巌流島決闘。宮本武蔵の勝利は反則ではないか。戦(いくさ)ならいざ知らず、決闘(果し合い)でそのやり方はいかがなものか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

不明瞭なり自己検索。もともとは佐々木小次郎を排することを細川忠興が画策しており、毒殺なども考えられたが結局、武蔵との決闘ならびに巌流島が選ばれた。なぜ巌流島なのか。それは小次郎が逃げ出すことのできない場所。周知監視可能な場所だということ。結果、武蔵が勝ったんだけど息の根を止めることまではしなかった。最終的に小次郎にとどめを刺したのは実は島のどこかに潜んでいた武蔵の弟子とのこと。有難うございました。

お礼日時:1/23 11:34

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素人ですが、 私の空想ですが、 当時、黒田と細川は 仲が悪くて、(理由は、黒田が中津から出て 後に細川が入る時、慣習では 稲刈りせずに出るのですが、黒田が稲刈りして行っちゃったから。) それで、細川は 武蔵に 佐々木姓の武芸者を殺させて、黒田に嫌がらせをしたのではないか?(黒田の先祖は 佐々木源氏だから。) その為 武蔵は 黒田と仲たがいしたのか、それとも その頃はもう 武蔵は黒田と仲たがいしていて、だから 武蔵は 細川に協力したのか。

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大体あの話は「神州天馬侠」「鳴門秘帖」などの武侠小説で売り出した吉川英治が書いたもの、実の所、巌流佐々木小次郎と言うのは相当の老齢だった筈、あの決闘は創作と考える他ありません、信用できなければそれまでです