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チェコスロバキアは、小国であるのに、 幾人もの大作曲家や、素晴らしい名演奏家を輩出しています。 これにはどんな理由があるのでしょう。

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クラシック | 観光71閲覧

回答(6件)

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チェコ=ボヘミアですからね。ボヘミアンという言葉はご存じでしょう!? ボヘミアはロマやユダヤ人等、流浪の民=貧しい被差別階級の人々が多く暮らした土地です。彼らの生業の一つが楽器を弾いて施しを受ける「辻音楽師」でした。門付けに回る津軽三味線の「ぼさま」も同様でしょう。(また、日本でも昭和の頃には、ヴァイオリンを弾いて施しを乞う人が、お祭りの時などに現われていました)それが、クラシック音楽のルーツの一つなのですよ。 芸能、芸術(今日はスポーツも)というのは洋の東西を問わず、マイノリティが金銭的な成功を得る手段として有効なのです。

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豊かな土地?かつての「フロンティア」としての豊かさですよね。 要するに、ハプスブルグ王朝に代表されるドイツ語圏勢力によって征服された被征服地なわけですから。

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隣国「ハンガリー」と比較して、 「幾人もの大作曲家や、素晴らしい名演奏家」 の数は少ないので、特別な理由は無いと思います。 尚、 「チェコスロヴァキア」の人口は約1600万人、 「ハンガリー」の人口は約1000万人、 です。

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チェコスロバキア時代限定でしょうか。オーストリア帝国時代やチェコになってからも含むのでしょうか。 やはり音楽の盛んなオーストリアと同じ国であったということも関係しているのではないでしょうか。オーストリアにとってプラハはウィーンの次くらいに重要な都市であり、16世紀にはハプスブルク家によりプラハ宮廷楽団がつくられ、有名な音楽家が集められてヨーロッパでも指折りの音楽の都市になったそうです。 そうなるとボヘミア(チェコ)の貴族も音楽に力を入れるようになり発展します。 そういった歴史的背景があって音楽を学ぶ下地が揃っていて、近現代にスメタナやドボルザークを排出した一因となったのではないでしょうか。 演奏家や指揮者は現代になって多く出ていますが、そちらはプラハ音楽院やプラハ大学で学んだ人が多いようなので、はやくから大学や音楽大学が作られて学べるようになっていたのが大きいかと。 チェコ地域とスロバキア地域で比べてもチェコのほうが排出された人物が多いように思います。スロバキア出身でもオーストリア時代でウィーンで学んだ人物もいるようなので、チェコ地域のプラハやブルーノが環境として恵まれていたのではないでしょうか。

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チェコの前身のボヘミア王国はかなり富裕の土地でした。 特に、金印勅書で教科書に載っている神聖ローマ皇帝カール四世の時代である14世紀は特に栄えており、往時の栄華をしのぶ歴史遺物もたくさんあります。 その後はオーストリアハプスブルク家の支配を受けることが多かったですが、文化的には高水準を維持しました。 ベンダ家などー族代々優秀な弦楽器奏者の人材を輩出する伝統もありました。 弦楽器の製造も多かったようですし、ペトロフというピアノメーカーもありました。。 第二次世界大戦前は、ヨーロッパ屈指の重工業国でもありました。

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ハンガリーとの比較は興味深いですね。ハンガリーも中世にはヨーロッパを代表する大強国でした。 ちなみにチェコ人とスロバキア人はDNAはほぼ一緒の西スラブ人たちです。 10世紀以降にドイツ語圏の影響力下にいた人たちがチェコ人になり、ハンガリー王国の影響を受けた人たちがスロバキア人になりました。 現在チェコは人口1000万人で、ハンガリーとほぼ同じくらいです。 ハンガリーのリズムもまた独特なもので興味深いですね。 コダーイとかバルトークも、他にかえがたい魅力があるし。

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チェコ・・・ プラハは中世の面影を残す街です。 路地が多く私はちょっと窮屈に感じます。 この国・・・ オーストリアとドイツに囲まれています。 道は一本です。 ヴルタヴァ川も鉄道で行けば線路に並行して ドイツに抜けて行きます。 ここは以前に文化の中心地としての接点が あったと思います。 モーツァルトもプラハ時代があり 今でも可愛らしい劇場が残っています。 ドイツ人たちのための音楽の殿堂もあります。 オーストリア ドイツ スラブ・ボヘミア 多様な文化的土壌があって成り立っている国です。 そのためにそれらを多く吸収した音楽家を輩出しても 不思議ではありません。 共産時代は少々衰退した事もあるかと思います。 ただ今のプラハは音楽においても活気を取り戻したと 思います。

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