中世・近世のヨーロッパに詳しい方、もしくは小説家になろうに詳しい方、知恵をお貸しください。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様本当にありがとうございました。 どの回答もしっかりしていてどれをBAにするか迷ったのですが、「歴史的知識」「なろう系小説におけるそれらの扱われ方」の両方にバランスよく触れていたこの回答をBAとさせていただきます。

お礼日時:1/24 0:14

その他の回答(5件)

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史実で言えば、マルグリット・ド・ヴァロワやカトリーヌ・ド・メディシスは実家の力で権勢を振るった一例です。勿論本人の才覚もありますが。この時代は未婚の女性は基本立場が弱いです。なので、みんな結婚してから夫とは形だけの結婚生活を続けて、自由恋愛や王宮生活を楽しんでいたわけです。それでも結婚は家と家との結びつきでもあった(というかむしろこっちがメイン)ので、男性側も露骨な妻への冷遇はご法度だったようですね。マリー・アントワネットとか。 あとはエリザベス1世や女帝エカテリーナ、マリア・テレジア女帝などのように自らが権力を握るパターン。エカテリーナは、あほ王子と結婚して実権を奪い、夫を追放して自らが帝位について『ロシア3大名君主』と呼ばれるほどの存在になっています。 歴史ものは面白いですよ、どうぞじっくり彼女たちの物語を楽しんでください。

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中世・近世ヨーロッパでは女性は原則、男性の所有物であり勝手な行動は許されない。 アリストテレスは女性を「性欲に溺れ子供を産むことに強い執着を持つが不合理で矛盾に満ちた生き物であり、本質は肉である。男性は逆に精神の生き物である」と述べ、この思想がヨーロッパの近代に至るまで影響を与えた。 時代が下がることにむしろその考え方は強調され、キリスト教の一派では「女は神の失敗作である」とか「女は人間か?」などの議論が大真面目に行われていた。 しかし、中世の一時期、女性の立ち位置が一時的に回復しています。 それはゲルマン人の侵入によって「文明的な」思想が後退したからです。 皮肉なことに、蛮族であるゲルマン人の方がまだまともな考え方をしていた。 中世の女性は夫の代理であり、準戦闘員です。 夫が遠征に出かけるときは同じく甲冑に身を固めて城壁を守り、内政を行い、不穏な反乱分子がいれば剣を取って戦った。 また、当時は法などあって無きが如しで、基本的には「自己解決」の時代です。 裁判は親告罪のみで、客観的な判決は望めないため、有利な結果を出すためには多くの仲間、つまり親戚郎等を集めその集団で暴力によって犯人を拉致し、身内で裁判を行いました。当然、被告は多くの場合拉致の戦闘で死亡するか死刑となります。しかしやられた相手の肉親も黙っていると社会的地位を失うので、上告の代わりに「報復」が慣習的に認められていた。 そのため名家同士の争いは泥沼の準戦争状態となり、女性も果敢に戦った。女性が報復の標的となることが多かったからです。 この代表的な作例がロミオとジュリエットですね。 やがてルネサンスによって「文明的な」思想が流入すると女性の地位は再び低下しますが、だからと言って近世以降も、嫌な相手との結婚を拒否できない、ということはありません。 結婚は政治ですから、多くの要素が絡む。 無理やり結婚させて後で問題が起きれば外交問題になって婚姻政策の意味がなくなるどころか、下手すると容喙の隙を生み、あの手この手で難癖をつけられ争乱の火種となる。 また、王族の女性はほとんどが父王とは滅多に顔を合わさずに成長します。 場合によって母親とも滅多に会わない。 その代わり乳母がつく。乳母は貴族の女性ですから、その背後に有力貴族が紐づいている。王女の嫁ぎ先は背後の貴族の隆盛を左右するため、高度な政治的な駆け引きと、貴族の派閥の人員と、そして多くの金が動くのです。 そして大抵、王妃は外国から来てるので、その背後には外国の勢力がついています。その王妃の国との外交によって、王妃によって任命された乳母の立ち位置=王女の立ち位置は大きく変動します。 さらに、王は背後の貴族を引き立て利用したいこともあれば排除したいこともあり、王妃勢力との外交など複雑なパワーバランスで調整を取っている。 その駆け引きの中心であり政争の具である王女は、その行動によっては十分に王の意思や政治を動かし得たでしょう。 なろうでもそのあたりをしっかり書けば、骨太で厚みのある作品になるんじゃないでしょうかね。

