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「応神五世孫の継体が天皇になれたんだから、桓武五世孫のオレが日本の半分を貰っても良いだろう」 これが将門の終盤の言い分ですね。 計画的というよりは成り行き任せだったのは間違いないにしても、坂東武者達に担ぎ上げられたということは、坂東武者には朝廷に対する相当な不満があったということでもありましょう。 将門の後継者が頼朝ということになりますが、頼朝は挙兵前から坂東在住経験のある朝廷の下級貴族と親交を持っていたいました。 その代表的人物が、中原親能で、後に弟の大江広元も鎌倉に引き込んでいます。 頼朝は、伊豆流罪中から、中原親能とは、挙兵とその後の構想を相談し合うような仲だったと思われます。 頼朝は、将門が果たせなかった坂東独立を、かなり前から計画し始めていたということでしょうか。
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質問者からのお礼コメント
時の行者氏に自作自演疑惑があるので貴女をBAにしました。ありがとうございます。
お礼日時:1/16 17:15