世界遺産候補に、北海道・北東北の縄文遺跡群というのがありますが、このエリアにも縄文遺跡があったということは、

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6000年前は2度高かった気候最適期です。青森の三内丸山遺跡では栗を主食にしていました。 アフリカでは熱帯が北に拡大し、サハラ砂漠は熱帯サバンナの草原で、野生動物や人が住んでいました。タッシリナジェールの壁画では当時の様子が描かれています。 その後、寒冷化して現在程度の温度になると、三内丸山の栗は不作となり、村落は衰退してなくなりました。熱帯は縮小し、草原だったサハラは砂漠になりました。 6000年前のCO2濃度は今よりも30%も少ない280ppmでした。温暖化CO2原因説が本当ならば、低温でなければなりませんが、逆に2度高かったわけですから、温暖化CO2原因説は間違っているということになります。

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もっと寒い時代に、人類は、寒帯にまで進出しています。 針と糸を発明し、衣服を作ることができたためだと考えられています。 縄文前期にはすでに端に穴の開いた骨針が作られていました。

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土中や湖沼沈澱堆積物に含まれる花粉の種類や量に鑑みて、現在より少し温暖であったと推測されています。 しかしながら、北海道や東北でも冬場はそれなりの降雪があった可能性も示唆されています。これは冬眠する性質の動物の骨が出土したり、焼失住居跡の貯蔵穴から秋に実る木の実が大量に保管されていたことから獲物が少なくなる(つまり雪が降る)冬籠りに備えていたと推測されます。 さらに極少ない事例ですが、住居建材が運良く残されていた中で、雪に埋もれた照葉樹を伐採利用していた可能性も考えられています。これは雪に埋まる根元に近い部分の樹皮が雪によって磨かれた状態になるのですが、それと同じ状態の木材が確認されています。 出土遺物の中には甲骨器性のかなり大きな裁縫針も見つかっていて、恐らく防寒着として厚手の毛皮を縫ったのだろうとされています。 また、長野の遺跡では高山帯寒冷帯に生育する針葉樹が分布していたことや、住居内の炉跡が他地域と比べ大きいことから強い火力が必要であったのではと思われ、それは冬に暖をとる必要性からだったのではともみられています。 いずれにせよ、縄文時代と同時期に世界ではもっと寒冷地でも人が暮らしていたことが考古学的に確認されているので、北海道の雪深い環境の中でも縄文人は普通に暮らしていたことでしょうし、それほど縄文人やヤワではなく、また冬を乗り切る知恵と技術を持っていたはずです。

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→ どうもそういう事らしいいのですね?縄文時代というのは、現在のよりも数℃(3~4℃?)は高温度だった様に思えるのです。当時の大気中CO2濃度は約280ppm?程度。何の事は無い!CO2が低いのに平均気温は高かったのでしょう!これはどおした事でしょう?か?CO2と気温?にはあまり関係が無さそうに考えるのが妥当らしいいのですね?どうもそういう事の様です。

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(追記) 昔以前に、長野県の中央アルプス沿い山の中標高600~700m(高度)にも、縄文の住宅を見た事はあります。標高700m?とかならば、-5~-6℃?も温度が低い様にも考えられますね?当時はやはり暑かったのでしょうね!