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回答ありがとうございます。 なるほど。女は男の所有物であるが故に、その男の持つ力次第では女性であっても政争の土俵に立つ事はできた、という事ですね。 個人的には「夫の不在時には女が甲冑を着て内政を執り行う」というのも初耳で面白かったです。 あと烏滸がましくも指摘させていただきますが、なろうは「小説」を読む場所ではなく「なろう系」を読む場所です。 こういう知識を活かして深みのある物語が書けるなら、なろうなんて肥溜めに投稿せず新人賞にでも持ち込むべきですね笑

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中世、近世のヨーロッパは、階級社会であり、階級により結婚のシステムが異なりました。 貴族階級の場合、結婚は個人の自由ではなく、家と家との関係でした。 そのため当人に結婚の拒否権は有りませんでした。 カスティリャ王エンリケ4世は、15歳でアラゴン王家のブランカと結婚しましたが、13年後離婚する時調べたところ、王妃ブランカは処女であったことが確認されました。 エンリケは、娼婦と関係をもつことができたことが確認されました。 「イヤな相手とは関係を持たない」ということはできても、「結婚しない」ということはできませんでした。 結婚を逃れるには、修道院に入るしかありませんでした。(男女共)

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なろう小説のほうを読んでいないのでどういう仕組みで「がっぽり」なのかわからないのですが・・・できればそのあたりを概要だけでも書いてもらえると助かります。 とりあえず中世の一般論になりますが、財産については結婚により妻が持参金を夫の財産として渡し、妻は寡婦産として夫の資産の三分の一の権利を持つという慣習がありました。 これは夫が死去した場合に妻が生計を立てられるようにするためですが、結婚後に夫を亡き者にしてしまえば財産の三分の一が手に入ります。むろんバレなければですが。 婚約については贈り物の返還要求の可否があったようです。婚約が解消された場合に贈り物を返還する必要がったかどうかというもので、教会裁判に返還要求が行われた場合は教会が裁定を下すことになっていました。 実例として「抱擁と接吻」があった場合は贈り物を返す必要がないという裁定が降っているようです。ただこれが一般的な判断であったかは不明で、規定としてはすでに肉体関係があった場合は返還不要というものがあったそうです。 ですので婚約破棄により贈り物をせしめることは可能だったでしょうが、破滅するほど贈り物をするかどうかは??ですね。 それと中世貴族の結婚事情というのはかなり切迫しているので、狙ってそんなことをするケースは考えにくいかと。 日本の江戸時代も似たところがありましたが、貴族の次男三男は相続権がないため自力で生計を立てねばならず、必然的に結婚できる財力を持てるケースは多くありませんでした。 当然のことながら相続権を持つ長男と結婚できる女性のほうも少なくなり、修道院に行くパターンもかなりあったようです。上級貴族の娘か、持参金を積み上げる財力を親が持っていなければ、そういうことになりがちだったようですね。 あと、中世ヨーロッパの結婚はご多分にもれず親が決めるのが一般的でしたが、教会は両者の合意を建前にしていたため、当人が頑として受け付けなければ結婚を破棄することは可能だったようです。

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カプア公国のジョルダーノ一世の娘がガエターノ公との政略結婚を拒否し、教会がこれを認めて結婚を無効にした事例があるので、娘が結婚を拒否することは可能ではありました。 教会としても現実問題として結婚が政略で行われることは承知しているのですが、教義の上では当人同士の合意という建前を取り下げるわけにはいかなかったようです。 「中世ヨーロッパの結婚と家族」参照

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近世ならともかく、中世となるとほぼ不可能ですね。 中世ヨーロッパに法の支配という概念はありません。キリスト教が全てです。当時の法というのは君主が都合よく制定していたもので、現在とはかなり実態が異なります。 また、当時の女性は政略結婚のための道具です。自由意志はありません。王子と婚約するとなると、さぞかし高貴な身分の女性なのでしょう。貴族の娘の選択肢は「親の決めた相手と結婚する」か「修道院に入って静かに暮らす」しかありません。 王子と結婚できるとなれば、女性の家はそれはそれはガッポリ稼げる訳ですから、婚約破棄なんて親が許さないでしょうね。 まぁ、その逆はあったみたいですが。ボヘミア王のオタカル二世はオーストリア公の娘と結婚してオーストリアを手に入れました。ただ、その娘というのがもうオバサンでブサイクだったので捨てちゃったということがありました。 イングランド王のヘンリー八世がメイドと結婚したいためにカトリックを辞めて英国国教会を立ち上げたのは有名な話です。 女性の権利が拡大し始めたのは意外と最近の話ですし。近世になると、封建制が崩壊して国家の統一が進み、君主が強大な権力を持ちました。フランス革命では権利の再拡大を狙って平民と協力した貴族もいますしね。女性が活躍するのは難しいです。 仮にそのような設定で小説を書くとなると、「主権国家体制と法の支配が確立されてるのに服装と街並みは中世のまま」というよく分からない世界観になっちゃいますね。

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