忠臣蔵は、どうして主の仇討を目的としているのですか?理由はなんですか?どうして仇討をしようとしたのですか?

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忠臣蔵はどんな組織なんですか?どうして忠臣蔵を結成したのですか?

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忠臣蔵メンバーは当時の赤穂浅野藩の家老以下家臣の一部です。当時は藩主が亡くなったら藩士は殉死するという慣習がまだあった(禁止はされていたが)。それが美意識だったんです。でもそれだけじゃないですね。 吉良上野介の嫌がらせは相当知れわたっていたと思いますし、その吉良に何のお咎めがなかったことに藩士は反発したんだと思います。 実はこの事件の17年前に江戸城内で大老の堀田正俊が若年寄の稲葉正休に刺殺されるというもっと派手な事件が起きます。稲葉も周囲の者に切り殺され、稲葉家は改易された。堀田も死に跡を継いだ子は禄を削られた上に翌年山形⇒福島と田舎に左遷された。つまり堀田側もそれなりの処分を受けている。地位は堀田が幕閣ナンバーワンの大老で下総古河13万石、対して稲葉は若年寄で美濃青野1.2万石の小大名。上下関係は明らかです。 今回の吉良は軽傷程度で隠居させられた以外にお咎めなし、対して浅野は藩主切腹の上赤穂5万石は改易。吉良は高家で官位は浅野より上だったが、武家としては旗本4200石の吉良より、5万石の城主である浅野の方がはるかに上。武力なら負けないという自負が強くあったと思います。それが討入という強硬手段をとった大きな理由の一つだと私は思います。最初からかないっこない相手ではこうはいかない。儀式や典礼ばかりの吉良家より、戦国以来の武勲に富む浅野家の方が絶対に強い。今に見ておれという気風が強かったはずです。 幕府も黙認していた様子があるのは武家社会ならではの価値観があったからと思います。

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まず大前提として、「仇討ち」というのは、当時の江戸庶民にとって最高の娯楽イベントだという事実です。 喩えれば、サッカー日本代表のワールドカップ予選のようなものです。 今も昔も、庶民は芸能・スポーツのニュースに飢えています。そうした庶民にとって、仇討ちは最も美味しい素材だったんです。 だって、この平和な時代に、人と人が真剣勝負で殺しあう、なんて刺激的な出来事は他にありません。そんな事件が起これば、そりゃあ、みんな大喜びです。 しかも、仇討ちの場合、善玉と悪玉がはっきり決まっています。仇を討つほうが善玉、討たれるほうが悪玉。ストーリーが作りやすくて感情移入がいやすい。そして、善玉に加勢する正義のヒーローなんかがいれば、一躍時の人になります。 そういう人気者をスカウトすれば、その大名家の人気も上がります。 「高田馬場の仇討」でそうした国民的人気者になったのが、中山安兵衛という浪人です。その人気に目をつけてスカウトしたのが、赤穂浅野家の家臣・堀部弥兵衛ですね。自分の娘と結婚させて、堀部安兵衛となりました。 つまり、「仇討ちは、再就職の近道」という事実を、彼自身が証明しています。 そうしたら、その有名人が新加入した赤穂浅野家が、いきなりお家断絶してしまったんです。さあ、江戸庶民はみんな色めき立ちます。あの安兵衛もいる赤穂浪人団だ、主君の仇を討とうと張り切っているに違いない、仇討ちしないでどうすんだ。 という具合に、赤穂浪士たちは「でかい仇討ち事件を起こしてくれるに違いない」って、江戸中の庶民の期待を集めることになりました。 この大衆人気の盛り上がりを利用しない手はありません。 だから大石らは、「これは幕府への叛逆ではなく、仇討ちなんですよ」という形式を、精一杯アピールしました。仇討ちなら、世論を味方に付けられることを知っていたからです。 赤穂の浪人たちが、未来永劫子々孫々の「極貧生活」から抜け出すためには、世間の耳目を引くような大事件のヒーローになり、どっかの大名家に再就職するしかありません。 だから討ち入りは「幕府への叛逆」ではなく、あくまで「主君の仇討ち」である、というストーリーを構築する必要があります。 そもそも浅野内匠頭に切腹を命じたのは幕府ですから、主君の仇ば幕府のはずです。って、理屈はそうですけど、江戸城に討ち入るわけにもいきません。勝ち目がない騒動を起こしても、誰も評価してくれません。 それよか、手近な「勝てる相手」を見つけたほうが、現実的でしょう。「勝てない戦争」を始めてはならない、これは最低限の武士の基本です。 だから、彼らは「叛乱」ではなく「仇討ち」をしなきゃいけないんです。 討ち入った四十七士は、世間の喝采を浴びつつも、やはり切腹になりました。 これは想定内、というか、期待通りだったと思われます。「汚らわしい謀反人」ではなく「名誉ある義士」として死ねたことは、彼らの親類縁者、子孫たちに多大な恩恵を与えたはずです。 あの四十七士の息子だ、身内だと聞けば、どの大名家も家中に加えたいと思うようになるでしょう。 武士というのは、戦争すればかなりの確率で戦死するのが宿命です。 しかし、「死んだらそれっきり」では誰も働きませんから、「自分が戦死したら、その手柄込みで、自分の禄は間違いなく子孫に引き継がれる」という保証されなければいけません。これが武士の基本的なエトスとなります。 息子がいなかったらどうするか、どっかの遠い親戚でも誰でもいいから男の子を連れてきてくれて、そいつに家名を継がせれば、「死んだ甲斐があった」ということになるんです。血統、遺伝子は絶対ではありません、これは思想の問題ですから。 「自分の命より家名の存続。家さえ続けば、自分は死んでも本望」という思考をするように、武士というのは、できているんです。 自分が再就職できなくても、子孫が再就職して家名を復活させてくれれば、大成功なんです。 大石内蔵助良雄は、妻を離縁したあと、長男主税(ちから)良金を連れて討ち入りしています・大将としては、息子を安全地帯に逃したのでは、部下に示しがつかなかったでしょうし。当然、主税も切腹しています。 しかし、離縁した妻が産んだ大三郎がいて、赤穂義士が大人気になったのち、広島の浅野本家に仕官が叶い、父と同じ1500石を貰って、大石良恭として家名を復活させています。 目論見どおり、なんて意地悪なことはいいませんけど、討ち入りが評判を取ったおかげで、子孫の再就職ができたのですから、やはり「討ち入りは大成功」と言っていいでしょう。 家を残すことが、武士の最優先事項なんです。 私も正直、吉良上野介は「冤罪」であり、気の毒だと思います。 しかし、赤穂の浪人にとっては、背に腹は変えられません。 「幕府への抗議」ではなく「殿様の仇討」であるためには、浅野が吉良を深く恨むだけの「何か」があった、という物語が必須なんです。 これは、しょうがありません。 弱者の戦略としては、敵の一番弱い部分を突くことしかありませんから。

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