太平洋戦争って、アメリカに原爆を落とされないでノンビリとあちこち攻められてた方が日本にとっては結果として良くなってたんですか?

太平洋戦争って、アメリカに原爆を落とされないでノンビリとあちこち攻められてた方が日本にとっては結果として良くなってたんですか?

補足

ありがとうございます。 進んだテクノロジーを持ってて、 武器や兵器もたっぷり持ってて、 膨大な兵員数、に人材豊富、 お金も食糧も資材も沢山あって、 うらやましいですね。

日本史 | 政治、社会問題93閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

ベストアンサー

0

戦争末期には、航空機を始めとした兵器生産に必要な無煙炭、有煙炭、鉄鉱石、燐鉱石、特殊鋼原鉱石、電気銅、鉛、亜鉛、鱗状黒鉛、土状黒鉛、錫、硅砂、屑鉄、ピッチ・コークス、石灰窒素、石綿、マグネシウム、コバルト、ラジウム、ストロンチウム、ジルコン、リチウム、ニッケル、マンガン、タングステン、アンチモン、チタン、ボーキサイト、モリブデン、バナジウム、クロミウム、ベリリウム、ニオブ、タンタル、セリウム、チタン、カツサバルート、モナザイト、カーバイド、メタノール、アセチレンブラック、金、銀、雲母、重晶石、明礬石(みょうばんせき)、礬土頁岩(ばんどけつがん)、高嶺土、霞石、褐簾石、氷晶石(ひょうしょうせき)、コロンブ石、カリ長石、小藤石(ことうせき)、燐灰石、電気石、石灰石、蛍石、硫黄、硫安、稀硝酸、石炭酸樹脂、ヒマシ油、パーム油、桐油、松脂、植物油脂、ダマル樹脂、コーパル樹脂、生漆、牛皮、規那(キナ)皮、生ゴム、コプラ(椰子油)、チーク、黄麻(コウマ)、マニラ麻、サイザル、カポック綿、工業塩、糖密、蜜蝋、砂糖、胡椒、香料、タンニン材料、木材等が極度に不足し、どんな兵器もほとんど製造出来なくなっていた。亜鉛は自動車部品、ケーブル、ダイカスト、メッキ、トタンなどに利用されるが、軍需用では弾丸の薬莢製造に利用された。鉛も電線、ケーブル、バッテリー、ヒューズ、ハンダなどに利用され、軍需品としての需要が多かった。マラリアの特効薬のキニーネも入手する事ができなく、マラリア患者は死ぬだけだった。又、特に記しておかなければならないのは、日本本土の食料が昭和二十年の十月末分までしかなかった事だ。当時は、日本列島の周り中、米潜水艦やB29から機雷が撒かれており、又、全ての港の入り口に、米軍の潜水艦が貼り付いており、日本国内からも一歩も出られず、又、国外からも船で日本へ入るのは、不可能だった。昭和二十年三月二十七日深夜、B29爆撃機による関門海峡への機雷の投下が開始された。機雷投下は関門海峡の封鎖に最も重点が置かれ、終戦までに本土近海に総計四六回投下された磁気機雷四四七二個、音響機雷三○二七個、磁気水圧機雷三二○四個合計一万○七○三個の約三○%に相当する計三五七八個が三四回にわたって投下された。その三つ、または二つの仕掛けを巧みに組み合わせた機雷を同時に使った。そのうち、例えば磁気機雷を一つとっても、その処分は手におえなかった。掃海隊が磁気掃海具を使って一回か二回掃海すれば、それで片づくかというとそうではなかった。敵はなかなか考えていた。ある磁気機雷は五回目に、あるものはまた、八回目に、そしてまたある機雷は何十何回目に、というように、あるいはまた、何日か経過しなければ爆発しないというように、複雑きわまる仕掛けをしてあった。そうかと思うと、磁気掃海具をもって掃海にゆくと、音響機雷がボカンと爆発して掃海艇が沈むこともある。音響機雷をやっつけようとしていくと、磁気機雷にやられる。一方、磁気水圧機雷などになると、ある一定以上の大型船だけが、ある速力以上で、航行しなければ感じないのだから、普通の掃海艇で掃海することは全然不可能であった。もちろん、どこにどんな仕掛けの機雷を落としたか、敵は発表しないのだから、掃海隊の方でも手の下しようもない。この結果、関門海峡の通行は事実上不可能となった。B29はこの機雷をときどきあやまって陸上に落とした。掃海隊が海の底から引き揚げた機雷もあった。こんな機雷を分解していろいろ研究して見た。大学教授やその他の学者にも集まってもらってこれらの機雷を見せて、どうすればよいか研究した。大阪で開いたあるこの種の会合では、科学者たちは「こういう兵器を使われては策の施しようがない。日本は科学で敗れた」と言った。ドイツは昭和二十年五月八日に無条件降伏したが、日本の科学戦も五月にはもう手をあげていた。何も八月の原子爆弾投下を待つまでもなかった。終戦時には食糧事情が悪化のあまり、朝鮮で木樽に米を詰め、海流に乗せて日本まで運ばせようとしていた。神戸海運監理部の「神戸港主要品目別入貨量調査」で食糧の入荷について見てみると、昭和二十年四月 大豆一万一三三七トン、米麦一万四三○九トン、高粱(こうりゃん)三五一八トン、雑穀八九四トン、砂糖0。同五月 大豆五二六二トン、米麦0、高粱0、雑穀五六一トン、砂糖0。同六月 大豆0、米麦0、高粱0、雑穀一四二トン、砂糖0。同七月 大豆0、米麦0、高粱0、雑穀一二○トン、砂糖0。同八月 大豆0、米麦0、高粱0、雑穀0、砂糖0。戦後の九月と十月も食糧入荷は全くなかった。食糧以外の入荷も惨憺たるものだ。ちなみに同七月の実績を見てみると、石炭一○五八トン、銑鉄(せんてつ)一二○トン、鋼材三三八三トン、くず鉄0トン、セメント0トン、塩0トン、硫安(りゅうあん)0トン、黒鉛(こくえん)0トン、木炭0トン、砿油0トン、植物油0トン、木材四三三トン。太平洋戦争中における船舶損失量は、昭和十七年九五・三万トン、昭和十八年一七九・三万トン、昭和十九年三八三・六万トン、昭和二十年二二六万トンにものぼり、せっかく獲得した南方資源も途絶、日本の工業力は事実上枯死させられていた。砲弾の製造は大阪造兵廠が主体だったが、八月十四日の空襲で爆砕され、火砲、弾薬等の生産が不可能となった。八幡製鉄所も爆撃を受け、鉄の生産が不可能となった。昭和二十年五月現在で、貯油量はわずか五日分である。しかも、航空機用揮発油はほとんど生産量はなく貯油を食いつぶすだけであった。五月一○日の徳山第三海軍燃料廠空襲により、大半を焼失し、重油在庫が五月からマイナス、航空揮発油が六月からマイナスとなり、制海権も制空権も握られ、ソ連も参戦し樺太や千島列島に上陸し、国民は飢餓と空襲と原爆に脅え、ガソリンも特攻隊が本土決戦の折の一回分しかなく、医薬品も無く、広島、長崎の原爆被爆者には赤チンを塗ることぐらいしか出来ず、一般市民には、内服薬として、消炭(けしずみ)の粉を与えられた。もちろん単なる気休めにしかならない。砂糖の配給は一人一ヶ月分半斤(三百グラム)で、マッチは一日当たり五本だった。下駄の配給も鼻緒なしの台のみで、配給量は大体十二人に一足の割であった。馬の飼料も隣組単位で集められた茶殻となった。昭和二十年八月一○日付け「朝日新聞」には、「お茶の葉はビタミンCの含有率が高く貯蔵にも耐へられるので、野菜の代わりにお茶を食べるよう推奨する」という記事が掲載された。塩の配給も秋には家畜用のものが無くなり、年末には一般家庭用の配給も無くなる事になっていた。塩分の欠乏が生物にとって死を意味することは言わずもがなである。塩が無いと一ヶ月以内に死んでしまう。又、塩の生産は年間四○万トンを割るようになってしまった。塩は火薬を作るための重要な原料である。火薬と塩が供給されないということは、戦うことも生きることも出来ないということにほかならない。政府はこの窮乏を乗り切る為に年間二○万トンを目標に時給整塩運動を開始した。それによると「尿を鉋屑に吸収させ、天日で乾燥した後、不燃性の容器に入れて燃焼し、有機物を炭化させ、少量の水を加え、再びこれを普通の整塩法のように天日、または火力で蒸発脱水させると白色の食塩結晶が得られる。これで一人一年で約五キロの食塩がとれる。」当時の日本はここまで追い詰められていたのだった。よく「総力戦」という言葉があるが、とても「総力戦」という言葉にすらならない状態だった。このまま戦争が引き続いていたら、国民だけでなく、天皇陛下も餓死していたのである。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます。

