ID非公開

2020/10/29 3:02

22回答

昔の阪急京都線急行について教えてください。 画像は2300系の登場当時(だと思う)の画像なのですが『急行』の看板が車掌室側に付いてます。

昔の阪急京都線急行について教えてください。 画像は2300系の登場当時(だと思う)の画像なのですが『急行』の看板が車掌室側に付いてます。 方向幕式になる前は運転席側に付いてるのは見たことがあります。 他にも100系急行でも車掌室側に付けてる写真も見ました。 昔は何故この位置に付けていたのかご存じの方、教えてください。

画像

ベストアンサー

4

昭和34年まで十三⇄梅田は京都線電車は宝塚線の線路を走っていました。 その頃から、宝塚線電車と京都線電車を見分けるための処置と聞いたことがあります。 当時、京都線は京都(現・大宮)が本線で、特急は天神橋へ、普通は十三止まりだったので、梅田まで乗り入れていたのは急行のみ。 そこで宝塚線急行と京都線急行を遠目で見分ける必要があったわけです。 当時のポイントは信号手が目視で列車種別を確認して切り替えていましたので、その時に宝塚線急行と京都線急行を容易に見分ける必要があったわけです。 そして、昭和34年の三複線完成後も、伝統として引き継がれたのですね。 余談ですが、当時は京都線は京都⇄天神橋、千里山線千里山⇄淡路で、淡路⇄十三は十三線という扱いでした。

4人がナイス!しています

ID非公開

質問者

2020/10/29 10:59

ありがとうございます。 >宝塚線電車と京都線電車を見分けるため なるほど、その方法で見分けてたのですか。 いいアイデアだと思います。 昔のような看板式は種別を遠くからでも見分けやすかった。 特急は左右に看板を掲げていたのも見たことがあります。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

色々と詳しくありがとうございました。 それだけ教えていただければ充分満足です、お手数をかけました。 阪急は神戸線、宝塚線のダイヤは比較的単純ですが現在の京都線は複雑ですね。

お礼日時:10/29 13:26

その他の回答(1件)

1

先の方の回答に、追加しますが「阪急電車サイドは、京都線の急行電車の停車駅で長岡天神駅は、通過する時間帯があって、看板と言うか行先板(標識板)のベースの色が白色であれば、長岡天神駅にも停車する便の合図にしてた」と、言う事だそうです。

1人がナイス!しています

ID非公開

質問者

2020/10/29 11:38

ありがとうございます。 >長岡天神駅は、通過する時間帯があって 調べてみたら当時の急行は今の特急並みの停車駅だったのですね。 逆に言うと今の特急が昔の急行並み。