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2020/10/19 15:16

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赤い公園ってバンドの名前の由来は?

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津野米咲(つの まいさ)が 自殺するとは驚きだ。 「赤い公園」の名称由来の エピソードについては ウィキペデアを参照。 ↓ 赤い公園(あかいこうえん)は、2010年に結成された日本のロックバンド。2012年、メジャーデビュー。 所属事務所はソニー・ミュージックアーティスツ、所属レコード会社はエピックレコードジャパン。 公式ファンクラブは「赤すぎる公園」。 来歴 2010年1月4日、高校の軽音楽部に所属していた4人により結成。地元東京都立川市のライブハウス「立川BABEL」を拠点に活動を開始し、その年の12月には、神聖かまってちゃんが主催するライブイベントにも出演した。 2011年1月、自主制作のデモ音源「はじめまして」を発売。同年3月、自主制作によるミニ・アルバム「ブレーメンとあるく」を発表。同年10月、NATSUMENやチーナなど、日本人アーティストとともにカナダで開催された『Next Music from TOKYO vol 3』に参加、注目を集める(この後 NATSUMEN のメンバーは、赤い公園をプロデュースしている。インタビュー「爆発した才能」)。複数のレコード会社による争奪戦の末にEMIミュージック・ジャパンと契約。 2012年2月15日、EMIミュージック・ジャパンよりミニアルバム「透明なのか黒なのか」をリリース、メジャーデビューを果たした。同年10月9日、バンドのオフィシャルサイトにて、ギターの津野米咲の体調不良により当面の活動を休止することを発表 2013年3月1日午前零時、Ustreamに出演して活動を再開することを発表。同年6月5日リリースのSMAPのシングル「Joy!!」で、津野米咲が作詞と作曲を担当する(アレンジは菅野よう子)。 2017年7月3日、佐藤千明(Vo)が8月31日をもって脱退を表明。佐藤は「7年の活動の中で自分の手に負えない程のズレが生じていることに気付いた。そのズレが迷いとして音楽にまで介入してきたとき、赤い公園のボーカルという使命に、限界を感じた」ことを脱退の理由としている。 2017年8月27日、Zepp DiverCity TOKYOで行われた「熱唱祭り」が4人体制での最後のライブとなった。 2018年5月4日、『VIVA LA ROCK 2018』に出演し、新ボーカルを元・アイドルネッサンスの石野理子が務めることを発表した。 石野の加入に伴い、同年より津野、藤本、歌川の3人は石野の所属事務所であるソニー・ミュージックアーティスツに移籍した。 結成までの経緯 藤本と歌川が友人たちと始めたバンドに、脱退したボーカルに代わり同級生の佐藤が加入。 その後、ギターも辞めたため、サポートメンバーとして津野が加入した。 当初、東京事変やチャットモンチー、土屋アンナ、GO!GO!7188などをコピーしていたが、当時から作曲をしていた1学年上の彼女の加入により、オリジナル楽曲の演奏をするようになる バンド名は「怪獣公園」にする予定だったが既に使われていたため、「赤い公園」となった(海外での共演やプロデュースなど縁の多いNATSUMENのメンバーが使用していた)。 音楽性と楽曲 ギターの津野が全曲の作詞・作曲・プロデュースを手掛けている。 作曲は、吹奏楽経験もある津野が、クラシックや現代音楽のスコアを参考にしたりしながら、ポップスやロックのセオリーでは不協和音になる音をあえて使ったり、カウンター・メロディーを入れたりと、さまざまな試みをしている。ギターで曲を考えるのが苦手であり、ピアノで全部のパートを作ってからそれを無理やりギターで演奏している。 楽曲制作では、まず津野が歌・ベース・ドラム・シンセサイザーを入れたデモ音源を作る。デモの段階ではアレンジはあまり固めず、ほとんど打ち込みで作られたバンド・サウンドとはかけ離れた形で上がってくるので、それをバンド全員でアレンジするという方法を取っている。 音楽の好みがはっきりしていて専門外のことはよく知らない他の3人と一緒に仕上げることによって、アンバランスでありながら普通の人も聴けるポップスになる。そしてその歪さが耳に引っかかるフックとなり、赤い公園の音楽を特徴付けている。 レコーディングでは極力オートチューンを使わないようにしているので、歌の音程が多少ずれても補正せずにいる。 津野自身は「ジャンルがかちっと決まっているバンドが多いシーンの中で、限りなく、とてつもなく自由でいたいんです。