邪馬台国論争はなぜ解決しないの?卑弥呼と三國志は関係ある?

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邪馬台国の記述があるのは魏書。 つまり三國時代の魏呉蜀の中の魏の国に朝貢し、親魏倭王の封号を頂いている。(238または239) 以下、抜粋 『三国志』魏志公孫淵伝によれば、景初2年8月23日(238年)に公孫淵が司馬懿に討たれて公孫氏政権が崩壊し、魏が楽浪郡と帯方郡を占拠すると、邪馬台国の女王・卑弥呼は帯方郡への使者を送って、魏との交流が再開された(なお、呉と倭との交流については存在した可能性もあるが、『三国志』が魏を正統王朝として呉や蜀(蜀漢)への朝貢の記述や、朝貢していた諸民族(特に南方諸国)についての記事がほとんどないため、交流していたかどうかについては不明である)。 これに対して魏の皇帝は制書を発して卑弥呼に下賜品を与えるとともに、卑弥呼を「親魏倭王」に任じてその証である金印を与えた。

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卑弥呼は姫の巫女、邪馬台国は大和国では無いのかな? 汚い漢字を使って他国を書き表していたので邪馬台国って国が日本にあった訳では無いでしょう。

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どっちも決め手に欠けるから解決しない。実は北九州でも奈良でもなく越前かもしれない。https://www.xhimiko.com/ 宮殿跡らしき大型建物跡が見つかってる纒向有利なんですけど、畿内は鉄器の出土が殆ど無い。この欠点を補うのが鉄器の出土が多い日本海側。

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北部九州説の東大学閥と奈良説の京大学閥の永年の権力闘争?水と油で解決しない。