なぜゼロ戦には、防弾装備がなかったんでしょうか?

補足

命を軽く見る傾向は昔から変わらないと思います

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零戦の開発当時、世界の他の戦闘機にも防弾板などの防弾装備がなかったからです。 「人命軽視は風評被害? 零戦の評価の分かれ目「防弾板」、その実際のところとは」2017.06.10 関 賢太郎(航空軍事評論家) https://trafficnews.jp/post/73053 には、こう書いてあります。 引用開始 確かに零戦は防弾板を搭載していませんでした。しかしこれはけっして性能を重視したためでも、人命軽視のためでもありません。ただ単に零戦の開発が始まった1937(昭和12)年の時点において、防弾板の必要性については世界的に認知度が低かっただけにすぎず、ほぼ同時期に開発された他国の戦闘機も、一部を除いてほとんど搭載していませんでした。 (中略) 零戦が当初、防弾板を搭載していなかったことは事実です。また他国に比べて防弾板の装備が遅かったことも否めません。しかし零戦が性能を優先し人命軽視の設計だったという事実はなく、また防弾板の有無によって何か大きな影響があったかというと、おそらくなかったのではないでしょうか。 引用終了 この「防弾板の有無によって何か大きな影響があったかというと、おそらくなかった」という指摘は重要です。その理由は上掲の記事をご覧ください。 防弾装備を充実させても零戦の生存率の向上には寄与しないどころか、最高速度や機動性が減殺されるぶんかえって被撃墜率が高まってしまう可能性すらあります。 意外かもしれませんが、カタログスペックや机上の空論では推しはかれない戦場のリアルとは、そういうものなのでしょう。

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単純に「海軍の出した要望に防弾装備は盛り込まれていなかったから」だ。 そもそもゼロ戦の開発要求って明らかに無茶なモンで、「性能で第一優先とすべき事は?」って質問に対して「火力、速力、航続距離、運動性、上昇性が第一優先だ!!」と答えが帰って来る様な有様で「正攻法で開発したら絶対に無理な要件」を提示されてた。 そこで「パーツを肉抜きして強度は確保しつつもグラム単位での重量規定を行う」「構造材は全て流体力学を応用し、極限まで空気抵抗になるであろう要素を排除する」「性能向上につながる新技術は何でも惜しみなく投入する」って事を行って何とか達成したって経緯があるんだわ。 一応開発者は「防御性能に関してはどうしますか?」って聞いてたけど海軍側は「第一優先(第一とは一体…)をクリア出来るなら特に防弾性能に関しては言及しない」と言う回答を返してる。 今の世の中でも「相手が特に言及していない機能」とかを敢えて追加実装したりする企業なんて存在しないだろ? それは例え軍相手でも請け負ってるのが企業(要するにクライアントから金を貰ってモノを開発する所)なら極々普通の事だろう。 まぁ一応後になって「最低限の防御性能は無いとヤバいよね?コレ…」って事で多少の性能低下を織り込んで防弾板や防弾ガラスを採用してるから一概に「命を軽く見」てるって訳では無い。 と言うか、そんなんで「命を軽く見る」とか言い出したら「じゃあ何故現行の旅客機は緊急時の乗員脱出用のパラシュートを全員分用意して無いんだ!!」って事になるんじゃないか? 因みに、旅客機が脱出用のパラシュートを積まない理由は「起きるかもしれない事故に備える装備を乗せるよりも人を乗せた方が遥かに経済的且つ効率的」だからだぞ?

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戦場に屍を晒すのが名誉なのだ。 防弾などと謂う軟弱な装備など不要。軟弱者めが。

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零戦は重慶爆撃に出撃する爆撃機を支援する戦闘機として開発されたため、格闘戦性能と大型機並の航続距離を良質させなければならなかった。あたかも格闘家とマラソンランナーの両方で一流になれというような無茶が要求されたため、殴られる前に殴るしかないので、防御のための筋肉は一切つけることができなくなった。 しかしこの零戦の悲劇はこれにとどまらない。大戦が激化するにつれ、ベテランパイロットが少なくなり、日を追うごとにベテランが増えるアメリカの、零戦の倍近い重さと馬力を持つ戦闘機と戦う羽目になったことである。 また、搭乗員の方からも、防弾装備の充実を求める声はほとんど出なかった。危殆が重くなれば空戦性能が下がるからである。また日本は広い太平洋をカバーするほどの駆逐艦がなく、空戦後に撃墜されたパイロットを救護することもままならなかった。戦争は日を追うごとに悪循環となり、最後は操縦さえままならない未熟な搭乗員に爆弾ごと体当りさせるしかなくなっていた。あの戦争は開戦一年で決着をつけなければならない戦争だった。そのためにはぜひ、オランダ領や、中国・ロシア相手の戦争で時間稼ぎし、もしアメリカから宣戦布告してきた場合はもっけの幸い、海軍が一気にケリをつけるしかなかった。

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零戦【54型・64型:金星1500馬力エンジン】は、防弾装備(燃料タンク全面に防弾ゴムを設置、機体強度を補強、自動消火装置も装備、コクピット周りも防弾板を初めて装備した。52型の自重が2,733kgに対して、54型・64型の自重は3,150kgと、52型より400kg以上も重いが、21型並みの高い格闘戦性能が復活した。しかし如何せん登場が遅すぎた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F%E3%81%AE%E6%B4%BE%E7%94%9F%E5%9E%8B 離昇1,990馬力の紫電改も、横旋回では通常の零戦に苦戦している。戦局の悪化で、「烈風」の開発と「紫電改」の製造は遅延し捗らない中、零戦54型・64型は三菱「金星エンジン」の搭載により、防弾装備(燃料タンク全面に防弾ゴムを設置、自動消火装置も装備、コクピット周りも防弾板を初めて装備。機体外板を厚くして機体強度を補強)してもスピードは落ちず、21型並みの高い格闘戦性能が復活した。「金星エンジン」搭載の性能に驚いた海軍は即、量産を命じたが、時すでに遅く終戦。陸軍の「飛燕」が水冷エンジンの不調で、「金星エンジン」に換装した「五式戦」が大成功しているにも拘わらず、海軍は「栄エンジン」に固執してしまい、「金星エンジン」の搭載を遅らせてしまった。 そもそも三菱は、零戦の発動機を栄エンジン(中島)から、自社製「金星エンジン」に変更したいと↓昭和17(1942)年4月に、案を海軍に出していた。 http://hobbycom.jp/workshop/library/zero/10.html https://plaza.rakuten.co.jp/allmilitary72/diary/201302020000/ 戦後↓米軍にテストされる零戦【54型・64型】。

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