ゼロ戦の後継機は、なぜ生まれなかったのでしょうか?

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三菱飛行機に開発を任せ様としたからです。三菱飛行機は零式艦上戦闘機の改修や改造要求でてんてこ舞いの状態であり零式艦上戦闘機の改修に改造と局地戦闘機の雷電の開発で戦闘機設計主任が入院する事態にまでなっています。三菱飛行機では戦闘機設計チームは1組しか無く戦闘機生産工場も1ヶ所しか有りませんでした。後継戦闘機を開発すると生産ラインを止めて新型機の生産に移行する必要が有るのです。その間の零式艦上戦闘機の生産はストップして仕舞います。この事から海軍では新型機開発の時期を送らせています。三菱飛行機が新型機の開発が出来る様になったのは零式艦上戦闘機の生産を中島飛行機に委託生産をしてからになります。

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ゼロ戦そのものが航続性能や戦闘能力など艦上戦闘機としてほぼ完全に完成された機体で操縦士からしても操縦しやすく、開戦してしばらくはその性能を発揮して多くの戦果を残したことから後継機の早急な開発の必要性を余り感じなかったからです。 しかし戦争中盤になり、ゼロ戦の優位性が失われ始めてからは後継機の必要性が高まったのですが、マリアナ沖海戦で大敗し、多くの空母を失って艦上戦闘機の必要性も失ってしまいました。それ故に地上の飛行場から発進して防衛を重視し、敵の最新鋭の戦闘機や爆撃機に応戦する局地戦闘機の必要性が高くなりました。 一応、ゼロ戦の後継機としての烈風が開発されてはいましたが、空母がなければ艦上戦闘機や艦上爆撃機の価値は下がりますので、国力が乏しい当時の我が国ではゼロ戦の後継機は後回しにならざるを得なかったのです。

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