明智光秀が 本能寺の変 を起こしたのは、斎藤家を滅ぼした織田信長への復讐かも とか考えられますか?
明智光秀が 本能寺の変 を起こしたのは、斎藤家を滅ぼした織田信長への復讐かも とか考えられますか? 明智光秀は 土岐氏支流ですが、織田信長と内通することによって、土岐氏を滅ぼした斎藤道三に復讐したかも とか考えられますか? その功績で その後 織田信長に召し抱えられたかも とか? 斎藤道三が死んだ後や斎藤家が滅んだ後に、斎藤家の者は 結構 織田家に召し抱えられていますが、それらの者達は 明智光秀のことを どう思っていたのでしょう? (斎藤利三は 明智光秀の家臣になっていますが。)
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ベストアンサー
明智光秀が土岐氏一族だったか否かは分かりません。 なにしろ、信憑性が高い土岐一族の系図には光秀の名がありません。 土岐氏支流だったというのも、『左京亮宗継入道隆佐記』の「美濃国住人ときの随分衆」という記述と、『遊行三十一祖 京畿御修業記』の「濃州土岐一家牢人」というものからです。 でも、もし、これが光秀が自称していたのを聞いて書いたならどうでしょうか!? ただ、光秀自身が直接自分の先祖の事について話したのを聞いて書いた史料があります。 それが、金沢藩第五代藩主の前田綱紀が蒐集した史料を明治になって編纂した史料群『松雲公採集遺編類纂』の中にある『戒和上昔今禄』です。 歴史学者の早島大祐氏が著作の中で紹介され、その後、早島氏の論文も読ませていただきました。 光秀は自分の先祖について、「足利尊氏から「御判御直書等」を頂戴したが、当知行ではないので、信長様に訴え出ることも中々できない」と語ったいます。 光秀の気位の高さが分かる面白い史料です。 なお、質問者さんの他の質問の回答で使用させていただいた『美濃国諸旧記』以外にも光秀が長良川の戦いで義龍方に参加したとする史料が他にもあります。 それが、『美濃明細記』で「明智十兵衛」と記述されています。 要は、何という史料を読み、何を信じるか次第で、最後は自分の判断となると思います。
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質問者からのお礼コメント
詳しくありがとうございました。 勉強になりました。 実は 私の能では ベストアンサーを決められませんでした。 私のスマホの縦で いちばん行数が多かった(42行)ので お願いさせてください。m(__)m usai21さん(24行)、junさん(30行)、sokさん(16行) も 詳しくありがとうございました。 勉強になりました。
お礼日時:3/2 22:01