ID非公開
ID非公開さん
2021/1/21 15:14
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中森明菜が、「デザイヤー」でレコード大賞を取りましたが、売り上げはたったの51万枚、この年は、ヒット曲が無かったため、
中森明菜が、「デザイヤー」でレコード大賞を取りましたが、売り上げはたったの51万枚、この年は、ヒット曲が無かったため、 まぐれで取れました。この頃から、レコード大賞の権威も失墜していきました。 70年代、レコード大賞を取った人は、皆名曲で、ピンクレデイ―の「UFO」が、145万枚、都はるみの「北の宿から」が、120万枚、ジュデイオングの「魅せられて」が、124万枚、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が96万枚、沢田研二の「勝手に仕上がれ」が90万枚、ちあきなおみの「喝采」が80万枚と100万枚レコードを売り上げなければ、レコード大賞は取れない絶対的な権威のある賞でした。 レコード大賞も、値打ちが、無くなったと思われませんか??
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ベストアンサー
「この年は、ヒット曲が無かった」→1986年のヒット曲って結構ありますよ?86年は、レンタルレコードショップなどが普及したから、全体の売上枚数が減っただけで、ヒット曲の枚数だけで単純に他の年と比較できないはずですけどね… レコ大の値打ちについては、86年に限らずレコ大そのものが、人間が選ぶものですから、不完全な部分は出てくるとは思いますね。もちろん、レコ大の意味がないとまでは言えませんが。 質問者さんは、Desire-情熱-以外に、どの曲なら86年のレコード大賞にふさわしかったとお考えですか?(^^)
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