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茶道でお茶を飲むときによく茶碗をくるくる回してから飲むのを見ますが、あれにはどういった意味があるのでしょうか?

茶道 | マナー125閲覧

回答(8件)

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沢山の方が回答を寄せてくれて、良い質問になりました。 「正面を割けるため」「亭主への敬意」「禅との関係(雑念を避ける)」「古い文献にあるため」等々真意の一端を回答されています。 本当は『お点前の都合から』が真の答えです。諸事に通じることですが、(見どころや主たる文様がある)茶碗の正面を見ながら所作、茶碗扱いをするのは物を大事にすることで異見のないところです。 ではどこから飲んだり、茶碗を洗った湯水をどの部分から建水に空けるかというと、意地悪な方から左利きとか、流派によっては9時の位置が飲み口とか、正反対の場所から飲むとか、反論を出したい方もいそうですが、普通の点前所作では点前者が座っている左に建水が置かれているので、左手で洗った茶碗の湯水を開けるのに移動させ、傾けるならば、茶碗の正面の90度右にあたる箇所から湯水は建水に流すことになります。正面を点前者から見て時計の6時とするなら、建水に空ける箇所は時計の3時の位置になります。また洗った位置でお客様が飲むことにもなります。 江戸時代以前の志野茶碗を見ても、茶碗を時計と見て、その3時の位置を空けやすいように、また飲みやすいように、僅かに落とし口(飲み口)を作ったりしてあります。

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「遠慮や敬意を理由に正面を避けるという答えしか出てこない事を残念に思います」 この人の回答だけは意味不明。古い文献を持ち出して右だの左だの言っていますが、この人が本当に作法の本質を理解しているようには見えません。 「茶碗への配慮ではなく亭主、連客への配慮からそうするのが本来なのだと思います」 もちろんそうです。そのために最も美しい正面に口を付けるのを憚るわけです。どこの誰が「茶碗に対する配慮」だと思うでしょう? 茶道というのはおもてなしです。客人を迎えるにあたり、部屋を清浄に保ち、きれいな水やお茶に合う茶菓を手に入れ、季節の花を摘みに行くなどお出迎えの準備を整えます。 茶器の選択というのもおもてなしの一環。「高齢の大先輩を迎えるのでとっておきの有田焼を用意しよう」「可愛らしいお嬢さんを華やかな清水焼きで迎えたい」など心を砕いて考えるわけです。 そうして相手のことを思い描いて準備したものなのですから、客人に敬意を込め、最も美しい正面を向けて差し出します。 そのような気遣いから大切な茶碗を提供された客の側は最も美しい部分に口を付けることを慎みそこを避けて頂くことになります。これが茶碗を回す意味です。 ではここで作法の根本に立ち返ったケーススタディ。質問者様が茶碗を差し出したところお客様は特に茶碗を回すことなくそのまま飲み始めました。そのとき質問者様はどのような気分になりますか? おもてなしの気持ちとしては「客人にキレイな茶碗でお茶を楽しんで欲しい」という思惑でお出ししているわけですから、回さずに正面から飲んでもらったことに対して喜ぶ気持ちを抱くのが筋です。少なくとも「茶碗は回さなければならない。それをしないのは作法の心得がない」などと考えるのはそれもまた作法に反する発想です。 全ての作法には意味や目的、狙いというものがあります。そういうものを失った形だけの作法などありません。こちらのカテゴリで「ナイフとフォークはどのように持つか?」という質問があったとします。多くの場合は「ナイフは右手に。フォークは左手に持ちます」という回答になります。それでも質問者の求めている答えにはなります。ただ私の場合はそうした回答の後に「何故なら」という説明を必ずしています。意味とセットで理解すれば様々なケースに応用がききますし自ら考えて最適解を導き出すことが出来ます。作法というのはそういうものです。

アカウントmidから始まる方へ。 考えるきっかけを与えることは悪いことではありませんが、あなたの回答を見る限りあなた自身がそれを理解しているようには見えません。 「正面の美しい部分に口を付けることが憚られるのでそこを避ける」というのは茶器を用意して下さったホストへの配慮です。そうした意味を蔑ろにし「茶碗への配慮はおかしい」などと言うのは少々滑稽です。 あなた自身「古い文献」に書いてあることをきっかけとしてご自身で考えるきっかけとすることをお薦めします。

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茶道はおそらく思考を止め感じるという瞑想でもてなすことが茶の心だと思います。 瞑想なので禅の掛け軸を使のでしょうね。 何かに集中すると思考は止まります。 茶道の長い所作を集中することによって思考(日常の雑念)を止め、 狭い茶室の中で鳥の声、ししおどしの音、風の音などの宇宙を感じる。 そしておいしいお茶をいただく。 お茶をたてる側も所作の中で雑念を払い美味しいお茶をたてます。 侘びと寂びは思考を止めることと感じることで瞑想のことなのかなって気がします。 回答としては 茶碗を回すなどの所作の中で日常の雑念を払い宇宙を感じるようにしておいしいお茶をいただくものなのではないでしょうか。 お茶をやったことのない素人考えなのですが辻褄は合うように思います。 自宅で紅茶をこういった感じで普段から飲んでいますしおしいですよ。 個人的には複数人でのまわし飲みはしたくないかな。

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この質問に対して、遠慮や敬意を理由に正面を避けるという答えしか出てこない事を残念に思います。 流派公式の見解ですし女性の茶道人口増加の背景から考えても現代においてはその理由でも間違いでは無いなとも思うのですが、 古い文献を見ると亭主から見て茶碗の右から飲むという様に書かれています。また逆勝手なら左から飲む記述もどこかにあった記憶があります。その後の手前の流れを考えれば何故そうするのかも分かってくるはずです。茶碗への配慮ではなく亭主、連客への配慮からそうするのが本来なのだと思います。

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表千家の者です。 私が先生から聞いたのは お茶碗には正面があり まわすのは正面を避けて飲むためです。 絵柄が入ったお茶碗だと 正面の絵柄を汚す事にもなるので。 また神社などに行くと参道の真ん中は神様の通り道で、 参拝者は端を歩くのが良いとされていますよね。 あれと同じで正面は畏れ多いと言う 考えがあるのだと思います。 ちなみに茶碗の飲み口は指で拭いて、 その指を懐紙で拭いて清めます。 またまわし飲みするのはお濃茶で お薄(薄茶、普通の抹茶)は一人一杯ずつです。 濃茶の飲み口はみんな同じ所から飲みますよ。