ID非公開

2021/1/12 17:06

55回答

平将門は東国の独立を計画していたんでしょうか。 日本全体の支配ですか。

画像

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

時の行者氏に自作自演疑惑があるので貴女をBAにしました。ありがとうございます。

お礼日時:1/16 17:15

その他の回答(4件)

0

時の行者氏が正しい。 朝敵になったのではなく、朝敵にされたのだ。

在地領主論・・・・武士は武装農民から 公武対立史観・・・公家と武士は対立する 東国国家論・・・・鎌倉幕府は独立した政権 のワンセットの3つですが、 この3つから遡って平将門を、源頼朝の先駆者として「朝廷への反乱と独立を計った」に仕立て上げる説もありますが、 武士は都で発生し、地方武士も先祖は都の軍事貴族 幕府成立後の方が公家の荘園は栄えた と、在地領主論と公武対立史観は否定されており、東国国家論も2つの王権論と訂正されて、なお、やや少数派の論なのです。

1

そこまで具体的な「計画」があったわけではないのではないでしょうか。 とにかく、目の前にある同族間の争いをきっかけにして暴れてしまった、そして自分が抱いている不満を周りにも喧伝してみた、そしたら共感を得られて一時的に勢力が大きくなった、だけど京都の正当政府から正規軍が差し向けられてきたらさすがに結束は乱れたし戦闘でも負けた、という、そういうけっこう行き当たりばったりなのでしょう。

1人がナイス!しています

2

全く考えていなかったと言えます。関東の同族争いでは朝廷に伺いを立てて自身の弁護を大方認められていますし、常陸国府との戦いも巻き込まれたと言っても良いでしょう。ただここで常陸国の印綬を奪ったことで朝的とみなされる不運があり、結局新皇を名乗ることになります。 これが計画的でないことは、彼が任命した新たな国司が親王任国であった常陸、上総の最高官を介で任命したものでこれは独立するなら守を任命すべきことです。新政府など想定していなかったことはこのことでもわかります。 結局流れに任されたという事でしょう。

2人がナイス!しています

0

ありきたりな所領争いの中、勢いで国府を攻撃して、引っ込みがつかなくなっただけ