お礼日時:9/28 2:11

その他の回答(6件)

1

良くはならなかったと思います。 あれだけ一気に国中を爆撃され、核爆弾を2つも落とされ、 最後の仲介の頼みにしていたソ連にも攻められたのに 当時の日本は降伏するかしないかで相当すったもんだしています (反乱を起こす部隊もあちこちで出た始末) ノンビリと攻めるとなると一番あり得るのが通商破壊の徹底。 史実の時点で外洋船舶の殆どが沈められて日本海側の輸送すら途絶、 それどころか津軽海峡や瀬戸内海にも機雷を大量に散布され、 国内の海上交通すら断絶している状態でした。 もし史実の段階でダラダラと戦争が継続された場合、 真っ先に問題となるのは軍が戦う為の燃料弾薬以前に 国民が生きていくための食料、これが大幅に不足します。 こうなるとこの先に待っているのは、 数百~一千万単位で国民が餓死する運命です。

1人がナイス!しています

0

むしろ悪かったかな。 アメリカも原爆の存在を知っていたのはごくごく一部で現場の将兵は原爆抜きで戦争計画を建てていて、 その中には日本への空爆はかなり常軌を逸した規模だったのよ。 まぁ、この当時のアメリカの敵地爆撃はドイツへの攻撃が念頭にあるからね。 それを日本でやろうとしていたから。 核が使われていなければそれはもう丁寧に丁寧に地方都市をいくつも潰されただろうね。 被害って点なら原爆2発のがマシだったと思う。

0

どのみち継戦能力は失われており、ノンビリされても降伏は必至だった。 史実としても、降伏の確定は原爆ではなくソ連が日本の調停依頼に応じることなく参戦したことだった。 米国政府としても、ノンビリダラダラ戦争を続ければ自国の損害が増え、お金もかかる。米軍としても、原爆という新兵器が開発されたなら実戦で試したいという欲望は抑えきれない。

0

仮に沖縄戦の後、 海上封鎖されて、膠着状態が続いていたら? 1945年の冬に 莫大な餓死者が出ています

0

まぁ、軍の戦死の6割が「餓死・病死」という悲惨な状況でしたからね。