人生約50年ほどで、かなりな回数を乗っています(ある航空会社の生涯マイルは百万マイルを超えています)。
一番怖い思いをしたのは、NZのウエリントンにDC-8で着陸した際です。 40年ほど前の事で、シドニーからのNZ航空でした。 当日は風が強く、着陸直前から大きく横にも揺れていました。 空港のランウエイが真下に見えて、さあ〜これで着陸かと思った瞬間、大きく機体がフワ〜と持ち上がり、次の瞬間には滑走路に叩きつけられました。 ただ、横風を食らったのか、機体は大きく傾いており、左側の窓際に座って外を見ていましたが、主翼端が滑走路に触れそうになり、ドスンと鈍い音がしてランデイングギアーがほぼ収縮域いっぱいに押し付けられたものと思います。 床からその衝撃が間近に伝わってきました。 その後、再び機体が持ち上がり、再度ドスンと大きな音がして滑走となりました。
一歩、間違えばクラッシュランデイングだったと思います。
これが一番恐ろしかった経験ですが・・・。
ただ、飛行中のエンジンが停止してそのまま飛行を続けていた事とか、搭乗した機体から作動油が漏れていて、機体下が油の池状態だったとかはあります。
航空会社はUnitedで、機体は747-400の成田からシカゴでした。 到着一時間ほど前にアナウンスがあり、三番エンジンが途中で停止、そのまま飛行を続けていましたとあって、オヘア到着時には消防車が並走しますが、Just in caseなのでご安心くださいとキャプテンからアナウンスがありました。
また、作動油漏れもユナイテッド航空の747-400で、シカゴ・オヘア空港での出来事でした。 搭乗して出発を待っていると、突然アナウンスがあり不具合の為出発が遅れるとアナウンスがありました。 この時も窓際でしたが、下を見るとなんか地面の色が違うところがあって、なんだろうと見ていると吸着剤らしきものを撒き始めました。 結局、一旦降機となり、待てど暮らせどその次のアナウンスがないまま、多分二時間ぐらいして漸く代替機の手配がつきましたとアナウンスがあり、やれやれと思うも出発時間の発表は無し。 係員に聞こうにもポデイウムにはみんなが行列を作る有様。 結局、代替機が来る前に油圧バルブの交換が完了し5時間ほど遅れて出発、成田には真夜中に到着しました。
あとは、豪州駐在時にフォッカーフレンドシップ機(貨客混載機)で、ジェットコースター並みの飛行を経験しました。
これは事故とかではありませんが・・・・。
シドニーから南南西に約500Km程にあるオーブリーという街に行く事になりました。 同地は春と秋には霧が出やすいし、周りを小高い山に囲まれて霧が風で流され難いところです。
で、当日も霧か雲かで空港が目視出来ないため、雲の切れ目を見つけるとまるでアクロバット機の様に急降下するんですね。 ところが雲で視界を失うと一気に上場するんですが、その瞬間に体がフワ〜と浮くんですよ。 これは怖かったですね。 結局数回、いや十回ほどトライしたがダメで、近隣の空港(?)に向かいました。 着いた空港はSurfaced Runwayではなく、羊が草をはむ牧場と同じ。 空港ビル(?)は丸太小屋風で十人ほどが入ったら終わり。 なんせ重量を測る為の計器は、昔のカンカン方式(テーブルに乗せると袖技にある重りを動かしてメモリを読むヤツ)ですし、従業員は一人。 単発の自家用機が3、4機と双発が一機だったかと思いますが、それだけ。 給油は、ドラム缶から手動のポンプなんですかね。 あの後、Fokker Friendshipがあの空港から離陸出来たのかは知りません。
米国駐在時には、大切な代理店の社長などを二組失いました。
親子でCessna 150を操縦している内に、雷雲に遭遇し墜落しました。
もう一方は、南部で展示会があり二泊三日だったと思いますが出かけました。 帰る日の朝に、ある会社の社長が片道フェリーするパイパー双発機が安く借りられるので、一緒に乗って行くかと聞かれました。 ただ、当時住んでいた国際空港から乗ってきたので、車もそこの駐車場にあります。 ところがその機はその空港から20マイルほど離れた空港にしか着陸できませんし、彼はそこからまた住んでいる他の都市の空港まで約一時間ほど飛ぶことになります。 と言うことで丁重にお断りし、コマーシャルエアラインで帰りました。
自宅に着くと、家内が飛び出てきて、飛行機が落ちて社長が亡くなったと聞かされました。
オハイオとミシガンの州境で、ウインドシアーにあったのか、主翼をもぎ取られた機体はキリモミ状態で畑に落ちたそうです。 乗っていた社長と専務の二人がなくなりました。
いや〜、あの時同乗していたら、今頃大変だったろうなと思います。
と、言う事で、アメリカでは結構自家用機の事故はありますね。 でも、よほど有名人か、地上の人を巻き込むかでもしない限り、地元の新聞・TV以外では、ほぼ報じられる事もありません。
七年間の駐在で、二件四名の方が亡くなっています。 それ以外でも、顔見知りでない知り合い程度なら、ヘリコプターとやはり単発機の事故でお二人なくなっています。