だから、方向性を決めないというのが方向性ですね」「今まで色んな音楽を聴いてきた中で、やりたい音楽がごちゃ混ぜになっているんですよね。一番好きなアーティストを訊かれたりすると困るし、"こういうバンドが好きなのかな?"と想像してくれるとうれしい」と述べている。 評価 音楽雑誌『MARQUEE』の編集長、MMMatsumoto(松本昌幸)は、インディーズ時代から赤い公園の作曲力、構成力(アレンジ力)、演奏力を高く評価している。 月刊音楽雑誌『ミュージック・マガジン』は、赤い公園の音楽性と楽曲について、「ハードコアとポスト・ロックとトイ・ポップと昭和歌謡が溶け合うことなく混在する音楽性は、あまりにも雑多で乱脈。ほとんどの曲が3分以内だが、1曲に込められた情報量は多く、変則的な構成や目まぐるしい展開で聴き手を撹乱・幻惑させる」「独創的で複雑なアレンジ」と批評している。 メンバー 現メンバー 藤本ひかり(ふじもと ひかり) ベース担当。 1992年10月31日(27歳)生まれ。 音楽を始めたきっかけは中学生の頃に友人や先輩の影響でバンドに興味がわいたことで、幼少期には洋楽とヒップホップをよく聴いていた。メタルなどのような激しい音楽を好むが、邦楽も好き。 メタル好きの影響からか、歌ものの曲のベースとしてはありえないほどエフェクターをかけるので、アレンジの際にもみなでその特徴を活かすようにしている。 津野とともに、他のアーティスト(おおたえみりなど)のレコーディングにも参加する。 2011年8月まで赤い公園と兼任でハードコアバンドWorld In The Silenceでベーシストとして活動していたが、赤い公園のメジャーデビューに伴い脱退。同バンドには後にNOCTURNAL BLOODLUSTに加入するDaichiも参加していた。 元メンバー 津野米咲(つの まいさ) ギター・コーラス担当。バンドの元リーダー。 1991年10月2日生まれ。オリジナルメンバー唯一の上級生。他のメンバーからは“さん付け”で呼ばれている。 楽曲のソングライティング及びプロデュースを手掛けるバンドの中心的存在。 他のアーティストの作品に演奏家として参加したり(タルトタタン、おおたえみりなど)、作詞・作曲・編曲などの楽曲制作を行ったり(SMAP、南波志帆など)と、幅広い音楽活動をしている。 祖父・津野陽二も父・つのごうじも作曲家で祖母は宝塚出身、そして母はピアノ、上の兄はギターを弾けて2番目の兄はドラムを叩けるという音楽一家に育つ。 影響を受けた音楽家には、チャイコフスキーやジョン・ウィリアムズ、ジム・オルークを挙げている。 当初赤い公園に加入したのはサポートギタリストとしてであった。卒業後に家庭の事情で大阪に行くことになっていたこともあり、サポートはあくまで期間限定のはずだった。しかし、次第にメンバーたちと一緒にやることが楽しくなっていき、「ここで止めると後悔するな、続けられるものなら続けたい」と思うようになり、両親にはついて行かずに自分だけ残ることにした。 赤い公園に加入する前はシューゲイザーまがいのバンドをやっていて、東京事変の楽曲をキーボード無しで演奏したりしていた。その影響のためか、彼女の弾くギターはキーボードっぽいと言われる。その頃からもともと趣味で曲を作っていた。 自称“音楽オタク”。音楽を始めたきっかけは3、4歳から習っていたエレクトーンで、ギターは高1から始めた。吹奏楽の経験もある。両親や兄の影響でたくさんの音楽を聴いて育ち、幼少期にはカーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、ペイヴメント、小田和正、松任谷由実、Mr.Childrenなどのポップスだけでなく、チャイコフスキーやドビュッシーなどのバレエ音楽も聴いていた。 ポップスが一番好きだが、フュージョンやジャズ、クラシックや現代音楽を含めて色々なジャンルの曲を聴いていた[10]。しかし、ロックバンドの曲はあまり聴いていなかった。 赤い公園に加入する前に、現在のメンバーの中にギターではなくキーボードとしてサポートに入ったことがある。 アイドル好きで、特にハロー!プロジェクトの大ファンである。 2016年にモーニング娘。'16に「泡沫サタデーナイト!」を提供し、ハロプロへ初めて楽曲提供を行った。 最近のアイドルだけでなく松田聖子などの昔のアイドルも好きなので、職業作詞家による歌詞に惹かれる。 主に使用しているギターは白のストラトキャスター。この白ストラトは、津野が高校1年の時にアルバイトをして購入したもので、「白田トミ子」と命名して愛用している。 2020年10月18日午前9時頃、東京都杉並区の住宅で倒れていたところを発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。29歳没。 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=2561430