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春秋時代の呉の国について

中国史 | 世界史41閲覧

回答(4件)

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全く無関係です。 呉というのは国名であると同時に地名なのです。 三国志の時代までは国名は首都がある地域名から取られました。 漢王朝の名前も劉邦が拠点とした漢中からです。 魏呉蜀も地名です。

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古くは国と都市は一対一対応であり、そのため国名=都市名でした。 少なくとも自らの呼称がしっかり記録されている周以降はこれが確認されています。質問にある二つの国も基本的に「呉」の地を本拠地としているので「呉国」の名称となっています。 但し、春秋時代の呉は句呉という民族名が省略されて地名になり、国号に移行しているためルーツは民族名であるという方が正しいでしょう。 なお、春秋時代の呉が本拠地とした地域はかつて呉県と呼ばれていた現在の蘇州市南部の地域ですが、三国時代の呉は呉県ではなく同じ呉郡の富春県(現在の杭州市富陽区)が元々の本拠地なので、多少のずれがあります。

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同じ「呉」という土地を本拠地にしただけで無関係です。中国における国号はほとんどが地名であって、国号が被るのは全て上記の理由によります。

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春秋時代に、地理的に蘇州や南京辺りの江東エリアで建国し、国号を「呉」と命名したのは夫差の祖先。 三国時代の呉の孫氏は、呉の弱小豪族で、やはり江東エリアを制圧して南京に近い建業を首都とし、国号を「呉」とした。 地縁はあるが、直接的な関連は薄いと思われる。