勉強して意味はありますか?

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テスト問題と同じだと思ってんだろ。 世の中の問題に答えが用意されてると思ってるのが間違い 君の前にプロ野球を目標にしてる子供がいます。 目標達成するために勉強しましょう・・とはならない。 君の目標を実現するために、勉強が必要なのか、必要でないのか それぞれで違うだけ 今の君はそういうことを考えることもできない・・頭の悪い人だってことだね

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個体差個人差があるのよね心理学じゃないけれど 男女もちがうのよね https://www.aozora.gr.jp/cards/000922/files/45642_28592.html それを擬制としてウソの効用で平等でいってるのです ウソの効用 デステイニープランのほうが楽そうです。 議論うつになるからね 自主管理は面倒くさいもんね スーパービルドゥンクした者、プラトンのいう哲人王みたいな人あるいはルソーのいう神みたいな立法者すなわちアリストテレスの思惟の思惟のわかる人弁証法を身につけた者だけがわかる話なので。 質は有と同一 一一三節 本質における自己関係(Beziehung-auf-sich)は、同一性(Identität) 、自己内反省(Reflexion-insich)という形式である。これは有の直接性(Unmittelbarkeit)に代わってあらわれたものであって、両者はいずれも自己関係という抽象である。 制限された有限なもののすべてを有るものとみる感性の無思想は、それを自己と同一なもの、自己のうちで自己と矛盾しないものと解する悟性の固執へ移っていくのである。 同一と区別は、きわめて重要なカテゴリーです。同一と区別の統一について、結局、何がいいたいのかというと、本質と現象の関係は同一であると同時に区別されているということです。本質は現象するわけですから、現象というのは本質と同一なのです。では現象は本質と全く同じかというと、本質とは区別されてもいます。全く同じでは意味ありません。同一と区別というカテゴリーは対立するカテゴリーだけれども、統一においてとらえないと正しいカテゴリーになりえないのだ、というのです。同一は同一、区別は区別だというような考え方は、全く何の役に立たないものだということです。ですから本質論におけるカテゴリーは、同一と区別の統一からはじまる対立物の統一、あらゆるカテゴリーにおける対立物の統一として展開されることになります。 「本質における自己関係」とは、有と本質の関係のことです。有とそのなかにおける本質との関係は、他のものには関係しない自分のなかだけの関係です。「本質における自己関係は、同一性、自己内反省という形式」とありますが、本質と有という二つのものは同一なのです。「これは有の直接性に代わってあらわれたものであって、両者はいずれも自己関係という抽象である」。有では直接的であったものが、本質においては媒介されたもの、相関性としてあらわれます。相関関係にある二つのものは有の内部における関係です。そういう意味でこの「直接性に代わってあらわれた……自己関係」だというのです。 また本質は、有の「抽象」として生まれた自己関係です。本質をとらえようと思えば、物事を抽象化しないととらえられません。本質というのは有の真理ですから、本質は有と同一のものだということになります。本質と有との同一性は自己の内部における同一性という関係であり、しかも本質は有を抽象することによってえられるものなのです。 後半の部分に入ります。この世の中にあるものをすべて正しいものとする考え方は、現象しているものが即本質であるという考え方と同じではないか、と批判しているわけです。現存するものをすべて肯定する考えは、すべて「自己と同一なもの」、つまりすべて本質であるとみなす見方につながります。それはおかしいではないかとヘーゲルはいっているのです。 目の前にあるものがすべて本質そのものだとしたら、人間がものを考える必要もないし、抽象化する必要もない。確かに本質は有の真実在として有と同一のものなのですが、同時に有と区別されたものなんだ、というのです。それを同一としかいわないような無思想なものは、話にならないと批判しています。 本質は有から区別 一一四節 この同一性は、有から由来するものであるから、最初はただ有の特性にのみまとわれてあらわれ、外的なものと関係するように有と関係するにすぎない。有がこのように、本質から切り離されて理解されるとき、有は非本質的なもの(das Unwesentliche)と呼ばれる。 「この同一性」とは、本質のことです。有から生まれた本質は、さしあたり有から区別されたものとしてあるわけで、そうなると有は本質に対して非本質的なものという関係になる。いったん有と本質は切り離されるわけです。