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聖書が書かれた頃の世間の人間関係の常識は、現代とはどれくらい違うのでしょうか?

聖書が書かれた頃の世間の人間関係の常識は、現代とはどれくらい違うのでしょうか? 子供や妻や友人を大切に思う気持ちは、今と比べて強かったの?薄かったの? それとも同じだったの?

宗教 | 哲学、倫理40閲覧

回答(6件)

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人間関係ではなく[人間の願望]は 昔も今もそれほど変わっていないのでしょう。 旧約聖書サムエル記下11章には、 ダビデ王が、家臣ウリヤをワザと危険な戦場に送って戦死させ ウリヤの美しい妻を奪う物語があります。 「ウリヤの美しい妻のもとにダビデは使いの者をやって 彼女を召し入れ床を共にした。 そして、彼女は「子を宿しました」とダビデに報告した。 そこで、ただちにダビデはウリヤを戦場から引き戻し 家に帰させようとするが、ウリヤは 「わたしの主人ヨアブも主君の家臣達も野営をしているのに 自分だけが家に帰って飲み食いをしたり、妻と床を共にしたり などできない」と言って、家に帰らない。 ダビデはヨアブにあてて「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し 彼を残して退却し、戦死させよ」という書状をしたため、 ダビデの望み通り、ウリヤは戦死した。 ウリヤの妻の夫の喪が明けると、ダビデは人をやって 彼女を王宮に引き取り、妻にし、彼女は男の子を生んだ。」 美しい女を自分のものにしたい、という願望は、 おそらく、どの社会においても、いつの時代においても 同じなのでしょう。

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聖書が書かれた地域や時代はもちろん、同じ日本の中でも時代が違えば家族形態が異なり家族の観方も違います。 聖書の場合、ヘブライの伝統が活きている面では基本的に家父長型であり、イエスの時代も例えば福音書の「5千人(4千人)の共食」の記事に「女と子供を別にして」と書かれてあとおり、婦女子は人の数にも入らないほど差別されていました。 身内の中では現代と同様に、相手を大切に思い合っていたでしょうし、同じイスラエルの共同体の中では隣人愛の定めもありました。その他にも律法では貧者や未亡人などの社会的弱者に対する配慮もなされた倫理規定があります。 しかし、「子供や妻や友人を大切に思う気持ち」は今の社会でも人によって多様であるように、当時も多様性があり、気持ちの強弱や濃い薄いは、単純に比較することは困難だと思われます。

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想像し難いですね。「地球が丸い」と菅家もしなかったでしょうし… 地理的にも、「水」の大切さや意味する処等… 時代だけでなく、地域性、自然環境も考慮しないと、聖書の意味する事は…なんて難しいとは思いますが、神様が言いたい事は、そんな違いでは無いんだと思います。 聖書の書かれた事の理解難しい事かも知れませんが。御心は、祈る事で解って来ると思います。

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今の『日本で』でしょう?なら、アフリカ民族と日本人くらい違う。

今の韓国なら、日本人から見たモンゴル人くらい。ヨーロッパ諸国なら、日本人から見たヨーロッパ人くらい。