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2021/2/10 18:12

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クラシック音楽をろくに聞いたこともなく,かと言ってポピュラー音楽の知識が豊富なわけでもなく、クラシックの作曲家よりシンガーソングライターの方が上とか言っちゃう人って、もし松任谷由実さんご本人が知ったら

クラシック | 作詞、作曲130閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">500

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音楽というのは、時代▪民族性▪そして宗教などの精神規範への考察無くして考えることはできない。 私の書いた文章を読んで、少しは賢くなってもらいたい。 > 宗教の定義から考えてみよう。 日本の神道は、宗教ではないといわれています。 宗教の定義として、経典の存在が必要不可欠の条件となりますが、 神道にはそのような経典は存在しません。 日本古来の、伝承的な呪術と天皇の存在が融合したものだと考えられるでしょう。 キリスト教ですが、私はキリスト教は宗教ではないと考えています。 そもそも、キリスト教というもの自体が存在しないと思っています。 イエスキリストの最晩年の言動を書き記した福音書は、人の生き方の手引きとして、 誰であっても為になる書物ではありますが、 宗教に無くてはならない、 「奇蹟」が、キリスト教には存在しません。 キリスト教の「教義」というのは、 後の人間が、「キリスト教」を広めるために、勝手にでっち上げた物に過ぎないのです。 また仏教は、これは完全に超自然的な 「哲学」であり、 仏典には、祈祷のようなものは、なにひとつ書かれていないのです。 その意味からは、いわゆるカルト的な、新興宗教の方が、「宗教」であると言えるのではないでしょうか。 手をかざせば病気が治るとか、 あなたは、動物霊に取り憑かれて居るといった類いのものですね。 となると、大本教などは、最も宗教らしい宗教といえるでしょう。 病気は治してくれるし?、立派な経典も存在します。 さて私などは、「トランプ信者」などと揶揄されますが、 本当に「信者」なのは、反トランプの人達だと思っています。 トランプ派というのは、しっかりとした理由がありトランプを応援しているのですが、 反トランプの人達は、マスコミに刷り込まれたイメージだけで、トランプを毛嫌いしているに過ぎないからです。 さて、クラシック音楽が宗教であるかどうかですが、 クラシック音楽には確かに「拝む」対象はありますが、これを経典というのは無理があると思います。 またクラシック音楽は、特別に奇蹟をおこしてくれる訳でもありません。 しかし、イメージだけで理由がなく虜になるという事では、クラシック音楽愛好者は、 「クラシック信者」と呼ばれて然るべきかもしれません。 音楽そのものの魅力もあるにせよ、 カラヤンとか、モーツァルトとか、ベルリンフィルなどという、 何となくカッコいい、西洋的なイメージに惹かれたり、 (賢い人間が聴く音楽)だという、回りへの、自己顕示的な気持ちが根底にあるのだと思われます。 私などは、日本の謡曲とか、西洋中世の世俗的な音楽や、民俗音楽から、現在の流行歌まで一つに考えて、その中から好き嫌いを選ぶのですが、 いわゆるクラシック音楽愛好家というのは、 「バッハ以降のヨーロッパの音楽こそが、唯一のスタンダードな音楽だ」 という思い込みがある人なのだと思います。 そう考えると、 クラシック音楽は、確かにある種の宗教であると言っても良いのかと思われます。 西洋音楽と宗教についてですが、 いわゆるクラシック音楽というのは、ハイドン以降の西洋音楽の事だと思います。 バッハは昔から偉大な音楽家とはされていましたが、人気が出てきたのは最近であり、 クラシック音楽の代名詞と言えば、間違いなくベートーベンでした。 私は、バッハを境にして、西洋音楽はその体質が変わったと思っています。 グレゴリア聖歌の時代から、宗教音楽でも世俗音楽でも、 バッハまでは、継続した精神があるように、私はいつも感じています。 それがバッハの息子の時代から、そうした線が途切れてしまったと思うのです。 バッハの少し前の時代までは、いわゆる封建時代であり、一部の階級を除き、一般庶民は、貧しい生活を強いられていました。 バッハが子沢山であったのは、子供が生まれても生存率が低く、疫病で子供が長生きしないような時代でした。 だから、子供を多く作らざるを得なかったのです。 そんな暗い時代では、人々が精神の拠り所を宗教に求めるのは当然の成り行きです。 ですから、バッハの時代までは、音楽と言えば、教会音楽が中心でした。 ルソーのエミールには、幼い時のモーツァルトの記述がありますが、 その頃から西洋では、自由とか人権といった考え方が盛んになってきます。 バッハの作曲の勉強の中心は、先人の音楽を謙虚に学び、 技法だけでなく、その精神をも学ぶことでした。 しかし、「個性」を大切にする時代では、先人から最低限度の技術は学んでも、自分の独特の個性を全面に出す事が主流になりました。 ですから、作曲家一人一人の音楽は、全く違います。 