本質は有から生まれたけれども、生まれた以上はもう有とは区別される。だから有から生まれたものは本質であるのに対して、有の方は非本質的なものとして区別されるのです。まず両者を区別したうえで、つぎにその関係をみるわけです。 しかし本質は内在性であって、それは自分自身のうちに自己の否定、他者への関係、媒介を持つかぎりにおいてのみ、本質的である。したがって本質は、非本質的なものを自分自身の反照(Schein)として自己のうちに持っている。 本質は、有に内在しているものですから、本質は有から独立したようにみえるけれども、有との関係を切るわけにはいきません。つまり本質は非本質的なものと切り離しがたい相互前提の反省関係にあるのです。 しかし反照あるいは媒介の作用には区別の作用が含まれており、区別されたものは、自分がそこから由来しながらそのうちに自分が存在しないところの、すなわち仮象として存在しているところの、同一性との区別のうちで、それ自身同一性の形式を持つようになるから、自己へ関係する直接性あるいは有として存在する。 ちょっと分かりにくいところです。まず本質は有から生まれた、だから本質と有は別である、片方は本質であり、もう一方は非本質的なものだと区別します。しかし有と本質は区別されるが、両者は切り離しがたい関係にある。どのような関係なのかといえば、それは同一と区別の統一の関係なのです。「しかし反照あるいは媒介の作用には区別の作用が含まれており」とありますが、本質と有とが関係する、反照する、媒介するということは、両者をその区別においてみているのです「区別されたもの」とは、本質のことです。「そこから由来しながら」の「そこ」とは、有のことです。本質は有から生まれるということで有と本質の関係をみてきたけれども、本質が定立されると同時に、これまでの有は有でなくなってしまって、仮象に落とされてしまっている。だから本質と仮象(有)とは同一と区別の統一としてあるのです。「同一性との区別のうちで、それ自身同一性の形式を持つようになる」とは、同一と区別の統一としてある、と理解したらよいと思います。「自己へ関係する」とは同一性のこと「直接性あるいは有」とは仮象(有)の中の本質に媒介されない部分、つまり区別のことです。 ここまでをもう一度、整理してみましょう。まず有から本質が区別される。すると有は仮象になってしまう。 しかし有と本質は同一である。なぜなら本質は有の真実在であるから。しかし有と本質は同一でありながらも区別されなければならない。なぜなら有には本質でない仮象が含まれているから。それをまとめて、本質と有とは同一と区別の統一という媒介関係にある、といっているのです。 同一はいかにして区別となるか 一一六節補遺 同一はいかにして区別となるかというような質問をする人があるとすれば、こうした質問のうちには、同一性は、単なる同一性すなわち抽象的な同一性として、単独に存在するものであり、区別も同様に単独に存在する或る別なものである、という前提が含まれている。このような前提をしていては、呈出された質問にたいする答は不可能である。同一を区別と別なものとみれば、そこにわれわれが持つのは区別だけである。進展の径路を問う者にとって、進展の出発点が全く存在しないのであるから、区別への進展を示そうにも、示しようがないわけである。したがってこうした質問は、よく考えてみると、全く無意味である。 同一がなんで区別なのか、ということを質問する人がいるとすれば、同一は同一だ、区別は区別だというように、形式論理学の世界で論じている人であって、こういう人を相手に論じてもしようがない。そもそも同一は区別を伴ってこそ同一であり、区別は同一を伴ってこそ区別である。つまり同一と区別は対立物の統一としてとらえるしかないのだ、ということをヘーゲルはいっているわけです。そういう同一と区別の統一としてとらえられたものが、根拠としての本質になるのです。次はそのまとめです。 なお、すでに考察したように、同一性は否定的なものではあるが、しかし抽象的な、空虚な無ではなく、有およびその諸規定の否定である。したがって同一性は同時に関係であり、しかも否定的な自己関係、言いかえれば、自分自身から自己を区別するものである。 「同一性」とは本質としての同一性です「否定的なもの」というのは、本質が有を否定して有のなかに生まれることです。直接的な存在である有を否定してその内側にある変わらない不変な自己同一を保ち続けるものが本質なのです。同時に、それは有の否定として生まれたのだから有と本質とは関係をもっています。先ほど「自己から自己を反撥する」といいましたように、内側にある本質は外へあらわれ出ることによって自分自身から区別された現象となるという関係です。 有を否定することによって同一性が実現される。さらにその同一性が否定されることによって区別が生まれる。それは有と本質の関係であり、有と本質の関係は同一と区別の統一として理解するしかないのです。