグルファーム飛行場上空で戦時中テストされる飛燕。

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戦後の1946年(昭和21年)4月2日から5月10日にかけ、ペンシルベニア州のミドルタウン航空兵站部(Middletown Air Depot)で性能テストされる四式戦「疾風」。残念ながらスミソニアンなどの国立航空博物館の保存リストには残れなかった。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

珍しく実のある議論ができましたね。靖国の零戦はさっそくスクラップにしてカーチスP-40Bウォーホーク飛虎隊バージョンの展示に切り替えます。 来訪者が殺到してコロナで落ち込んだ遊就館の収益は一気に黒字に転換です。はー、目出たし目出たし。

お礼日時:9/21 6:09

その他の回答(3件)

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>1) 敗戦で意気消沈する日本工業界を鼓舞激励するため。 アメリカが優位に立った方が都合が良いのでそんな事する必要はありませんよ。 >2) 太平洋戦線に従事した米軍パイロットは~ 開戦から序盤は技量差もあり苦戦しましたからね。 そんなエピソード作りは必要ないと思います。 四式戦や紫電改の評価は実戦での評価も含まれていますから単純に鹵獲兵器の限界値を見極めたかっただけでしょう。 部品を変えて性能マシマシの部分は手元にあった部品がたまたま日本のそれより高性能で相性が良かっただけだと思います。 ドイツ人技術者は戦後アメリカに招聘されたりし研究資料はその後の航空機開発に貢献しましたが、日本人技術者にはそういう人はいませんから要はそういう事です。 因みに、ドイツ機は元々カタログ値が好条件下でのマシマシ状態なのでびっくりされる事はありませんでした。

WW2が終わって何年も経ってから、インパール作戦に従軍した英軍将校が牟田口の作戦を称賛する書簡を送り、これを見た牟田口がそれまで隠匿生活を送っていたのを自信を取り戻して自己弁護活動を復活させたとある。これなど典型的な例で、当のイギリス軍人は、帰国してからドイツ軍と戦った同僚から、日本軍相手は楽だっただろう、と馬鹿にされて肩身の狭い思いをしていたので、日本軍が強敵であってほしいという論法から牟田口を焚きつけた。 太平洋戦線に送り込まれた米軍パイロットたちも毎日毎日大海原の往復で退屈な生活をグロリファイする必要があったのであろう。気持ちは分かる。

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しかし日本陸軍の戦闘機開発を考えれば、そもそも日本陸軍の最大仮想敵国は、アメリカではなく、ソ連や中国であったわけです。 太平洋戦争以前の日本陸軍にとって、直近の戦争といえば、まず日中戦争であり、次にノモンハン事変です。 九七式戦闘機は実際に中国や、ノモンハンでソ連製戦闘機と戦い、その時はアメリカ製のガソリンを使って戦っていたのです。 二式単座戦闘機「鍾馗」は、ソ連のSB爆撃機を迎撃するために開発されたのです。 日中戦争のときの日本海軍は、アメリカからセバスキー戦闘機を輸入して使い、ヴォートの戦闘機なども輸入していました。ロッキードやダグラスの輸送機もライセンス生産していました。 そもそも当時はアメリカやイギリスは敵国ではなかったのです。実際、日中戦争や、ノモンハン事変ではアメリカのガソリンを使えたのです。 そもそも山本五十六の計画では、半年でアメリカ太平洋艦隊を撃滅して、講和に持ち込む予定であったのです。 疾風が制式化される1944年には、アメリカと講和して、アメリカのガソリンも使える予定であったのです。 日本は米英との長期戦は想定していなかった、短期決戦の計画であったのです。イギリスもドイツと講和する予定であったのです。 そもそも開戦後でも、パレンバンの石油を使う計画で、実際に南方の航空部隊は使っていたのです。 そしてパレンバンの石油を使う疾風は実戦でもだいたい計画通りの性能を発揮していたのです。パレンバンでは石油は有り余っていたのです。 そしてビルマの飛行第50戦隊は、疾風でかなりの戦果を挙げていたのです。 624km/hというのも、あくまでもテスト結果の一つであり、それより速い測定結果もあります。

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米軍のテストは状態のいい機体からエンジン部品集めて 再整備した上、当時の日本に存在しないモービルのオイルや チャンピオンのプラグを使っていますから、 実戦配備の状態とはかなり違います。

それだけ下駄を履かしてもらっての高性能だから、日本軍機が優れていたということにはなりませんよね?戦争なんですから。条件のいい戦いだった中国戦線では国民党軍機を圧倒したようですし。 むしろそういう周辺機材や部品が入手できないのを承知で大戦争を挑んだ、そっちのほうが問題ですよね?