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2021/2/23 7:47

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ひろゆきが「古文漢文は不要」と言っていましたが、本当に不要なものでしょうか

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答を見て、最近日本人の国語力が低下していると言われる理由が分かる気がしました 多少とも古文漢文の素養があれば、語彙や文化的背景について深く知ることができます それを、直接飯のタネにならないという理由で排除するのは、あまりに浅はかでつまらない上に、深い所で言葉をナメていると感じます

お礼日時:3/2 0:29

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現代社会、さらに言うと今の中高生が迎える時代の社会・職業を考えた場合、不要か?と問われれば、不要です、と答えます。 それだけのことです。 でも私は、 「鴎外も露伴も逍遥も読まず、漱石など目にも触れず、谷崎を、はあ?どこかの飯屋の名前ですか?」 では生きたくはありません。 深く学ぶ必要はないでしょう、学者ではないので。 でも、漱石の「草枕」を読んで、 「マヂ漢字大石!!」 では、何とも残念だな、と思うだけです。

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古文漢文は義務教育、受験科目からは無くすべきでもっと他の優先するべきことがあるって言ってただけでそのもの自体を不要とは言ってないと思う。

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2021/2/24 13:04

客観的に見れば、文学は美術や音楽と同じ選択科目で良い。では何故必修なのか。文学部の教員と卒業生の利益と錯覚が原因。 利益。学校で必修にすれば古典の需要が高まる。卒業生の就職先が確保される。高校の教員、塾や予備校の講師。受験関係の出版社。教科書や参考書の執筆。大学教員が書く古典の入門書や解説書が売れる。大学の国文科へ入学する学生が増える。古典必修をやめたら私大の国文科は全滅と思う。 錯覚。文学部の卒業生は文学以外の本を殆ど読まない。他の有用な本の価値を知らない。文学も多少はためになるが、他の本はもっとためになる。読まないから他の学術や書物の価値を知らず、文学だけが重要だと信じて疑わない。井の中の蛙大海を知らず。 欧米では古典が必須だというが、それは事実を知らない。過去にはラテン語が必須であった。理由は二つある。 古代のローマ帝国が軍事力で欧州の大半を支配した。政治や行政、商人の契約の共通語になった。ラテン語の読み書きは奴隷でない自由民が生きるために必要な知識だった。ローマ帝国が衰退した後もキリスト教会がラテン語を公用語にした。ラテン語は政治、行政、契約、宗教の共通語になった。 もう一つの理由はラテン語で書かれた大量の書籍の存在だ。古代ギリシアの科学技術や哲学の文献がラテン語に訳された。幾何学、天文学、医学、動植物学、歴史、政治思想を学ぶにはラテン語が必要だった。ラテン語は欧州の学術の世界の共通語になった。コペルニクスもニュートンもラテン語で研究成果を発表した。今日英語が果たす役割を当時ラテン語が果たした。 イギリスや北欧にも古文はある。古事記や万葉集のようなものだ。しかし、それを学校では教えなかった。教えたのは当時の欧州の共通語のラテン語だった。生活や学術のために必要だからラテン語を教えた。文学のためではない。祖先の考えを知るためでもない。ここを取り違えた詭弁が行なわれている。古文や漢文で教養が身に付いたと自惚れる国文科の教員がその程度では、やはり古文や漢文は役に立たないのではないか。

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やたらと長い回答がついて目につきましたが、 ひろゆき とは何者ですか? 小人の戯言と思えば何も感じません。 小人閑居して不善をなす。

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漱石だの中島敦読むのだって必要か?英語の長文読むのも必要か?微分積分必要か?必要で言うなら、小学5年くらいまでじゃないか?

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