政治への関心が高い人は、歴史について、特定の時代しか知らない人に批判的な傾向が強いですが、何故ですか?

政治への関心が高い人は、歴史について、特定の時代しか知らない人に批判的な傾向が強いですが、何故ですか? 歴史ファン以上にこの傾向が強いように感じます。 歴史ファンでも、そうした人を叩く人はいますが、それでも政治を語る人よりは寛大な傾向にあると思います。 政治系の集まりと、歴史ファンの集まりの双方に複数回参加して感じた素直な感想です。 左右問わず、政治について関心の高い人というのは、私が出会ってきた限りでは、「政治を語る上では歴史が分からなければダメ。それも近現代史だけとかじゃなく、通史が分からなければダメ」という考えの人が結構多いです。 例えば、「近現代史の知識だけで皇族を語るな」とか、「日本が好きなら歴史を学べ」とか。 もちろん、政治を語る人の中にも、近現代史しか知らない人も結構いますが、彼らは通史を学んだ人達からは批判される傾向にあるし、彼らを見下すような発言をする人もいます。 一方で、政治とは違った「歴史好き」は、比較的、戦国しか興味ない、幕末しか興味ない、という感じの人にも比較的寛大な傾向を感じます。 こうした違いは、どこから生じるのでしょうか?

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ベストアンサー

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答え出てますね。なぜあなたは政治ファンと書かなかったのか。 そもそもファンと政治への関心ってベクトルが全然違いますからね。歴史は好きを語り、政治は批判を語る人が多いです。歴史もガチなほうは通史どころか重箱の隅突いてきますから知識の蓄積や敷居は政治コミュニティのほうが寛容ですよ。 政治談議は組み分けと相手の批判で成り立ちます。今の政治いいよね、私〇〇さん推し!なんて政治談議の場で中々目にしませんからね。ディベートするにあたって場合によっては相手の揚げ足取りをするのに、相手を知らないと失礼です。敵対政治家の過去や、過去の政治の積み重ねの内容を知らずに語ることは批判を招きます。「なんで沖縄ってわがままなの?基地ひとつくらいでわめく理由が分からん」とか「天皇っていらなくね?年間何億も血税つかって。医療関係者に配ったほうがいいよ」とかのように、常に危ういネタでも自分の立場や政治思想を表明しなければならないのに「いやべつに詳しくはないけどさ」というのはこれと反対意見の人から総攻撃受けて炎上しそうですね。 かと言って「いやー天ちゃん(天皇陛下のこと)のファンだよ」とか「今の政治いいよね。沖縄大好き!過去のことはよく知らないけど沖縄はいいところだよ」とノリや肯定だけするのもまたなんか違いますね。 一方で歴史”ファン”はそういうことはありません。全12話のドラマ好きの集まりで「いやー、俺1話だけしかみてないけどさ」と言えば批判されなくても浮くことは浮くでしょう。でも別によく知らん、という人も一緒に楽しむ場としては受け入れてくれます。批判しなくても居られるのです。お互いに平和ですね。ファンの集まりですから。学会だったら政治コミュと同じかそれ以上に必死なのがいますし、「いや、その学説はおかしい!だって俺はそんな立場になったらそんなことしないし!資料も根拠もないし良く知らんけど」は通らないですね。 学会とかじゃなかったら、「明智光秀は絶対信長に恋してたから殺したんだよ。ヤンデレだったんだよ。根拠はないけど」もガチガチのところじゃなければ許される可能性もありますよね。 政治コミュでも芸人ネタのような本当の意味の政治ショーとか政治芸人のコミュニティは政治の歴史とかネタそんな知らなくても和気あいあいとしてますよ。彼らはファンですから。

その他の回答(3件)

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近現代史だけで語るとでたらめを言ってしまうことがあるからでしょう。 皇族についても、近現代とその前ではかなり違います。 江戸時代までは、皇后を陛下と呼ばない、臣下が皇后になっても皇族にはならないなど。

