巌流島決闘。宮本武蔵の勝利は反則ではないか。戦(いくさ)ならいざ知らず、決闘(果し合い)でそのやり方はいかがなものか。
巌流島決闘。宮本武蔵の勝利は反則ではないか。戦(いくさ)ならいざ知らず、決闘(果し合い)でそのやり方はいかがなものか。 昔からこの話にはどうも釈然としないものがあります。どのように思われますか?
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ベストアンサー
巌流島なんてカワイイもんだ。 晩年の逸話だが、細川家中の試合で、武蔵は試合前に挨拶しようとした相手を、隙アリとして襲い掛かって打ち倒し、勝利したという。 武蔵曰く「常在戦場。戦いは出会った時から始まっている」。 細川家中でも賛否両論だったようですが、武蔵にとっては「戦(いくさ)も決闘(果し合い)も同じこと」だったのでしょう。 武蔵は勝つことのみを考えていた武芸者だ。道徳家ではない。 相手が多勢であろうが、飛び道具を使おうが、どのような危うい状況にあっても勝つことを考え、そのために恐ろしいほど修業を積み、心身を鍛えた。 彼にとっての試合とは合戦と同じく「生きるか死ぬか」でしかない。 私は、その徹底した心構えには、不気味さを感じるとともに敬服している。 打ち倒された相手も、武蔵に挑戦するなら、どれほど凄い剣客だったのか知らないが、いかなる状況でもスキを見せるべきではなかった。武蔵がどういう人物か知らなかった時点で勝敗は決していたといえる。 これに比べれば、巌流島の決闘なんてカワイイものだ。
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質問者からのお礼コメント
不明瞭なり自己検索。もともとは佐々木小次郎を排することを細川忠興が画策しており、毒殺なども考えられたが結局、武蔵との決闘ならびに巌流島が選ばれた。なぜ巌流島なのか。それは小次郎が逃げ出すことのできない場所。周知監視可能な場所だということ。結果、武蔵が勝ったんだけど息の根を止めることまではしなかった。最終的に小次郎にとどめを刺したのは実は島のどこかに潜んでいた武蔵の弟子とのこと。有難うございました。
お礼日時:1/23 11:34