朝鮮戦争のミグ・ショックとかアイゼンハウアー政権のスプートニク・ショックを見ていると冷戦前半は航空宇宙技術で東側が先行してた感がある
朝鮮戦争のミグ・ショックとかアイゼンハウアー政権のスプートニク・ショックを見ていると冷戦前半は航空宇宙技術で東側が先行してた感がある んですが、これが完全逆転したのっていつごろなんでしょうか?
ベストアンサー
ミグ15はイギリス製のロールスロイスニーン2をライセンスを無視してソ連でコピーし、ドイツで開発が進んでいた後退翼システムを組み合わせ、軽量の機体で高性能を実現した機体です。アメリカにとっては、予想外にずば抜けた性能というより、航空技術が遅れていると思っていたソ連が、既存の技術を寄せ集めてこれほど高性能の実用量産機を作り上げた衝撃が大きかったのです。この面は太平洋戦争初期のゼロショックと等質のものです。技術的にはアメリカはソ連に遅れはしなかったものの、その後戦闘機開発の方向は、一時を除き、より大きく重く早くという事になり、ベトナム戦争で軽快な旧式機のミグ17に、新鋭のF105が撃墜されるという事態が起こる事となりました。 ソ連は核爆弾を投下するための大型爆撃機の開発はアメリカに大きく劣っており、弾道ミサイルを運搬手段として開発を進めていた。いわゆるICBM級のロケットの開発は、ソ連が大きく先行していた。アメリカがアトラス級のロケットを開発し、一人乗りのマーキュリー衛星を打ち上げた時点で、ソ連はよ大型のボストーク衛星を、同時に複数打ち上げるほどに実力差があった。 その後アポロ計画が策定され、1965年から1966年にかけて、第2世代のICBMであるタイタンロケットを用い、2人乗りの宇宙船を打ち上げ、アポロ計画の準備を進めた段階で、ほぼソ連のロケット技術を凌駕したと言える。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございます。 ミグ・ショックって枯れた技術の組み合わせの妙だったんですね。 初めて知りました。
お礼日時:2020/11/26 22:52