先人の築いた作風を守るのが当たり前であったバッハまでの時代とは、音楽に対する考えが、全く変わってきたのです。 もはや、自分の属する教会のために、全力を尽くしてカンタータを作るような、バッハの時代とは、完全に別の時代になったのです。 人間が、自由と平等のために戦い、民主主義の世の中を実現するのは、決して間違いではないでしょう。 ただ、その歴史において、全ての西洋文化は、 神から人間へと、精神の拠り所を変えていったと思います。 ですから、クラシック音楽は、バッハを分岐点として、神から離れていったのだと私は思います。 さて西洋では、中世▪ルネサンス▪バロックでは、音楽は常に人にとって身近な存在でした。 それは決して、「芸術」というような存在ではなかったのです。 「クラシック音楽は芸術です」 と断言するような人がもしいるとしたら、 それは、クラシック音楽教という、怪しい宗教に侵された人だと思います。 バッハのシャコンヌのように、襟をただして聴く音楽は例外で、 音楽は、生活と共に存在するものであり、畏まって拝聴するものではありません。 どうやら一部の方は、 クラシック教という宗教の信者であるのが現実のようです。 新興宗教というより、専門家は、新宗教と定義しているようですね。 私の本棚にある本ですが、日本には実にたくさんの新宗教があるものだと思います。 この本には載っていない団体も多くあるでしょう。 小室圭の母親で知られるようになった団体はこの本にはありません。 たまに芸能人が、聞いたことのない怪しい宗教に入っているというゴシップ報道がありますが、 日本人は、新宗教に魅力を感じる特徴があるようです。 それも結局は、オールド仏教が、日本人の信頼を得ていない事の現れであり、 創価学会もオウム真理教も、根本にはそこに問題の本質があったのではないでしょうか。 人間というのは、本当に心が弱っている時は、超自然的な存在に救いを求めます。 そんな人にとっては、一見はカルトと思われるような宗教の方が、 今の自分を救ってくれるように思えてしまう所に、カルトが存在する理由があるのかもしれません。 モーツァルトがフリーメイソンの会員であったとか、 自分達こそ、ドイツ音楽の主流であるという、 ブラームス派対、ワグナー派の確執があったという歴史はあるようですが、 それをカルト新宗教と結び付けるのは無理がありそうです。 カルトは、一種の洗脳です。 五感を麻痺させることで、催眠術をかけるがのごとく、人の精神を操るのですね。 そのとき意味では、どんな宗教もかなわないカルトが一体何であるかを考えれば、 あなたの質問に対しての答えは出ると思います。 音楽の在り方を左右するのは、宗教などの精神規範なのでしょうか。 私は、民族性による所が大きいと思っています。 「カルト宗教」の代表は、紛れもなく、「共産主義」ですが、 先にリンクしたソ連党大会で全員が起立して党歌を斉唱しているのは、 共産主義の特質によるものではなく、 ロシア人の国民性によるものだと考えるべきでしょう。 質問者様も、「うたごえ喫茶」というのは聞いたことがあると思いますが、 ロシア人というのは、みんなで歌を歌うのが大好きな国民なのです。 ローマカトリックのグレゴリア聖歌の旋律が美しいのも、 ルターから発祥したプロテスタントのコラールが、素朴な味わいがあるのも、 宗教性というより、国民性に由来しているという方が正しいと思います。 仏教では、音楽というのは重視されませんが、 これは仏教が、控えめな国民性▪民族性の、東アジアにおいて広まったからだと言えるでしょう。 このように、宗教と音楽には、関連性は無いというのが私の考えですが、 新宗教と現代音楽には、何か共通点があるように思えます。 個人的な考えですが、 まともな音楽的感性を持ち合わせているなら、 いわゆる「現代音楽」には、拒絶反応を示すのが当然だと思います。 しかし世の中には、あれが好きだという人もいるのが不思議です。 また、カルト的な新宗教は、 常識を持ち合わせた人間なら、その矛盾が分からないはずはありません。 このような異様な物に取り憑かれる人というのは、 精神的人格的に、何らかの欠陥があるからなのだと私は考えます。 大統領選挙で分かったアメリカは、 エスタブリッシュ層を中心に共産主義思想が蔓延しているのが明らかになりました。 心を失い、物質文明を極めた先には、人の身体も心も統制するという、 カーストも共産主義をも凌駕する、 恐ろしいカルト新宗教が待ち受けているようです。

多くの日本人は、物事の表面しか見ることができず、 そして形式的、権威的な存在を否定しないのが、今の風潮である。 いじめを否定しても、国を挙げて老人イジメを平気でするような民度である。 名前を隠して自作自演をして、つまらない仲間集めをするなんて、 今の若者の程度の低さには、嘆くしかない。

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何とも思わないでしょう。 その方は以前から反発する回答が来るのを待っているような質問が目立ちます。 「横浜 or 品川ナンバーの車に乗っている人しかクラシック音楽を聴いてはいけない」等かまってちゃん的な質問が目立ちます。 llv********さん仰るように無視が一番ですよ。

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