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曹操一族について その他の群雄に比べて、曹操一族の活躍が多い理由のご意見をお聞かせ下さい。

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曹操の父、曹嵩は非常にお金持ちでした。 『後漢書』宦者列伝の曹騰伝に、こういう記録があります。 【嵩靈帝時貨賂中官及輸西園錢一億萬,故位至太尉】 曹嵩は、宦官に(銅銭)一億銭を賄賂として贈り、太尉の地位に 上った。 この曹嵩の前の太尉は、崔烈でした。 この崔烈に関して、「銅臭」という言葉が残っています。 https://kotobank.jp/word/%E9%8A%85%E8%87%AD 崔烈の場合、500万銭で、銅臭呼ばわりされたくらいです。 曹騰の一億銭は桁が違います。 霊帝の時代、売官がまかり通っており、大臣ポストを 金銭で購入するのは当たり前のことでしたが、 それでも曹騰の一億銭は、当時の人も腰を抜かすくらいの 金額だったはずです。 曹操は、宦官(曹騰)の孫ということで、 汚らわしい血筋とみなされていましたが、 非常に富裕な新興豪族でもあったわけです。 後漢から三国時代は、豪族の時代でした。 後漢の名門豪族(名士などとも呼ばれます)は 三国時代から西晋あたりで、貴族となっていきます。 貴族とは、制度的に地位・身分・財産を保証された存在ですので、 浮き沈みが比較的少ない存在です。 一方、漢代の豪族はわりと浮き沈みがありました。 例えば、前漢の劉邦の功臣の子孫のほとんどが、 武帝の時代あたりで没落しています。 後漢末で言えば、名門中の名門と呼ばれた汝南袁氏 (袁紹の家)は、後漢初期の袁安以来の家に過ぎませんでした。 つまり、後漢末の名門豪族の中に前漢以来の有力豪族は 存在しなかったわけです。 そういう意味で、曹操の沛国曹氏は、名門からは程遠い 新興豪族に分類されますが、財力は桁違いの一族だったのだと 思われます。 >馬に乗れる 当時は、乗馬スキルを身に着けることは、難しいことだったはずです。 なぜなら、鐙がまだ発明されていなかったと考えられているからです。 最近の学説では、西晋~五胡十六国時代ごろに登場したのでは ないかと考えられています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%99 ただし、昔は漢代から存在したのではないか、という説もありました。 https://kotobank.jp/word/%E9%90%99 今のところ、漢代の遺跡から鐙が発掘されていないみたい ですので、漢代に鐙があった証拠は無いようです。 後漢末に鐙がまだ存在しなかったと仮定すると、 当時の騎兵は、非常に高い乗馬スキルを必要としたことになります。 鐙なしの騎馬は、一朝一夕で身に付くものではありませんので、 そうとう訓練した結果と推測されます。 それでも、生まれついて馬とともに育った騎馬遊牧民に 比べれば、赤子同然だったのでしょうが…。

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曹操が孫子の兵法をテキスト化して一族に配布していたから。

ご回答ありがとうございます。 その違いはあるかもしれませんね。 そういった所に気づけるのが曹操の強さかもしれませんね。 大変参考になるご意見を下さり、ありがとうございました。

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曹操一族が一番の名門だからですね。 孫権は事実上は父の孫堅からの家で、その一族も孫堅の子孫がメインでそれ以外も孫堅の弟(孫静)の子孫、孫堅の庶兄(孫羌)の子孫くらい。 あと、馬って、たいがいみんな乗れます。乗れないほうが例外的で、杜預や呉の厳畯がそれで、わざわざ史書に馬に乗れないと書いてたりします。 曹操一族は、祖父の曹騰からの家で、それだけに親戚が多い。 曹仁は曹操のまた従弟、曹洪は叔父にあたる、ということが分かってます。曹休も曹操のまた従弟です。 夏侯惇らは曹操の従弟ということになってますが、出典が曹瞞伝でちょっとあやしい。 最近の研究では曹操の末裔と夏侯氏との父系のDNA的な繋がりがないらしいことも分かってきてたりします。 まあ、いずれにせよ、孫氏が孫権のせいぜい従兄弟くらいまでしか一族の家系がないのに対し、曹操はまた従兄弟まで広がってる、ということです。 袁紹の一族も名門なので、一族の名が見えます。 袁紹・袁術の他、袁術の兄の袁基、従弟の袁胤、袁紹らの叔父の袁隗、袁術の父の袁逢、袁紹の従兄の袁遺、といったあたり。 もちろん、曹操が勝ち組で記録が多い、勝ち戦が多く目立つ、というのも理由ではあるでしょう。

ご回答ありがとうございます。 曹操一族は名門だったんですね。 曹騰が宦官で曹氏からのではなく夏侯氏からの養子との事で、 養子が同族から迎え入れられないほど曹氏は衰退していると、 思っていましたが、曹嵩 が夏侯氏というのは疑わしいのですね。 曹家よりも名家と呼ばれた一族があまり活躍が見られないので、 やっぱり乱世ということなのでしょか。 古代は極論、人より馬の方が大切にされる世界なので、 馬に乗れる=裕福な家と考えたんですが違うのですね。 大変参考になるご意見を下さりありがとうございました。 宜しければ、曹氏が夏侯氏の繋がりがないないとするならば、 早い段階で夏候惇、夏侯淵が曹操に何故従ったのかの考察を お聞きしても宜しいでしょか? よろしくお願いします。

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1つ考えられるのは、曹操は孫子等色んな兵法書を読み、それを自ら実戦に取り入れていっています。そして兵書接要というテキストをまとめて、それを配下の将軍に渡しているんですね。 だから彼らは何かあって迷う時があれば、兵書接要を参考にして曹操がいなくても自ら戦術を考案し、実行することができる。 もちろんテキストだけを頼りに戦うようでは馬謖の二の舞になるだけですから、彼等自身の資質も間違いなく高いのですが、困ったときにアドバイスしてくれるようなものがある、と言うのはそれだけでも心強いと思いますね。

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ご回答ありがとうございます。 マニュアルというか参考書とうかがあるのと無いのとでは大違い ですもんね。 そういったものと実戦の経験を積んで考えられるのとでは、 雲泥の差を生むということですかね。 大変参考になるご意見を下さり、ありがとうございました。

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漢から魏、魏から晋というのが中国の正当である為、曹一族は史記などで多く扱われたのが要因でしょう。 孫一族も多かったですが正当ではないので、伝が残っていても記述が少なかったり、悪く書かれていたりするので活躍も少なくなります。

ご回答ありがとうございます。 正当とそうでないかの違いは大きいかもしれませんね。 記述にすがるしかないですが、記述のみを妄信しても、 良くないですね。 大変参考になるご意見を下さり、ありがとうございました。