教会以外で イエス様に祈りを届ける場所はありませんか?

教会以外で イエス様に祈りを届ける場所はありませんか? 私は反対側に必ずされます 昔、離婚したからです 元夫と再婚はもうできないのです 再び気持ち悪い者に見せようとされたから 私は災いをもたらしに来たのではないです 反対のしるしのようにされて困っています そしてわざと集団で悪なる者にされ、思考を先読みし善行を妨げられ負にされる私のつらさの原因は… 仕事場でも教会でも、起きていること 誰かがお金や権力で、私を偉い者扱いに見せている 聖書に書かれている ブドウ畑の例えと同じです マルコ12:2 前報酬を受け取り 私と真実の友となり支えあい畑を耕すこと 条件は私をリタイヤさせず、仕事を共にし続け笑わせ続けること(私が喜ぶ所に宝あり泉沸く意図が隠されている) 条件満たさない場合、お金返してもらうできないなら命で代償などと脅されたのでしょう 前報酬を受け取らない人間には 私を虐めるよう、いたぶり追い出すことをしろ 条件満たさない場合、命で代償などと脅されたのでしょう いつもグループに別れ、汚い手を使っても貶めたり、悪くみせたり追い出そうとする虐める側と 支えてくれ、共に頑張る側に別れる 報酬を受け取って、普通は私を止めさせないよう支えあう方を善人は選ぶ 家や車など自分の欲しい物を買い、大金を貰っていたのだろう 仕事場なら企業がボーナスやら修繕やら違う経営を広げるなど金を使っているだろう 町や市なら財政に充てているだろう 私は貧しいが周りは富んでいたのは事実だ でもね 私が傷ついていて泣いていても、自分が負債の罰を受ける恐ろしさを思い、辞めさせないようただ、なだめすかし引き止めるのは神様はゆるさない 私を思い、負債のためでなく、支えて傷つかないよう解決の道を見いだすのが、本当の友 なのに 虐めまくり追い出すとか 責任逃れのために、私が悪い者に見せようとしたりとか スポンサーを見つけ、負債を肩代わりしてもらい虐める側に寝返るとか 神様はゆるさない でも私、神様に彼等を赦されるよう願うよ 彼等は何をしているのかわからないのですとイエス様と同じように 辛いけれど(泣 御心ならば 私の祈りは神に聞かれる 病気でないのに精神病院へ追いやり、監禁し益だけを得続けようとする団体や人がいたなら、神様は怒るでしょう ただ我が子を大切にして欲しい みなしごの私が神の子の一人として、受け入れて欲しいと願っていたのに 傷つけられ続けたら、神様は親として怒るのは当たり前だと思う 私は間違えることがある、でも親に叱られる 皆は親の恐さをまだわかっていないのです 皆は親の愛の深さをまだわかっていないのです ぶどう園の主人はどうするだろうか

ベストアンサー

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どこでもいいのです。 新約聖書・マタイ福音6:6 あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、 隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。 そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、 あなたに報いてくださる。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

三つよりの祈りができず辛いです ただひとり主の救いを待ち望みます 危機的状況です 偶像崇拝者に見せようとしたり ダニエルを置いて私を悪者に仕立て、逃げる準備をしたり、教会内の人達がおかしな行動を止めてくれません 反逆の家です 悪なる企てに殺されそうになっていてSOSを出していました

お礼日時:9/27 23:27

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>教会以外でイエス様に祈りを届ける場所はありませんか? いくらでもあります。その「教会」って「礼拝堂」みたいな建物のイメージで言っておられますか? 神にせよイエス様にせよ…時間と空間の枠には制約されないので、いつでもどこでも祈ればいいのです。

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家庭集会とかはどうでしょうか? 地域によっては盛んに行われてますよ、只今はコロナでやって無い所も多いですけど。

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聖書の言葉を引用して二つのことを書きたいと思います。 1、「神は人の造った神殿には住みたまわず。神の御手によって作りし神殿に住む。」 神殿は単に神殿に特定しているのでは無く教会や神社や寺などを含む人間の造ったあらゆる物を指しています。 イエスが神殿で商売をしている人たちを荒縄で作った鞭を使って追い出した話がありますがこれも象徴であり本当の意味は肉体(神の創りし神殿)から泥棒や盗賊(肉体意識、肉体を自分の物だと言う観念)を追い出すことを意味しています。 2、イエスが十字架を背負いゴルゴダの丘まで一人で運びその十字架に磔にあったと書かれています。これも象徴です。この話は人類全てがその様にならなければならない「天への道」との意味です。 イエスは肉体、人類の象徴でありキリストは生命(神、主)です。 「汝の隣人を汝自身を愛するが如く愛せよ」 「父なる神を心を尽くし魂を尽くし生命を尽くし愛せよ」 この隣人愛が横の愛であり神への愛が縦の愛です。 これがキリスト(イエスという肉体を使って)の背負った十字架の意味であり十字架を背負って丘(肉体意識の昇華、肉体意識の死・・神、キリスト意識への上昇と言う変化)まで登ることを示しています。 キリストが何故磔にあうために地上界に降りたのか、それは人類全てへの愛を磔によって表現するためです。これが「自己犠牲の愛」です。 十字架は一人で運ぶことが重要でした。それは人類一人一人が十字架という「愛」を背負わなければならないという意味を表すためです。 ですから自ら十字架を背負うか、それとも十字架を知らずあるいは背負うことを拒むかで大きな差が出来ます。自ら背負えば十字架は軽くそうで無い者は重く(地を這う者)なります。重くなるとは天に帰依(辿り着く、成就)する事は無いということです。 「私はあなた方を知らないと言うであろう」と言われたのはその意味で、幾ら神やキリストを崇拝しようとも十字架を背負おうとしない者に対してはその通りになると言う事です。 磔とは「全てを神に捧げる」つまり神(愛)への全託を意味します。 これは個人意識(愛情以外の感情、観念、思考、肉体意識)からの解脱を意味します。そうする事で復活(霊と水からの生まれ変わり)が成就します。 「神よ彼等を赦し給え。彼等は貴神を知らざるが故なり。」 「神は手や足より近く最も近いものより近くに(実)在します」 これには非常に深い意味があります。 「教会」とは貴方の纏っている肉体です。その内に神の臨在を感じて神に祈りを捧げることが本来の祈り方です。 何を信じ(理解)るかは貴方次第です。 もう一度自分自身を見つめ(正見によって)る事を考えてみてはどうでしょう。

天に導いて下さるのは一人一人に内(実)在する父なる神(生命)のみです。それ以外不可能です。 肉体に内在する神の一人子であるキリスト神我(神の分霊、分生命)を通して人類は天(神意識、神理)を知ることが出来ます。 天とは『神の意識』の事です。

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場所があって、逆に置かれるなら、其の逆に行けば? ぼくは、何処ででも、願いは聞かれると信じてます。