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私は先に政治や経済に関心を持ち、必要性を感じ、歴史も学ぶようになった口です。 最初経済の事や政治の事に関心を持ち、特にSNS等で議論もする様になりました。 ところが、いくら政治や経済の事が理解できるようになり、時に相手を言い負かす事ができる様になったとしても、私がよく議論していた相手のグループは、議論に負けそうになると、私が関心のない、議論できない分野に対象をずらして反論してきます。 経済にしても、私がその理屈を理解していたとしても、それを専門用語で返してきます。その用語を知っているかどうかより、その中身を理解しているかの方が大切だと思うのですが。 で、最終的に歴史に持ち込まれると、私は全く反論できず、完全に話題から取り残されていました。 私は「日本経済は破綻しない」という立場から議論していたのですが、当時は「破綻する」と考えていた人が非常に多かったです。 で、突き詰めていくと段々、そういった人の中にはどうも「日本が破綻すると思わせたい人」や、「日本に破綻してほしい人」が混ざっていて、知っていながらわざと誤った情報を拡散している人達がいるのではないか、と感じる様になりました。 極端な事例を出しますと、当時の2ちゃんねる。「荒らし」がここに蔓延っていたわけですが、荒らしの特徴として、 1 天皇陛下を礼賛する記事を連投する 2 同時に障害者を罵倒する様な記事を連投する(削除対象となりますので、「あぼ〜ん」という意味不明な投稿だけが残ります) そうすると、それを見ている人たちの中に、「天皇陛下を礼賛する人たち=右翼はおかしい人たちだ」という誤った認識が広がります。 更に、同じ投稿者がハンドルネームを変えて「あいつらはネトウヨだ」とレッテル貼りをします。 で、更に突き詰めていくと、どうもそういう事をしている人たちが日本人ではないらしい、という情報にまで行き着きました。 そういう視点に立って改めて全てを見直すと、「なるほどな」と溜飲の下がる思いがしました。 「太平洋戦争で日本は酷いことをした」という情報は(正しいかどうかは別として)簡単に広まるのに、なぜか太平洋戦争が起きる原因となった日中戦争の事は全く話題にならない。 「南京大虐殺」のモチーフとなった南京事件も日中戦争で起きたんですが、何故か南京大虐殺という言葉だけが話題になる。 調べれば調べるほど、断片的な情報だけを聞きかじったところで、歴史全体を把握し、俯瞰的に見る癖をつけておかないと、簡単にあいつらに騙される。 日中戦争が起きたのはなぜか。直前の北京周辺で一体何が起きたのか。帝国陸軍はなぜ満州を拠点としてソ連と争ったのか。 そもそも帝国陸軍はなぜ満州事変を起こすに踏み切ったのか。満州事変が起きる前、北上する蒋介石軍が、罪のない日本の非戦闘員に一体何をしたのか。 元々親日であったはずの蒋介石軍の中に、なぜ平然とそんな行為のできる共産主義勢力が紛れこんだのか。 恐らく、ご質問者さんのおっしゃる「政治を語る人」が歴史を知らない人に批判的な事には、きちんとした理由があるのだと思います。 単なる歴史好きの人は、例えば戦国時代とか、明治維新とか、幕末とか、三国志とか、そういった特定の歴史が好きなだけで、その事で社会を変えようとする様な、壮大な意識を持っていないだけだと思います。

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ボ、ボクは小学生でしゅが・・・ 伝統的無関心が支配的なのであります。政治に参加する意義も使命感もないのは政治が特定の階層が独占する仕事なのだから、直接的な収益に影響しないむしろ浪費であるわけなのであります。映像コンテンツを消費してそのコンテンツの趣旨に考察するのです。なぜ戦国モノか。なぜ子ども向けの捨て枠ではないのか。テレビの前で規定時間坐っていることの意味と目的は、ということなのです。自分が所属していない階級に同調する斜陽族の研究は昭和50年代からあり、自営業とサラリーマン家庭の差異、つまりは目先の収入と事後の権力志向の比較対象の調査がある。資本と経営が分離しない自由な権限を有する者の環境と、系列化に服従する競争社会の企業戦士である。権力を奪取する政治活動と経済活動が同調しているのであるのが、中流の団塊である。中流の政治意識は経済構造の最先端にあり競争の結果が決着なのである。そこには伝統型無関心が存在する。政治の問題分野で由緒意識が必須であるのは身分秩序に関係した諸問題だ。伝統が歴史の領域まで浸透してもはや個人の判断の範疇を越えている。人間の由緒が問題なのは人種問題、差別問題、外交戦争問題だ。長期にわたり支配層に君臨する人間には特殊な教養と強固な支配の権限があるのだ。そして直面する政治問題は先祖が未解決なまま先送りした結果なのだ。どうせ解決不可能なことに無関心でいられない由緒意識は負担であろう。解決したら根本問題の由緒性をなくす倒錯が原因なのだ。一部が全体の影響下におちいることをフェティシズムというのだ。フェティッシュの反動形成が歴史学必修を強制する態度の原因なのだった。