魂にはよい魂と悪い魂があり、善霊、悪霊ともいい、仏様を信じることで善霊となって、来世、天国へ生まれ変わり、仏様を信じず、人間は空じゃ、魂なんて、ないんじゃ、といって、悟りを開いたと思ったある僧侶は、来世、野狐となって、百転生、野狐として地獄に堕ちてしまいました。
つまり仏道修行をせず、仏果を得られない僧侶は、死後、地獄へ堕ちて、野狐となってしまったわけです。ですから、因果をくらますことはできないわけであり、地獄へ堕ちた僧侶は、その因果の理法を悟るまで、野狐の境涯から抜けることはできないわけです。死後確実にそういう境涯、畜生道、餓鬼道、修羅道、色情道、無間地獄、と仏果を得ない、修行しないものは、地獄へと堕ちるので、仏を信じ、般若波羅蜜多、仏の瞑想をすることで、仏陀となり、最高の魂となり、宇宙の真理、ブラフマン、つまり仏や西洋では神と言われるものと、一体となることができるのであります。ですから、仏陀は魂がないとか、ブラフマンなどないと言っているのではなく、バラモンの境涯に生まれなくても、最下層身分で生まれたとしても、仏果を得たならば、仏に成れると言ったわけであり、バラモンの身分を得ることができ、たとえバラモンであっても、その魂をドブに捨てたならば、まさにドブ人間として、最下層の身分まで落ちると、仏陀は警告したのです。法華経もまさにドブ人間であっても、信仰に励んで、みごとに蓮の花を咲かすことは可能であると、説いているのであり、ずっとドブの魂とか、そういうことではなく、清浄な魂にも、どうにもなりうると仏陀は、無我の教えとして説いたのであって、魂とは、仏道修行により仏果を得て、仏陀になることを意味しているのです。