魂とは、如何なるものなのでしょうか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様、ありがとうございます。 そういうものなのですね。

お礼日時:2020/11/25 22:36

その他の回答(10件)

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もしも、ぱくんと口に入れたら、ひとつひとつ味が違うんだろな

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魂にはよい魂と悪い魂があり、善霊、悪霊ともいい、仏様を信じることで善霊となって、来世、天国へ生まれ変わり、仏様を信じず、人間は空じゃ、魂なんて、ないんじゃ、といって、悟りを開いたと思ったある僧侶は、来世、野狐となって、百転生、野狐として地獄に堕ちてしまいました。 つまり仏道修行をせず、仏果を得られない僧侶は、死後、地獄へ堕ちて、野狐となってしまったわけです。ですから、因果をくらますことはできないわけであり、地獄へ堕ちた僧侶は、その因果の理法を悟るまで、野狐の境涯から抜けることはできないわけです。死後確実にそういう境涯、畜生道、餓鬼道、修羅道、色情道、無間地獄、と仏果を得ない、修行しないものは、地獄へと堕ちるので、仏を信じ、般若波羅蜜多、仏の瞑想をすることで、仏陀となり、最高の魂となり、宇宙の真理、ブラフマン、つまり仏や西洋では神と言われるものと、一体となることができるのであります。ですから、仏陀は魂がないとか、ブラフマンなどないと言っているのではなく、バラモンの境涯に生まれなくても、最下層身分で生まれたとしても、仏果を得たならば、仏に成れると言ったわけであり、バラモンの身分を得ることができ、たとえバラモンであっても、その魂をドブに捨てたならば、まさにドブ人間として、最下層の身分まで落ちると、仏陀は警告したのです。法華経もまさにドブ人間であっても、信仰に励んで、みごとに蓮の花を咲かすことは可能であると、説いているのであり、ずっとドブの魂とか、そういうことではなく、清浄な魂にも、どうにもなりうると仏陀は、無我の教えとして説いたのであって、魂とは、仏道修行により仏果を得て、仏陀になることを意味しているのです。

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こんにちは。「tyran」です。 人間の「魂」の次元は、第8次元「仏界」にあり、その次元は「月」にあります。「魂」は「真の我:真我」とも言われ、その「ホーム」は、人間の中では「脳内:脳下垂体」に収まっており、外界では「月」にホームがあります。 「月」は落ちて来ません。 すなわち「生れ落ちない世界:涅槃」があるわけです。 「月」まで、死後、帰れる存在は「悟り」を開いて「仏陀:目覚めたる者」になられた存在だけです。「魂」の「ホーム:月」は「宇宙圏:中部」にありますが、その上の次元、第9次元「神界」は「宇宙圏:上部」にあります。 「神界」の下に「仏界」があるということは、「仏陀」となられれば、「月」にて勉強されて、やがて「神界」に進まれ「神様の仕事」をされるようになると言うことです!つまり「人」から「仏」になり、「仏」から「神」になるわけです。 「人」→「仏」→「神」 人間は「神様候補生」です! 人間が「輪廻転生」して「転生」を繰り返し、この世「現世界」に生れ落ちて来るのは「悟り」を開いて仏陀となり、本来の「魂のホーム:月」に帰るためなのです!「悟り」を開けず亡くなられれば、また、何百年後に「転生」されて生れ落ちて来られます。 それは「悟りを開くためのやり直し」に他なりません。(輪廻転生の理由です) 「魂:真我」には「悟りへの渇望」があります。 ゆえに「霊界・天上界・菩薩界」にお帰りになられようと、悟りを開いていなければご納得されず、また「転生」されます。 人間の「魂:人魂」とは「神様の神魂を引きちぎり創られたもの」であり、いわゆる「神魂の分魂:わけみたま」なのです! 「魂」が、生前収まっている場所も「脳内:脳下垂体」であり、ここは「第三の目:サードアイ」とも言われ、「神の目」とも呼ばれます。 「他人が見ていなくても自分は見ている」 「善行も悪行も、神様は見ておられる」 「陰徳」は、誰も見ていない所で善いことをする徳ですが、「陰徳」であればあるほど神仏の目にとまります!誰も居ない所で「ゴミ拾い」をされても、神仏はご覧になられております。 神様仏様は、人間の「魂」を通して「行い:業」を見ておられるのです! 「罪」とは、”自分や他人に「苦痛」を与えること”ですが、これは、必ず「誰か」に与えた分だけ自分に返って来ます。「苦痛」を与えた分、自分が受けて「罪」は消えます。これを「業の解消:カルマの解消」と言います。 「魂」の文字の中には「鬼」の字が含まれますが、本人のために、本人が他人に与えた行い(悪行・善行)の報いを、転生して、本人に与えます。 他人の腕を切り落とした者は、生まれ変わって、他人から腕を切り落とされる!「魂」は、「鬼」になって本人の「運命」を仕組んで行かれます。 「人間は自分の行ったことから逃げられない」 「魂」の本願は、「本人に悟りを開いてもらい仏陀になってもらうこと」ですから、人生の幸福・不幸に目的がないわけで、悟れる可能性があれば「不幸な人生」もご用意されます。 あまりにも「辛い人生」で「自殺」される方々もおられますが、目的は、あくまでも「悟り」を開いてもらうことで、「苦しみ」の隣には「悟りのヒント」があると言うことです!「ピンチ」は「悟りのチャンス」です! 人生の中で、多くを気付いて行かれることを 「魂」は望まれておられます。 以上です。 ここまで読んでいただいて誠にありがとうございました。