石田三成は徳川家康より位は下だったのですか? 豊臣政権でのことです。

補足

家康を上とする回答が多いようですが・・・ 秀吉や三成の思惑通りに三成たちが「大都督」となれば立場は上だったのではないでしょうか?官位もそれなりに上位にされると思います。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

秀吉や三成が望んだように、三成が大都督と成れていれば・・・と思いました。

お礼日時:1/17 17:08

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石田三成公は秀吉公直属子飼いの家臣にて役職は奉行職 徳川家康公は外様大名の筆頭にて役職は大老職 幾ら秀吉公が三成公の位を上げ様とも 秀吉公の御威光が無ければたかが20万石弱の大名に過ぎない (虎の威を駈る狐も同然) 一方家康公は・・・・・ この頃は約150~200万石の大大名 時は戦国の御世なれば 両者の歴然たる力の差は埋まり様はございませぬ

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一奉行にすぎない石田三成より、五大老の一人である徳川家康の方が、当然、位は上です。 奉行衆は、「年寄衆」ともいわれ、指示をだして政務を執るのは、奉行衆の仕事でした。奉行衆の方が権限は上です。 大老衆は、政権の諮問機関であり、大老衆が認可しなければ、その政策は実行されなかったこともありました。ですので、大老衆の方が、力は強いのです。 豊臣秀吉は、己の死後の政権運営で、奉行衆が力の強い大老衆に引けをとらないように、明皇帝から奉行たちを「大都督」に任じてもらい、お墨付きをもらうことで、奉行たちの立場を堅固なものとしようとしていたのだと思います。

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大名としての各は家康のほうが断然上です。 が、三成は、豊臣家の直臣で政権を運営するメンバーです。なので、豊臣が冊封されるのなら、は家康より上だという考えだと思われます。 江戸時代、前田や島津、伊達など大大名と老中では、各は大大名のほうが上ですが、老中は幕府の一員として大名を統制しています。

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徳川光圀(水戸徳川元中納言(黄門))VS柳沢吉保(幕府大老格) 徳川斉彬(水戸徳川中納言)VS井伊直弼(幕府大老) 天下の副将軍水戸中納言と大老柳沢や井伊のどちらが格上と言う事ですね。 今風に言えば大臣、大納言、中納言は地方から選ばれた政治家 執権、管領、大老老中は将軍家又は豊臣家の官僚 後陽成天皇(国王) 豊臣秀吉:従一位太閤『前関白太政大臣』(前大統領) 豊臣秀次:正二位関白兼左大臣(大統領) 今出川晴季:従一位右大臣(副大統領) 徳川家康:正二位内大臣(内閣総理大臣) 前田利家:従二位権大納言(副総理) 毛利輝元:従三位権中納言(内閣閣僚) 上杉景勝:従三位権中納言(内閣閣僚) 小早川隆景:従三位権中納言(内閣閣僚) 宇喜多秀家:従三位権中納言(内閣閣僚) 小早川秀秋:従三位左衛門督(金吾)兼権中納言(防衛大臣) 長束正家:従五位下大蔵大輔 財務省 石田三成:従五位下治部少輔 内閣官房 大谷吉継:従五位下刑部少輔 法務省・検察 増田長盛:従五位下右衛門少尉 自衛隊三尉(小隊長) 小西行長:従五位下日向守兼摂津守 石田正澄:従五位下木工頭⇒宮内省造営事業部長