造船設備が一切爆撃されなかったのは、ズバリ戦後を見据えた米国産業界の要望の結果です。
番組の最後の方で大和を建造したドッグを覆っていた大屋根を見ながら ”PETERKURE”と言うタンカーの進水式の写真を指して、大和を建造したドックで 世界一のタンカーを建造したと紹介されていますね。
このタンカーは、NBC呉と言う会社が建造しました。
このNBC呉は、National-Bulk-Careers (NBC)と言うニューヨークに本社の有る 米国の海運会社が自社船を建造する為に、戦後東洋一の呉海軍工廠の造船機能を10年間当時のお金で10万円で大蔵省と契約し1951年~1961年まで タンカー バラ積み船を建造しました。
※世界初、世界一 のタンカー・バラ積み船を短時間で連発!
その為に、事前に陸軍に攻撃から外す事をアドバイスしていたと思われます。
NBCの社長ダニエル・K・ラドウィックは、終戦を見据えて米軍から様々な機材の払い受けの契約もしていましたから。
■呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) の3階に戦後のあゆみを僅かだけ書き記しているだけなので、少し詳しく。
戦後呉海軍工廠は、分割されて、造船部門は 播磨造船に引き受けさせて呉船渠となり、半分は呉湾から広島湾に散在する帝国海軍の艦船をサルベージしてドックに入れて解体しスクラップにして日銭を稼いでいました。
昭和25年にはその様な工事も無くなり、戦時賠償でいよいよ工廠の設備が順次国外へ持ち出される事になりました。
その危機を救ったのがNBCです。GHQはそのまま呉海軍工廠は消滅させる考えでしたが、NBCの説得と池田大蔵大臣の決断で、戦時賠償を凍結して呉船渠の海軍後始末部門を10年間NBCへ貸し出す事にし、NBC呉として再出発になりました。
日本の戦後を支えた造船業の始まりは、このNBC呉からです。
ブロック工法もこのNBC呉で開発された生産技術です。その先頭に立って技術開発を行ったのが、NBC呉設計部課長の 真藤恒氏(IHI・NTT初代社長)です。
日本の大蔵省との契約で、NBC呉で行われる建造ノウハウは全て公開する事が条件でした。
なので、ブロック工法等、全て 三菱長崎造船、川崎操船、三井造船、日立造船、石川島造船 等日本の造船会社は全て、NBC呉で勉強して溶接主体のブロック工法の技術を ただで手にしました。パクりです。
後に契約が終了後、日本側の親会社で有る播磨造船が石川島重工と合併により、呉船渠とNBC呉が再集結して、IHIの呉造船になりました。現在のジャパンマリンユナイテッド 呉事業所。
大和のふるさとであり、ブロック工法のふるさとです。
※昭和26年~昭和36年まで、住友銀行呉支店は日本で3番目の外国為替取り扱い額だったそう。ニューヨーク本社から、米国$が建造計画に従って振り込まれていたそう。
※八幡製鉄、富士製鉄、川崎製鉄 に日本で唯一現金で建造に必要な鉄材を発注していた。大のお得意様なので、最優先で供給してました。
※NBC呉二より呉市は速やかに復興しました。